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ssh1051 広がるほど、閉じていく [リテラシー・思考力]

<2017>
<ssh608再録>

 ネットというのは世界中に開かれたすごく広い世界です。
 ではあるのですけれど、そのネットの中で自分がアクセスする場所というのは至極限られています。

 ネットだと、自分にとって興味の無い、気に入らない情報は最初から無視しています。
 この点では、TVの方がまだ偶然の出会いが多いと思います。
 TVもリモコンでチャンネルを切り替えてしまえばそれっきりですけど、それでもコマーシャルとか次週予告とか、「自分が見ようと思って見ている情報」以外の情報がわりと入ってきます。
 ネットからは、そういう「自分が見ようと思って見ている情報」以外の情報は、あまり入ってきません。アイコンをクリックしない限り、何も見えてこない。しかも人間なんてズボラなもんで、せっかくリンクが張ってあっても、リンク先をクリックして見る人はすごく少ない。

 ネットってのは、開かれているが故に、ものすごく狭い世界です。
 ものごとに対する視野が狭いことを視野狭窄(しやきょうさく)と言いますが、ネット界には視野狭窄のサンプルがいっぱいあります。


 長山靖雄『若者はなぜ決められないか』に、このネットの閉鎖性に関する記述があります。
 ネットを始めて、様々な人とつながることができることに最初は感激した。しかし気がつくと、自分と同じような志向や同じような趣味を持つ人間のサイトばかり見るようになっていた。自分が閉鎖的になっていくことに気付いて、彼はネットと距離を置くようにしたと。


 趣味志向がちょっとマイナーな人間は、リアルワールドではなかなか同好の士に会えません。
 かつて私はプロ野球近鉄バファローズのファンでした。で、友人や親類とこの話題が出る度に「なぜ近鉄?」と問われ、いちいちそれに答えなければならなかった。この面倒臭さは巨人ファンには想像もつかないでしょう。
 いちいち答えなければならなかったおかげで、私は自分の趣味志向を、イヤでも対象化せざるを得ませんでした。対象化して、言葉で説明しなくてはならなかった。

 しかしこれは実は、つながりにくい相手とつながる訓練になっていたのです。
 長山もそういうことを述べています。簡単に共感・同意できる相手とばかりつながっていると、やっぱ精神がなまっていくんですね。なまるだけならともかく、そーゆー関係はあんまり楽しくない。最初は面白いけど、すぐに飽きる。
 Easy come, easy go.ですね。簡単にわかりあえる相手とのコミュニケーションって、飽きるんですよ。
 飽きるから、似たもの同士のちょっとした差違が気になり始める。
 で、同族憎悪といいますか、内ゲバといいますか、似たような物同士なのにつまらんケンカを始めるのですね。

 これはネットに限りません。
 TVだって新聞だって、手に入る情報量はべらぼうです。全部なんか消化しきれません。食いきれないほどのものを並べられたら、誰だって自分の好きなものだけを食べます。好きなタレントの出る番組だけを見るとか、ドキュメンタリーは外すとか。かく言う私だって、新聞の経済面はほとんど見てません。
 コミュニケーションの世界だけじゃありません。
 買い物だって、あんまり選択肢が多いと「一番売れてるのはどれですか?」とか「私も同じのを」とか「セールスマンの方に勧められたので」とかなっちゃう。


 自分のまわりの世界が広がれば広がるほど、自分が接する世界が閉じてしまうことは往々にしてあるんです。
 ブログやツイッターの世界でも、同好の士どうしのしつっこいケンカがちょくちょく起きます。
 そこまで仲が悪いのならとっとと離れりゃいいのに、と外野は思うのですけど、こういう人たちは同好の士のコミュニティからまず出て行きません。
 もしかしたら、リアル社会では必須の、同好じゃない人とつながるスキルがすっかりなまってしまったのかもしれません。


 ただ、こういうのは、ある意味どうしようもないのですね。
 いかんせん、人間の本質は矛盾です。
 食べたいけどやせたい。好きだけど憎らしい。あれもいいけどこれもいい。個人と社会はぶつかる。自分の好きなことをしたいけど他人が好き勝手やるのは気に入らない。それが人間です。

 広がるほど閉じていくというのも、人間の性(さが)というか業(ごう)のようなものだと思うのがいいんじゃないですかね。
 願わくば、ネットで同族憎悪に血道をあげている方々に、そういう達観のカケラでもあればというところですが、ムリな相談かもしれません。
 何せ視野狭窄の人は視野狭窄を指摘されるとムキになって怒りますからねえ。
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