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ssh574 身体性〜小論キーワード(17)  [小論キーワード]

<2012>

 

 今回の小論キーワードは「身体性」。

 文字通りに捉えれば「からだの上の」ということでしょう。医学ではそういう意味で(身体性情報とか)使うようです。

 しかし、小論キーワードとしての「身体性」は、そういう意味ではありません。ものごとを論じるときに使われる際の「身体性」です。辞書にはあまり載っていません。

 一言で言えば、その人の深い思考や長い経験に基づいているものを身体性があると言います。

 ちょっとわかりにくいですか。

 

 理解しにくいものにぶつかったときの方策として、逆を考えてみるという方法があります。

 今回は、この方法で身体性を理解してみましょう。

 

 身体性のない言説、身体性に欠ける物言いとはどんなものか?

 思いつくまま、箇条書きにしてみます。

  • 定型句・定型表現ばかりである。
  • 他人の意見をそのままパクっている。
  • TVや新聞や雑誌などどこかで聞いたような話である。その人ならではという面がない。
  • 正論だけを述べている。
  • 現実味がない。(現実味と現実的は違います。現実味がないというのは、聞いててウソくさいという意味です。)
  • 誰でも言いそうなことを言っている。多くの人が「そーだ、そーだ!」と同意してくれそうなことを言っている。
  • よく考えた上で出てきたような物言いではない。売り言葉に買い言葉的な、反射的に繰り出されたような言葉を使っている。
  • 結局「だからボク悪くないもん」と言っているだけ。責任逃れ。
  • 上と似ているが、他者の非をあげつらうだけで、自分への視点がまったくない。
  • その意見を述べることで、何の責務もリスクも発生しない。
  • 謙虚さがなく傲慢。自分にはまだ知らない・わからないことがあるはずだという感覚がない。
  • ツイッターみたいな物言いである。
  • 自身の経験に基づいていない。あるいは、わずかな経験だけで一般論をぶちあげている。
  • 「やはり」「当然」「常識」「当たり前」「~に決まっている」「◯◯は××でしかない」などのマジックワードが多用されている。
  • ズバリ、自己無責任論である。(自己無責任論とは、「自己責任論」を他人に対してだけ主張して自分の責任を回避する卑怯者の詭弁です。詳細はリンク先をご覧ください。)

 

 山田ズーニーがこんなことを書いています。

 

◆◆

 「何を言うか」よりも、「だれが言うか」が雄弁なときがある。例えば、同じニュースでも、どのメディアが言うかで、ぐっと印象は変わる。

  ついに宇宙とコンタクト(日本経済新聞)

  ついに宇宙とコンタクト(東京スポーツ)

(中略)話が通じるためには、日ごろから人との関わり合いの中で、自分というメディアの信頼性を高めていく必要がある。(『あなたの話はなぜ「通じない」のか』)◆◆

 

 思うに、この「日ごろの人との関わり合いの中」で、つまり普段の行動や言動から、この人の言うことなら信用できると思ってもらえることが、身体性があるということでしょう。

 

 

 ところでというべきか、それ故というべきか。

 身体性は、責任を伴います。

 

 ある自治体のお偉いさんたちが、ゴルフ場の誘致をしようとしているとします。

 誘致への賛成派と反対派が出てくるでしょう。

 賛成派は経済効果を主張し、環境問題は心配がないと主張するでしょう。反対派はその逆を主張するはずです。

 対立が進めば、賛成派は反対派に対して「環境でメシが食えるか」と言うでしょうし、反対派は「目先のゼニで故郷を破壊するのか」と反論するでしょう。

 

 ただ、この対立で、より身体性の高い主張が要求されるのは、反対派です。

 環境への悪影響は、すぐにはわかりません。

 経済の悪化は、すぐに結果が出ます。

 反対派は、経済面に対しての何らかの対策を打ち出すか、あるいは貧乏に耐えてでも環境を守れと主張するか、とにかくかなり大きな責任を負うことになります。開き直って逃げることは困難です。

 一方、賛成派にも責任はあるのですけど、環境破壊が致命的であったか否かは、数十年しないとわかりません。その気になれば、適当なデータを使って逃げることは可能です。高度成長期の日本はそうやって開発をしてきました。その結果が例えば公害問題です。

 

 その意見を主張すると、自分に責任が発生する。そういう意見は、身体性があります。

 従って、身体性のある物言いというのは、概して少数派であり、概して「だったら証拠を見せろ」とか「対案を示せ」とか言われやすいものです。逃げが効きません。

 身体性のない意見は、誰もが言う意見です。誰もが言うのだから、自分の責任はありません。何かあっても「だってみんな言ってたもん」で逃げられます。

 

 

 今、世の中には身体性のない言説があふれています。

 ネットの世界、TVや新聞の世界、政治の世界・・・ガキのような無責任な物言いだらけです。

 受験生のみなさんは、こういう身体性のない言説とは一線を画して下さい。

 誰でも言いそうな、何の責任も引き受けていない意見は、人の心を決して動かしません。そんなもので気持ちが高揚するのはガキだけです。大学の先生はガキじゃありません。

 身体性のない意見を書いたものは、合格答案にはなりません。

 みなさんは、自分の内面と葛藤して、自分の内心から絞り出した言葉を訴えて下さい。


 

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