ssh565 受容と拒絶〜小論キーワード(16) [小論キーワード]
<2012>
今回の小論キーワードは「受容」と「拒絶」です。
受容とはつまり、受け入れること。英語だとacceptです。
受容の反対は拒絶です。受け入れないこと。英語だとneglect、reject、turn downあたりでしょうか。
どちらもよく使う言葉です。
申し出を受け入れる。申し出を拒絶する。新しい文化を受容する。新しい文化を拒絶する。別段難しくありませんね。
ところが、この言葉は、目的語が人間になると、途端に話がシリアスになります。
親が子どもを受容する。親が子どもを拒絶する。
彼女のありのままを受け入れたい。私のありのままを受け入れて欲しい。彼は本当の私を最後まで受け入れてくれなかった。
あのクラスは担任を拒絶している。あの先生は言うことを聞かない生徒を拒絶している。
子どもは自分を受容して欲しいと願っている。などなど。
一人の人間を受容する/受け入れるというのは、高校生くらいだとピンと来ない人が多いのじゃないでしょうか。
いや、大のオトナでも、よくわからないという人は多いはずです。でなきゃ親子関係で悩むオトナがたくさんいるはずない。
一人の人間を受容する/受け入れるというのは、その人の行為や実績や経歴やその他を勘案する前に、まずその人の存在そのものを「よきもの」として認めるということです。
言うことを聞くからいい子だとか、学校の成績が優秀だから誇らしいとか、確かにそういうのは親としてとても嬉しい。
でも、その前に、子どもがいてくれること自体が自分にとってありがたいことである。
存在そのものが「よきもの」であるというのは、そんな感覚です。
人間は、他者に受容されることを切に願っています。
「私は誰にも受容されていない」という感覚くらい悲しくて苦しいものはない。誰にも受容されていないというのは、つまり「お前なんかいてもいなくて同じだ」と言われているのと同じです。
受容されていないと絶望的になった人間は、自分を認めてもらうために極端な行動に出がちです。
弟や妹が生まれて親があまり面倒を見てくれなくなった幼子は、赤ちゃん帰りをしたりいたずらをして親の気を引こうとします。
親から無視された子どもは、暴れたり非行めいた行動に出て親の関心を引こうとします(本人にその意識があるとは限らない)。
恋人同士であれば、相手の気を引くためにわざと浮気のような行動に出ることがあります。
派遣労働の繰り返しで「お前の代わりはいくらでもいる」と思い知らされた人間は、自殺や凶行に走ることすらあります。
ところが、世の中は全体として、他者を受容することがヘタクソになっています。
親は子どもの成績にやたらと振り回される。
学校も似たようなもんです。
今やタレントですら学歴が評価対象です。
会社は人間をただの「人材」としか見ない。人件費というコストに見合う働きをするかどうかにしか興味がない。
世の中、数字と結果でしか人間を評価できない人が増えてます。
受容ということについては、一つ面倒な問題があります。
数字や結果を認めるのは、至って簡単です。誰にでもできる。
それに対して、受容というのは、明確なYes/Noがわかりにくい。
特に当事者にはよくわからない。
「私はあの人に受容されている」「私はあの人を受容している」と口で言ったところで、さて本当にそうかなあ?という疑いはいくらでもかけられる。
子育てに悩む親御さんが「あなたは自分のお子さんを受容していますか?」と問われても、たぶん口ごもるでしょうね。私だって答えに窮します。
ただ、当事者にはよくわからないくても、他人の目には割とよくわかります。
特に、表面的には険悪であっても、相手のことを受容しているという関係は、傍目にはよくわかる。
あんなにケンカしてても、あの2人って結局仲が良いんだよねえ。
あんなろくでなしの親でも、やっぱり子どもにとっては親なのかねえ。
全然子どもの面倒見てないと思ってたけど、いざとなるとやっぱり子どもは可愛いんだろうねえ。などなど。
受容しているか否かを判別するヒントを一つだけ挙げるとすれば、
その人の欠点や問題点や課題を、愛おしいとか可愛いとか面白いとかいうふうに思っているか?でしょうかね。
よく遅刻する生徒がいたとします。
「遅刻なんかしていいとでも思っているのか!世の中は甘くないんだ。直さなければ社会に受け入れてもらえないぞ!」と常に言っている人は、その生徒を受容していないでしょう。
「まったくお前は、どうしてこう遅刻が多いんだろうなあ・・・。」という人は、割とその生徒を受容しています。
「お前はいいところもあるんだけど、遅刻だけはなかなか直らんなあ。でもこのままでいいとは思ってないよな?」と言う人は、その生徒を確実に受容しています。
あるいは、その生徒に関して、こんな会話があったとしましょう。
A先生「B先生のとこの◯◯って子、遅刻が多くて困りますよ。何とかしてもらえませんか。」
B先生「いや、すみません、ご迷惑おかけして。あいつは前々からそういうところがありまして。でも、あれでも去年よりはいくらかマシになってきてるんですよ。」
A先生「マシって、1時間目なんか2回に1回遅刻ですよ。そんなんじゃどうしようもないじゃないですか。」
B先生「何言ってんですか。去年なんか8割方遅刻してたんですから。いやもちろん今のままでいいはずないですから話はしますけど、まああの子はちょっと時間がかかりそうで、長い目で見てやる必要があると思うんですが。」
A先生「そんなの甘いじゃないですか。もっと厳しく指導しなきゃダメですよ。」
A先生は、◯◯君を受容していません。
B先生は、◯◯君を受容しています。
もし◯◯君がA先生の授業に特に遅刻が多いとしたら、A先生の拒絶が◯◯君に伝わってしまっている可能性大です。
あの人には、そういうところがある。
そう言ってしまえる場合、その人を受容していると考えていいと思います。
受容と拒絶がもっともキーワードになるのは、教育系の小論文です。
子どもが成長する上で、他者(特に親や先生)に受容されるというのは、死命的に重要です。
ついで、医療系・人文科学・社会科学あたりでキーワードとなります。
あと、油断ならないのが英語の長文。accept/acceptanceやreject/rejection/turn down/neglectなどの表現で、一人の人間を受容/拒絶する話がけっこう出てきます。
ということは、小論の有無に拘らず、このネタはみんなが理解していないということですね。