ssh195 「vocabow小論術」紹介 [おすすめサイト]
<2008>
今回も小論文サイトの紹介です。
「vocabow小論術」
主催者は吉岡友治氏。もう小論文指導の大エキスパートです。
(吉岡氏のプロフィールはリンク先にありますからご参照を。) vocabowはそもそもホンモノの小論文指導教室です。添削・セミナー・個別指導などを行っています。吉岡先生とそのチームに本当に鍛えて欲しい人は、ゼニを払ってそちらを受講しましょう。
ただ、私が思うに、vocabowが最も得意としているのは、ハイレベルな小論文です。具体的には、まずは法科大学院入試。
こういうのは、例えば私みたいなモンには手に負えません。
それと、難関大学の小論入試。こういう、書く方も指導する方も大変な難物にこそ、vocabowは強いようです。
とはいえ、そうでない人にはこのサイトがお呼びでないというわけじゃありません。入門編のアドバイスもあります。
では、小論文とあまり縁のない人は?
実はこのサイトで一番面白いのは、「吉岡の三日坊主日記」というブログ部分なんであります。
http://www.vocabow.com/cafe/bozu/bozu-fra.html
これはホントにいいです。面白いです。勉強になります。刺激的です。
最新記事は「自殺と他殺の間」。例の秋葉原通り魔事件についての考察。ここで吉岡氏はA新聞のコラム(たぶんアレでしょう)を批判しています。
◆◆以下引用◆◆ 「どの『誰』にも懸命な人生があり、大切な人がいることに思いが及ばない…他者への鈍感と、自己愛との途方もない落差にただ慄然とする」と糾弾しています。これは「快楽殺人」という見方でしょうね。「自己の欲望のままに殺す」というサディスティックな怪物を想定する。事件が起こると、必ずこういう見方をする人がいるんだよな。でも間違っていると思う。 むしろ、自分の命を捨てる覚悟があるから、他人の命も軽く考えるのです。今度の犯人も「自分なんかどうなってもいい」と自己愛がなくなっている。だから、他人の命を奪うのにも躊躇しない。 ◆◆引用ここまで◆◆
吉岡氏はここで、容疑者は自己愛肥大などではない、むしろ自己愛が持てないゆえ他者にも愛など持ち得ないと指摘しています。そして、容疑者の絶望に思いの至らないコラム執筆者こそが、安全地帯でぬくぬくしている自己愛人間なのだとも。
この指摘は鋭いですね。
この種の事件が起きるたびに語られる言葉がなぜ空々しく響くのか?それはしょせん、それらの物言いが、安全地帯が一歩も出ることのない自己愛人間によって語られるからである。自己愛の肥大した人間の言葉は、他者の共感を集められないでしょう。
残念なこと本業がご多忙らしく、三日坊主日記は一週間坊主から数週間坊主になることがしばしばです。まあでも、これは致し方ないでしょう。待つ価値のある内容ですから。
ところで、今や小論指導の大家たる吉岡氏、小学校時代はなんと作文が大の苦手で、大半は母親の代筆だったそうです。
このエピソードも「三日坊主日記」にあります。探してみてください。