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ssh1009 マスメディアは不調でもマスコミュニケーションは進む [マスコミュニケーション論]

<2017>
<ssh600再録>
(  )内は今回付加した部分です。

 3月の海外研修中(5年前に、全日制英語科の高2生の引率で2週間オーストラリアに滞在)は、ふだんとかなり違う感覚で過す機会になりました。
 最大の理由は、TVやネットなどのマスメディアからほぼ全く遮断されていたから。
 オーストラリアのTVって、あんまし面白くないんですよ。ホテルのTVには映画のチャンネルもありましたけど、私は映画ってものを全然見ないので、結局TVは全然見ませんでした。ネットも仕事で必要な時以外は使いませんでした。ホテルではもっぱらiPodと睡眠で時間を過していました。けっこう早寝してましたね。なかなか健康的。

 オーストラリア滞在中のコミュニケーションは、ほとんどすべて人対人の直接コミュニケーションでした。TVもネットも見ないのだから、マスコミュニケーションはほぼ皆無です。
 直接コミュニケーションだと、こちらから働きかけないと何も情報はもらえません。なかなか面倒です。英語だし。

 帰国後は以前のペースに戻り、ネットもTVも新聞も見放題です。
 マスコミュニケーションってのは、実にズボラのできる装置ですね。ネットならクリック一発でジャンプできる。新聞もただ紙面をめくれば情報に会える。TVに至っては、何もしなくても向こうからわんこそばのように情報を浴びせてくれる。
 いや〜楽チンだなあ。

  ・・・の、はずなんですよ。楽チンなはずなんです。こっちで何もしなくても情報が入ってくるんだから。

 ところが。
 TVやインターネットを見ているうちに、ものすごい疲労感に襲われました。
 それも運動や労働から来る、ある種の心地よさを伴う疲労感じゃありません。
 喩えて言えば、食い放題の焼肉屋で元を取ろうと肉を無理して腹に押し込んでいるような疲労感。
 
 とにかく疲れるんですよ。
 かねてからsshは我が国のメディアに、ずいぶんな物言いをしてきています(その種の記事はそのうち再掲します)。使命感がないだの、取材が甘いだの、リテラシーがないだの、その他もろもろ。
 まあでも、日本のメディア事情に満足している人は、まずいないでしょう。たぶん当事者たるTV局員や新聞社員も現状には問題ありと思っているはずです。
 ずいぶんな物言いついでに言っちゃいますが、マスメディアの流す情報は、かなりひどいものが大半ですね。貴重なものもあるにはありますが、相当頑張って探さないとアクセスできない。

 マスメディアは様々な問題を抱えています。
 でも、マスコミュニケーションそのものは、今日もマス(大規模)に行われています。

 もし家庭で保護者があれこれ問題を抱えていたら、家庭生活にあれこれ支障が出ます。普通の家庭生活ができなくなる可能性が高い。
 会社に問題があれこれあったら、業務に支障が出ます。仕事に穴が空くでしょう。
 学校で先生たちに問題があれば、授業やら何やらが回らなくなるはずです。

 普通はそういうものなんですけど、マスコミュニケーションに関してはそうじゃない。
 マスメディアが不調でも、マスコミュニケーションは(一応)ちゃんと進んでいます。


 マスコミュニケーションって、一旦始まると止らないんでしょうね。始まったら、そう簡単には止められない。
 送り手は送る情報が公正でも有用でもないことがわかっているのに送り続ける。受け手もメディアに文句を言いつつ、マスコミュニケーションから逃げられない。
 止らないから、メディアが不調でも、とにかく情報は流され続ける。情報が流れ続けることにこそ意味がある。内容がイマイチでも、番組が映らないとか新聞が来ないとかいうのよりはずっといい。とにかく「穴」を空けてはいけない。

 かく言う私も、マスコミュニケーション過食状態でした。ブツブツ文句を言いながら、マスコミュニケーションにどっぷり浸かっていた。
 海外出張で偶然「マスコミュニケーション断ち」が行われて、ちょっとばかり情報消化器官が休まったのでしょう。そこに2週間ぶりに以前と同じ分量のマスコミュニケーション情報をいきなり受け入れてしまった。しかも不調のマスメディアの流すイマイチの情報を。
 粗食に慣れた胃腸にいきなりファーストフードを山ほど放り込んでしまった。それが私の疲労感の正体でしょう。
 
 始まったら最後、そう簡単には止らない。
 マスコミュニケーションは、薬物やギャンブルと似ていんでしょうか。
 いや、もっと似ているのは戦争と公共工事ですね。


<付記>
 最近になって「マスコミュニケーション断ち」を奨励する発言が複数の人から出てきています。
 言い方は「ネット断ち」だったり「TV断ち」だったりしますが、要はときどきマスコミュニケーションを休むと、知性や感情がリフレッシュされるということです。

 実はマスコミュニケーション断ちにはもっと大きな効用があると思います。
 私たちは自分の頭でものを考えているつもりでいますが、実際には思考はコミュニケーションの影響を大きく受けています。誰とどこでどんなやり取りをしているかによって、人の判断はコロコロ変わります。
 マスコミュニケーションを継続的に行っていると、思考の中身や判断がマスコミュニケーション情報に支配されてしまう危険があります。
 TVの街頭インタビューで頼まれてもいないのにTVのコメントそっくりの発言をする人がたくさんいます。明らかに思考がマスコミュニケーションに支配されています。でも彼ら彼女らは自分の意見を言っているつもりなのでしょう。
 自分の思考や判断を取り戻すためには、ときどきマスコミュニケーションを休んで何か別のことをするといいんじゃないかと思います。
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