SSブログ

ssh563 「RED NOTE」紹介 [おすすめサイト]

<2012>

 

 久しぶりのおすすめサイト紹介です。今回はアメリカ在住の若き研究者のサイト(今は事情があって帰国中だそうです)。日本語サイトですのでご安心を。

 

 タイトルはRED NOTE(リンクになっています)

 

 管理人のREDさんは、東大教育学部を経て世界銀行に勤務。と言っても金融業ではなく、開発経済局データグループというところで、調査研究統計などを担当したそうです。これからUNICEFのお仕事に異動するそうです。

 REDさんの専門分野は「比較教育行政学」。教育畑にいる私にも初耳の分野です。

 

 

 REDさんの記事は、ホントに面白い。

 とかく日本国内での教育論議はイデオロギー対立や事実誤認に基づく非難が多くて実りがありません。私が教育とラーメンは誰にでも語れる(ssh453)と揶揄する所以です。

 ところがREDさんの場合、教育内容に踏み込む前に、まず統計を示してくれます。これが実に刺激的。

 目に留まった記事から引用してみます。(太字は私によるもの。***は省略部分)

 

 まずは、最新の、いじめ問題に関するもの。


 

◆◆***まず、よほど悪質なパターンを除いて、いじめは教員や親の目の届かない所、つまり学校の死角で行われている事が特徴として挙げられます。確かに、教員や親の目の前でいじめが行われるというのは普通はあり得ない事なのでその通りだと思います。なので、いかに学校の死角を減らせるか?、が課題の一つとして浮上してきます。

 次に、人間関係が固定された中間集団で行われる事も特徴として挙げる事ができます。流動的な人間関係であれば、特定の中間集団が嫌であれば他の中間集団へ移ればよいし、固定的な中間集団の中ではいじめを誘発する秩序が前面に出やすいようです。具体的には、小中高のような人間関係が固定的になりやすい場ではなく、大学のような人間関係が流動的に築かれやすい場では、いじめの秩序が前面に出てきづらいようです。どのように人間関係の流動性を確保するかも、課題の一つです。 

 あと、人間集団の中には様々な秩序が併存していて、例えばいじめを引き起こす秩序も、いじめは悪だという秩序も同時に存在しているようです。いじめを行っている集団にいじめは良くない事か?、と聞いてみても、恐らくYESという答えが返ってくると思うのですが、この事が正に様々な秩序が併存しているという事を意味するようです。 

 いじめの秩序が前面に出てくるといじめが行われ、いじめの秩序が後面にいる間はいじめが行われる事はない、という事です。フォーマルな場であればいじめは良くないという秩序が前面に押し出されてくるのですが、インフォーマルや学校の死角となっている場ではいじめを起こす秩序が前面に押し出されてくる、といった感じのようです。つまり、いじめの秩序が前面に出てくる事を防ぐ、というのも課題として挙げられます。***◆◆

 

 続いては、早生まれは不利か?という、よく話題になるテーマについて。

 

◆◆***野球とサッカーでの状況から早生まれはプロ野球選手として活躍できるのか見てきましたが、確かに早生まれはプロ野球の選手になりづらいものの、とりあえずプロに成れてさえしまえば、生まれ月に殆ど左右される事なくプロとして活躍できるようです。しかし、プロ野球選手になれるか否かが生まれ月によって左右される現状は、プロ生活において早生まれが不利を受けていない事・人数が一番多い4-6月生まれの成績が低い事、から養成・選抜段階において早生まれが不利を受けていることを示唆しています。野球少年が生まれた月によってプロ野球選手になれる確率が大きく違ってしまうこと・より高いレベルのプレーをファンは望んでいるのにそれ相応の選手が入団していない事、は許容されるべき事ではないと僕は考えます。 

 学力に関して、早生まれが被る不利の程度は留年の有無や入学を遅らせるせる事が出来るか否かの2点に左右されると言われています。日本の自動進級制・入学遅滞の禁止に代表される硬直した教育システムは、確かに教育資源を効率的に使用する事ができるメリットはあるのですが、早生まれに代表される不利を抱えた子どもに対して教育資源を効果的に使用する事ができないというデメリットも存在します。 

 学力に関しての研究状況から、早生まれの子どもがプロ野球選手になりづらいという現状を変えるためには、留年・入学遅滞が許されるより柔軟な教育システムを取り入れていくか、現在の公平な教育システムから不利を抱えた子どもに教育資源を集中的に投資する公正な教育システムへの転換が求められると考えます。(早生まれはプロ野球で活躍できないのか?7.早生まれはサッカー日本代表で活躍できないのか?&まとめ) ***◆◆

 

 

 3つ目は、少子化と女性の高学歴化の関連性についての考察。

 

◆◆ 高学歴女性が子どもを産めない理由はいくつかあるのでしょうが、僕の専門分野の中では人的資本論で有名なベッ カーが学歴と子どもについて2つの理論を出しています。 一つ目は高学歴女性の放棄所得に関するものです。女性の高学歴化が進むと、これに伴って女性の賃金も上昇するため、出産・育児による放棄所得が大きくなり、完結出生児数が減少する、というものです。日本でも1985年以降、女性の大学進学率が高まり、かつ総合職への進出が進んだために、女性の出産・育児に関する放棄所得が大きくなった事は、とりわけ大卒女性層で、間違いないと思います。***

 もう1つは子どもの数と質です。***学校に行かせるよりも働かせたほうが利益が大きいのであれば沢山子どもを産んだ方が良い、というのは少し形を変えて途上国やアメリカでもアーミッシュのような伝統的な生活をおくる層の高い出生率に表れています。教育のリターンに関しては、学歴の高い層ほどそれを理解できるようなので、女性の高学歴化が進むと子どもの数を減らして一人当たりの教育費を増やそう、というメカニズムが働きます。 日本は教育システムがしっかりしていて学歴がsubstantialなリターンを生んでいるために、高学歴女性の放棄所得が高くなってしまうし、高いリターンを子どもに得させるべく一人当たりの教育費を増やそう、となってしまい少子化が進んでいると教育分野からは考える事ができます。***

  保育所を整備して女性が働きながら育児ができる環境を整える、子どもを抱えながら働きやすい環境を整える、男性も積極的に育児に参加する、この辺りが出産・育児にまつわる女性の放棄所得を抑える有効な手段、と考えたのですがあんまりにも当たり前で、だったらとっくにこのイシューは解決されているはずでしょうから、ここに至って少子化の原因を誤認しているんじゃないかな、と不安になってきました。 ただ1ついえるのは、女性の高学歴化が進むと少子化が進む、というのは80年代で既に教育開発分野では常識だったにも拘らず、対策を立てることなく教育機会を拡大させたのは、政策間の連携の不備という事ですね(高学歴女性と少子化) ◆◆

 

 

 次に、大学の数は多すぎるのか?について。

 

◆◆***先に僕の考えを書いておくと、日本の大学数や入学定員は決して過剰ではない、です。

 大学生が多すぎるのではないかという議論は日本だけでなく、アメリカでも行われています。今年に入ってからでも、NY TimesDo we spend too much on Educationという議論が行われていますし、US NewsでもIs a college degree still worth it?という議論が行われています。日本の仕分けと違って意見が半々に分かれていますが、注目すべきはEconomics of Education分野の研究者が全員「大学生の数は過剰ではない」としている所です。***

 ではどうして提案型政策仕分けは大学の数は過剰であるという誤った判断を下したのでしょうか?

 一つ目の理由は、18歳人口の推移をもって大学が過剰であると導いているからです。***例えばある途上国で12歳人口が減少しているのに中学校の数を増やした場合、12歳人口が減少しているのに中学校を増やすなんて誤りだ、となるでしょうか?***答えはもちろんNoです。ある教育段階が過剰かどうかは、その教育段階の収益率が教育投資額に見合っているかどうかからしか判断できません。昔、社会主義国が各労働セクターでどの程度の教育を受けた人間がどの程度必要か?という予測を元に教育の量を調整するマンパワー計画で失敗しましたが、18歳年齢人口を元に教育の量を判断するこの仕分けは全然教育のアウトプットを見ておらず、旧社会主義国以下の失敗を犯していると言っても過言ではないでしょう。 

 提案型政策仕分けの誤りの2点目は、国立大学生一人当たりの公財政支出は他国と比べても少なくない、と考えた事です。それそのものは間違いではないのですが、そもそも各国によって国立大生の割合は大きく異なるので、国立大学生一人当たりの公財政支出の比較は意味を成しません。さらに、日本は私大生の割合が極めて高い国の1つなので、この指標が良いのは当たり前です。ちなみに、日本は約79%の大学生が私大生ですが、韓国が80%と日本より高い以外は、シンガポールの61%、アメリカ26%、フランス18%、フィンランド11%、となっておりいかに日本は国立大学生が少ないかが分かるかと思います。 

 提案型政策仕分けの誤りの3点目は、定員割れが大学生(and 高校生)の学力を低下させていると考えている所です。まず、国際学力調査の結果を見ると高校生の学力が低下しているという現象は認められません。そもそも、途上国の教育に携わる者の中では常識ですが、教育の量の拡大期には教育の質は落ちてしまいます。これは、従来その教育を受けられなかった層は基本的に低SESで低学力であり、その層が新たにその教育段階に入ってくるわけなので、その分だけ平均は下がってしまいます。同様の事は戦前・戦後の日本の高校教育にも現れています。これが、日本の大学生の学力の低下の本質であり、特に新たに高等教育を受けられるようになった層と接する機会が多い人達が、過剰に大学生の学力が低下していると叫んでいるのが特徴です。個人的には新たに高等教育を受けられるようになった層の学力を嘆く前に、ご自身の学力を嘆いて頂きたいのですが *** 

  まとめに入ると、いくつかの分析の結果から考えると日本の大学教育の私的収益率は6%程度はあると考えられているし、失業率を比較しても大卒の失業率は高卒の失業率よりも低くなっています。また、教育の効果は賃金だけでなく、健康面にまで及ぶと言うのが通説で、医療費の問題を抱える日本にとっては見逃せない大学教育の効果の1つと言えるでしょう。さらに、学歴分断社会や若者はかわいそう論のウソで論じられているように、高卒ブルーカラー職の非正規化・海外流出が進み、より一層高卒層が厳しくなる中で、大学の質を上げようというのではなく大卒の数を減らそう(=高卒層を増やそう)というのは、国家的自殺行為であると言えるでしょう。 *** (日本の大学は多すぎるのか?)◆◆

 

 

 もう一本だけ。日本の教育への公費支出について。

 

◆◆ ***簡潔にまとめるとGDP比の公教育支出は 

GDP比の教育に対する政府支出の割合= 政府の規模×政府支出に占める教育支出の割合 

GDP比の教育に対する政府支出の割合= (GDPと比較しつつ)学生の人数×学生一人当たりの政府予算 

という2式で表現され、うち2項は政府の教育に対する姿勢とは無関係に決まってくるので、GDP比の公教育支出が低いのは政府の政策によるものなのかどうか、データを用いて検証する事が必要となります。 

 ***改めてみるとコメントする気が失せますが、日本のGDP比公教育支出はOECD諸国の中でも最下位でかなり低い値を示しています(グラフ省略***

 途上国だと、政府の徴税能力の問題などで政府がそもそもあまり大きくなりきれないのに、授業料無償化を実施し、政府支出に占める教育支出の割合が20%を超えたりもします。先進国だと12-15%ぐらいが標準的かな?という印象です。さて、日本はといえば、普段途上国のこういうデータばかり見ていて日本の教育財政に関するデータをちゃんと見た事がなかったのですが、これは酷いですね。正直ここまで日本政府が教育に予算を割いていないとは思っていませんでした。日本は資源がないから人材が命だとか、科学技術立国だと政府は言っていたような気がするのですが、僕の記憶違いかもしれません。

 ***まとめると、日本の政府の規模は決して大きいとは言えませんが、政府予算の中から教育に使われるのは極僅かだし、しかもそれは学生の数が少ないからというよりも、そもそも学生一人一人に政府による支援がしっかり行われていない、というどうにも救い難い政策を政府が取っている事が分かりました。◆◆

 

 

 ちなみにREDさん、つい最近ご結婚なさったそうです。おめでとうございます。


 

nice!(1) 

nice! 1