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ssh1039 オンナのコはいつ、なぜ誕生したか [社会]

<2017>
初出2010年

 いきなり質問です。<オンナのコ>って、何歳までの女性のことですか?

 ア 6歳まで
 イ 12歳まで
 ウ 18歳まで
 エ 20歳まで
 オ 25歳くらいまで
 カ 20代まではセーフ
 キ 35歳までならOK
 ク 実年齢と関係なく、見た目や性格が<オンナのコ>っぽければ<オンナのコ>
 ケ オレより若い女は全部<オンナのコ>
 コ いくつになっても、女はみんな<オンナのコ>(Girls should be girls!)

 幼少期の私は典型的なテレビっ子でして(古いなあ、この言葉)、アニメや特撮ヒーローものやバラエティ(ドリフとか)ばかりでなく、歌番組や芸能番組やドラマや時代劇までよく見ていました。幼少期の記憶はなかなか忘れません。特にどうでもいいことはすごくよく覚えています。肝心なことはすぐ忘れるクセに。
 で、そのどうでもいいクセに忘れない記憶の一つが<オンナのコ>にまつわるものです。

 私がテレビっ子だった小学生時代は、<アイドル>と呼ばれる人たちが市民権を得はじめた頃でした。当時のトップアイドルと言えば男性は西城秀樹、女性は桜田淳子(山口百恵じゃありません。後に非常に成功するとはいえ、デビューしてしばらくは彼女は桜田淳子に次ぐ存在でした)。
 ある日『スター誕生』なるオーディション番組に彼女がゲストで出演しました。彼女はこの番組からデビューを果たしたからOGみたいなもんでした。で、彼女の出番の際、司会の萩本欽一がこう言いました。「桜田淳子ちゃんです!」
 この「ちゃん付け」が子供心にすごく違和感がありまして。小学生ならともかく、十代後半でお仕事も持ってる人に「ちゃん付け」はねえだろ、と。
 まあ、今じゃ世界で一二を争うほどのトップアスリート浅田真央すら「ちゃん付け」ですが。何で浅田選手と呼ばない。
 話は1970年代中盤に飛びます。
 6つ年上の従姉が東京近郊の大学に進学したんですが、帰省した時にこんなことを言っていました。
 「東京の学生って、男子女子って言わないで、大学生になっても<オトコのコ>とか<オンナのコ>とか言うのよ。」
 私は当時中学生だったんですが、確かに私の中学では「男子」「女子」が一般的な言葉で、<オトコのコ><オンナのコ>という言葉は使用されてませんでした。「女の子」という表現は、大人が小学生を呼ぶときや、親が子どもを紹介する時には使われていたのかもしれませんが、子ども同士では使ってませんでした。

 <オンナのコ>は、地方よりも都市部で先に発生した可能性が高いようです。


 さて、<オトコのコ>とか<オンナのコ>という話であれば、忘れちゃならないのが郷ひろみのデビュー曲『男の子女の子』。
 Wikipediaによるとリリースは1972年。郷ひろみ、17歳のデビューです。
 当時私は10歳の小学生。男の子が女の子に「おいで遊ぼう」と誘うこの曲の歌詞を、私はまったく誤読しておりました。たぶん学校内でレクリエーションでもやっているのだろうと。やっぱり田舎のガキですな。

 しかしこの曲、30万枚ほどを売り上げる大ヒット曲となりました。今カラオケで歌えと言われたら、私も嫁サン(2歳年下)もすんなり歌えるはず。ということは、当時の日本社会には、この歌詞へのアレルギー反応はさほどなかったはずです。
 どうやら、1970年代初頭には、すでに若者という意味での<オトコのコ>と<オンナのコ>は誕生していたようです。


 さて、not only アニメ・特撮ヒーローものbut also歌謡番組・芸能ニュースをTVで熟読ならぬ熟視聴していた私の記憶によりますと、1970年ころの歌謡界には、女性歌手に対して、現在まったく使われていない戦略がポピュラーに使われていました。
 それは<大人の女への変身>。

 当時のアイドル歌謡曲というのは、今からするとかなり軽っちいチャチなものでした。歌っているのが10代の息子や娘っ子だからまあいいか、という程度の。
 その10代の少女歌手がやがて20歳近くになると、突如、歌う曲が変わります。それまでアップテンポの軽い歌ばかり歌ってきたのに、急にしっとりしたスローテンポの曲を発売する。10代ではいろんな振り付けで踊っていたのが、20歳前後になるとほとんど直立不動になる。
 一言で言うと、大人っぽいイメージがプロデュースされる。もうオンナのコじゃないのよ、とでも言いたげに。
 20歳で、です。

 当時の日本は結婚率が現在と比べ段違いに高い社会でした。結婚しないという選択はほとんど市民権なし。女性の適齢期は20~24歳くらいとされていました。「女の人とクリスマスケーキは25過ぎたら価値が下がる」などという言い方があったくらいで。初婚年齢30代が当たり前の現代とはずいぶん違います。
 女性の20歳というのは、もうぼちぼち結婚を考えねばならない、と周囲からもプレッシャーをかけられる年齢でした。何せあと4年なんで。

 以上からすると、こんな推測ができます。
 子どもではなく、若い女性を指す意味での<オンナのコ>という言葉は、1970年代にはすくなくとも都市部ではすでに一般化していた。ただし、当時は19歳までしか指さなかった。 
 

 ここで冒頭の質問に戻ります。今、オンナのコって言われたら、何歳くらいまで指しますか?
 私の感覚だと「カ」か「キ」あたりなんですよ。今の著名人だと、伊東美咲とか浜崎あゆみが30ちょい過ぎてますけど、あのへんくらいまでは<オンナのコ>と呼んでもまあいいんじゃないかしらと。
 昨今のタレントさんって、見た目といい言動といい、ホントに30過ぎても可愛らしいですよね。昔みたいに無理矢理「大人の女」を演じようとしていない。
 伊東美咲と浜崎あゆみを<オンナのコ>呼ばわりするのはちょっとなあ、という方でも、28歳くらいなら、つまり倖田來未や加藤あいあたりなら十分に<オンナのコ>じゃないですかね。(注:この記事の初出は2010年)

 「オンナのコ」の年齢上限は、確実に上がっています。

 最近の女性雑誌を見ていると、40代が<オンナのコ>になる日も近いように思えます。何せ今のトレンドは「オトナかわいい」。失われた10年やリーマンショックで消費力をズタズタにされた10代~30代と違って、40代50代はまだまだ消費意欲旺盛です。経済活動は利益を上げてこそ。商売人にとってメインターゲットは40代以上の女性です。
 それが証拠に、どーです昨今のアンチエイジング化粧品の宣伝ぶりは。「とても○○歳には見えない」というコピーとともに40代50代(たまに60代も)の女性がにこやかに微笑む広告が毎日毎日折り込みチラシで入ってくるじゃありませんか。
 ドラキュラ映画や少女漫画なんかに、悪魔に魂を売って永遠の若さを手に入れるなんてエピソードがありますけど、もしそーゆー悪魔がホントに実在したら、今の日本は最高のマーケットでしょう。
 10年ほど前に斎藤美奈子が、いずれ50代・60代向けの美容ファッション雑誌が流布するようになると予言しました。当時30代の私はどーも実感なかったんですが、現実はその通りになりまして、『Hers』や『クロワッサンプレミアム』などの雑誌が刊行されています。
 21世の我が国は「かわいい熟女」の一大国家であります。


 ところで、<オンナのコ>の年齢上限は、いつ、どのように上がっていったのでしょうか?これだけで人文科学系の卒業論文が1本書けそうなテーマですが。
 私が思うに、時は1980年代。目立つ要因としては、小泉今日子や松田聖子などトップアイドルが「大人の女への変身」戦略を取らなくなったこと。とはいえ、これは社会の側が「20代になったからって無理に大人の女になることはない」と受け入れる素地ができていたからでしょう。アイドルは時代を映す鏡です。

 たぶん最大の要因は、高度成長が終わり、日本が生産型社会ではなくなり、大衆消費社会に突入したから。さらにバブル景気が加速の燃料となります。

 消費というのは、生活必需品を買うということでなく、お買いものや旅行やグルメなんかの、レジャーとしての散財のことですけど、そういうのは確かに楽しいです。消費活動をエンジョイする時、人はモノや行為ではなく「夢」を買っています。
 しかし、大人になって感覚が成熟してくると、消費が楽しくなくなります。カネで買える夢なんか所詮チンケなものだとわかってしまうので。大人の男女はあまりお買いものをしません。体力の衰えが拍車をかけます。
 消費を楽しみ続けるには、人は成熟しない方がいいんです。チンケな夢を見続けるのは子どもの特権。お客様にはいつまでも子どもっぽくあっていただいた方が、売る側にはありがたいです。ぜひガキのまま成熟せずにいて欲しい。
 しかし、そうストレートに言ってしまうとお客様もムカっときますから、別の言葉で表現するんですね。
 「少年のような」とか、「少女の心を失わない」とか、「生涯現役」とか、「永遠の若者」とか。

 大人にならずに、<オトコのコ>や<オンナのコ>のままでいることが、社会正義になったんです。

 で、これはモロに日本の非婚化・晩婚化・少子化社会の要因となります。少年少女の心を持って消費生活をエンジョイする人間に、赤の他人と婚姻関係を結んで日々いろんな妥協と我慢を繰り返す結婚生活などできるわけがないし、ましてや子どもを持つことなんかできません。自分がコドモなんですから。


 あらら、軽ネタのつもりで書き始めたのに、すっかり社会学みたいになっちゃった。
 でもね、受験生のために一言付け加えると、人文科学や社会科学の研究って、だいたいこういうものです。流行とか風俗とか映画や音楽や文学とか社会現象とか、人間社会で起こっている(起こってきた)何かを手掛かりに「なぜ人間(社会)ってこういうことになるんだろ?」というquestionへのほんのいささかの答えを探す。これが文系の研究です。
 こういうのが面白いと思ったアナタ、ぜひ大学で人文科学・社会科学をやってみてください。


<追記>
 TV好きの長女のおつきあいでTVの歌番組を見ていると、1970〜80年代の映像がちょくちょく流れます。見ていて思うのは、昔のアイドルはとにかく成熟している。見た目も大人びているというか、老けているし、歌もけっこう上手。10代のアイドルが30歳くらいの実力派シンガーみたいな見た目と歌い方をしている。そういう映像を観た直後にAKBあたりを見ると、実に未成熟です。コスチュームも顔つきも言動も「カワイイ」に徹しているし、歌も子どもみたいな声。「成熟しないことが正義になった」という仮説はまだまだ当たっているように思えます。
 AKB系列のグループはあれほどの人数がいるのに決してコーラスをさせない。常に斉唱。最初は歌がヘタだからハモれないのかと思っていたんですが(秋元康は歌の上手なオンナのコにはあまり興味がないみたい)、あれは実はかなり高度なマーケティング戦略みたいです。
 TVで聴く彼女たちのヴォーカルは本当に細〜い貧弱な声ですが、これはヴォーカルの音声が意図的に汚い音に加工されて誰の声だかわからなくなっているのでしょう。
 AKB系列はほとんどのTVパフォーマンスを「口パク」で済ませてますが、これだと誰が抜けても(彼女らは「卒業」と呼ぶ)誰がセンターをやってもまったく同じ音源で口パクが可能。秋元康は非正規雇用をアイドルに導入して成功した人間として、日本のショービズ史に名を残すんじゃないでしょうか。もちろん悪い意味で。

 
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