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ssh566 書けなくても考えられなくても、気にし続ける [小論文]

<2012>

 

 推薦・AO入試シーズンです。生まれて初めて本格的に小論文に取り組んでいる人もいることでしょう。

 小論文のHOW TOについては、過去記事が参考になるかもしれません。読んでみて下さい。

 

 小論文は、テクニックや暗記では書けません。自分でいろいろなことを調べ、自分で問を立て、自分でそれに答えを探し、さらに新たな問を立てそれに答え、それを繰り返して、ようやく自分なりの意見と論拠を立てるという、実に地味な作業を必要とします。

 小論文の指導をする側である私のような者にとっても、この作業はなかなか大仕事です。ましてや初めて小論に取り組む人には、相当大変な仕事のはずです。

 

 そういう大仕事ですから、考えても考えても、なかなか先に進まないということが、ままあります。

 というか、ものを考えるという作業は、かなり頻繁に壁にブチ当たります。

 

 小論文のトレーニング課題をもらって、それについて家に帰ってから考えて考えて、いよいよ壁にぶち当たってしまった。

 そんなとき、あなたならどうしますか?

 

 それでも頑張って考え続ける?それは素晴らしい。立派なことです。

 でも、考えて考えて、それでも先に進まなくなっている時、さらに考え続けてその先に行ける可能性は、かなり低いです。

 テストだったら制限時間いっぱいまで考え続けるしかないですけど、一晩中考えたって、たぶん先には進まないです。

 そもそも考えが壁に突き当たっているときは、気持ちが暗くなってます。そういう時は、あまりいいアイディアは浮かびません。

 

 じゃ、もう諦めちゃいましょうか?でも、それも悔しいですよね。

 

 以前、小論指導を少しだけ担当した、すごく優秀な生徒がいました。

 この生徒は合格後、こういうメッセージを後輩に残しました。

 小論トレーニング中は、いつも頭の片隅に気になる考えを置いていたと。


 

 考えても考えても先に進まない時、ムリに深刻に先に進もうとする必要はありません。というか、そういう時は、まず先には進めません。

 それでも、考えることを全面的にあきらめず、ただ気にし続けることはできます。

 

 気にするだけでいいんです。頭から消さずに、片隅に置いておく。

 気にしながら生活していると、何かのきっかけで「あ!」と思うことがあります。


 とある研究会で聞いた話ですが、聴覚障害のある人を援助する仕事を志す高校生が、志望理由書を書こうとしていた。しかし、なかなかいいものが書けない。そんな時に、たまたま電車で外国人と向かい合わせになった。お互い慣れない外国語で、コミュニケーションが取れたり取れなかったりした。取れたときの喜びと取れないことのもどかしさ。

 そのとき彼は「あ!」と思います。聴覚障害者と自分の間に、こういうコミュニケーションの難しさと喜びがあるのではないかと。

 

 電車で外国人と乗り合わせることは、それほど特殊な体験じゃありません。

 一般の人なら、せいぜい「もっと英語の勉強しときゃよかったなあ」くらいの感想しか持たないでしょう。

 でも、彼は違った。彼はそこで、自分の進路を決定づけるヒントをつかみます。

 それは、彼が自分の志望をずっと気にしていたからです。

 

 気にしていると、他人にとってさほど意味のないことでも、大きなきっかけになり得ます。

 アルキメデスが風呂で「あ!」となったように。

 ニュートンがリンゴで「あ!」となったように。

 

 

 書けないときは、誰にでもあります。

 考えられないときも、誰にでもあります。

 ムリに進もうとする必要はありません。

 でも、あきらめちゃダメです。

 

 気にし続けてください。

 

 気にしているだけでいいんです。

 気分はスッキリしませんが、それはしょうがない。

 気にしていれば、必ず何かきっかけをつかみます。

 


 

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