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ssh556 実戦トレーニング攻略法〜デモは迷惑か問題の語り方 [小論実戦トレーニング]

<2012>

 

 ssh555解説編です

 小論文のトレーニングですから、もちろん模範解答とか正解はありません。ありませんが、誰の目にもダメなものはあります。そうならないように、問題を掘り下げるためのヒントを列挙します。

 

 

<「迷惑」を定義する>

 今回のトレーニングのキーワードは、デモでもパレードでもなく「迷惑」です。一体、迷惑とは何なのか?

 迷惑か否かの境い目は、考えてみるとずいぶんと曖昧です。ある人にとってまったく迷惑でないものが、別の人には迷惑な場合もある。

 夜中に赤ん坊が泣き出すことは、その家族にとっては迷惑とは言えません(大変ですけど)。しかし、隣近所の人にとっては迷惑になりうる。

 TV好きの長女は、今日も嵐だのAKBだのとTVを見まくっています。彼女にとってアイドルの出る番組は極上のエンタメです。しかし、私にとってそーゆー番組ばかり(大事なニュースをサボって)放送するTV局は迷惑至極です。

 

 迷惑か否かの境い目は、至って主観的なものです。

 

 ところが、今回の場合、迷惑か否かを問われているのは、デモとパレードです。

 デモもパレードも、多くの人間に訴えるために行われる、社会性のある行動です。

 そういうものが、ただ「主観的に」迷惑だというだけなら、郊外に行けとはあまりに傲慢です。

 しかし、個人的な迷惑というのではなく、「社会の迷惑」だということになれば、郊外に行けという主張には一理あります。

 

 では、「社会の迷惑」とは何なのか?

 数多くの人が迷惑だと思うのなら、それは「社会の迷惑」と言えそうです。

 しかし例えば、迷惑だと思う人がごく少数でも、その程度がひどければ、それは社会的な問題かもしれません。

 大津市のいじめ問題では、教育委員会など特定少数の人々が激しい攻撃を浴びています。

 迷惑を感じている人の数そのものは少数ですが、これはれっきとした社会問題です。


 と、このように、「迷惑」ということを考えるだけで、かなりいろんなことを考えなければなりません。意外に大仕事です。

 今回の問題は「迷惑」が主要なテーマです。これを攻略するには、「迷惑」を自分なりに定義することが不可欠です。


 

<直感を否定しない>

 今回のトレーニングでは、デモは迷惑という意見への賛否を、パレードについて触れながら答えることになっています。答える人はデモとパレードを必ず比較しなくてはなりません。

 デモとパレード。この2つの受け止め方について考えられる反応は、

  1. デモもパレードも迷惑だ。
  2. デモは迷惑だが、パレードは迷惑ではない。
  3. パレードは迷惑だが、デモは迷惑ではない。
  4. デモもパレードも迷惑ではない。

 もちろん、論じやすいのは1.4.。どちらも同じということであれば、まとめて断罪なり弁護なりすればいい。

 ただし。それはみなさんが心底そう思っている時に限ります。

 論ずるのがラクそうだからと、ホンネに逆らって1.4.の立場を取ると、必ず破綻が起きます。人間のホンネをナメてはいけません。

 

 もし自分のホンネが「デモってパレードより迷惑だよなあ。」というのであれば、なぜ自分はパレードよりデモが迷惑だと思えるのかを考えて下さい。

 これは面倒な作業です。

 こういう面倒な作業を完遂するためのエネルギーはただ一つ、「なぜ自分はそう思うのだろうか?」という、自分にとっての疑問=問の答えを探したいという欲求です。

 自分が本当に知りたい答えを探し出した時の爽快感は、何物にも代え難い。

 考え続けた人へのご褒美は、この爽快感です。

 

 

<デモとパレード以外に、道路を塞ぐものは?>

 今回のトレーニングは、デモは迷惑かというテーマを考えるために、パレードにも触れることが指示されています。

 これは、より広い視野で考えてもらることが狙いです。

 メーデーのデモが迷惑だと思う人でも、ロンドンオリンピックのメダリストたちのパレードは好意的に受け止められるのではないでしょうか。しかし、往来が妨げられて渋滞などが発生すること自体は同じです。

 

 みなさんには、できればここでもうひとひねりしてもらいたいところです。

 デモとパレード以外に、往来を妨げるものは、たくさんあります。

 

 例えば、交通事故。事故後の現場検証も交通に影響を与えます。

 警察がらみであれば、取り締りや検問。

 道路工事や電線電話線の工事も交通を妨げます。

 天災で通行できなくなることもあります。

 

 楽しいイベントが交通をストップすることもあります。

 昨今はあちこちに盆踊りのモンスター版みたいなお祭りがあって、市街地すべてが踊りの会場となります。もちろんクルマは通行不能。

 歩行者天国もクルマの通行は禁止されます。

 普通のお祭りでも、御神輿や山車が通過する時は交通に制限が出ます。

 

 私の地元では多くの高校生が自転車通学しています。朝は大量の自転車が市街地を通行します。地方都市の弱さで、自転車通行レーンはまだ不十分。何十台もの自転車が一斉に狭い道を走ると、クルマの流れは妨げられてしまいます。

たまにアホな生徒がバカな走り方をして、学校に苦情電話が来ます。

 その同じ市街地では、週末の夜ともなると飲んでゴキゲンな方々がけっこう危なっかしい歩き方をしています。たまに夜中にクルマで走ると、かなり怖い思いをします。

 

 こうしたその他の例も混ぜて考えてみると、何が迷惑で何は迷惑でもないかということが少しずつ見えてくるかも知れません。

 

 

<立場を入れ替える>

 私の在住地でも、市街地ではデモやパレードが時々あります。歩行者天国もお祭りもあります。

 いつぞやは皇太子徳仁殿下が何ぞのイベントにやってきて、ものすごい交通規制がありました。

 クルマの運転中にこういうものに出くわすと、やっぱり「迷惑だなあ」と思っちゃいます。

 ところが、自分がデモやパレードやイベントに加わっているとき、えらい剣幕でクラクションを鳴らしてエンジンをふかして(場合によっては窓を開けて罵声を浴びせて)走り去って行くクルマを見ると、すんげー腹が立ちます。逆の立場なら迷惑だと思うクセに。

 人間って、わがままなんですよね。

 

 いつもデモやパレードを見ている側だという人は、自分が主催・参加する立場ならどう感じるか?と考えてみると、新しい視点が見つかる可能性があります。

 もちろん、逆もしかり。

 

 

<歴史に学ぶ>

 デモというのは、たいてい時の権力にとってジャマなものです。だから大きな政治問題に発展しやすい。

 民主化されていない国では、国民による命がけのデモが頻繁に行われています。

 19896月、中国で民主化を求めて天安門広場に終結したデモ隊に対し、中国政府は軍隊を用いて鎮圧を行いました。数千人の死者が出たと言われています。

 最近では「アラブの春」と総称される2010年からのアラブ諸国の民主化運動があります。

 世界史や政治経済の教科書・資料集を調べると、当時の政府がどのような名目で運動を「迷惑」なものとして弾圧したのか分かるはずです。

 

 本番の試験なら調べるわけにはいきませんが、ここはトレーニングですから、いろいろ調べてみるというのはアリです。

 ものごとを考えるには、過去にどんなことがあったかを知っていると何かと都合がいいのです。

 歴史の勉強は、入試の点取りだけのためにあるのじゃないのですよ。

 

 


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