ssh589 共存を望むか拒むか、それだけではないのか [競争と共生]
<2013>
本当に大切なものって、結局、一つだけなんじゃないでしょうかね。
いきなり大げさなスタートですみません。でも、ここのところ、そんなことをずーっと考えていたんです。
受験にしても、進路選択にしても、面接小論志望理由書にしても、教育問題にしても、メディアにしても、政治経済外交その他のもろもろの問題にしても、親子関係にしても何にしても、「本当に大切」なものって、たった一つじゃないか。そう思ったんですよ。
それは、共存。
立場や意見や好みや文化やその他の違いを持つ他者と共存しようと思うのか、思わないか。
自分の中に、さまざまな意見や感情や価値観を共存させておくことを良しとするか、悪しとするか。
共存を望むのか、それとも共存を拒むのか。
結局、それだけなんじゃないかと。
受験であれば、自分の現在の実力という事実を受け止め、その上で自分の求めることをどう実現しようとするか。どちらかを否定することなく、現実も理想もごまかさずに共に受け止め、その上で次のステップが歩みだせるかどうか。理想と現実を共存させる覚悟があるかどうか。
面接小論志望理由書であれば、テーマをきちんと受け止め、自分にできることの限界を知り、その上で、せめて今の自分にこれだけは言えるというものを表明できるかどうか。自分の無力と自分の意思を共存させる気持ちがあるかどうか。
教育現場であれば、現状を正面から受け止めつつ、「ムリだよ、できっこないじゃん」とか「政治が悪いんだよ」とか諦めることなく、せめて自分たちにできる最善の策を考えるかどうか。
政治問題であれば、自分と意見の異なるものを「反日」だの「反動」だのと斬って捨てるのではなく、そういう相手とも、同じ国の人間あるいは同じ世界の人間として、相互理解とまではいかなくても、共存していこうと思うかどうか。
その中でも、特に大切なこと。
それは、自分の中に、相反する視点観点を共存させる覚悟があるかどうか。
感情的には好かないけど、言っていることは納得できるんだよなあ、とか。
立場としては従うべきなんだけど、どうも納得できない、とか。
こうするのが仕事とはいえ、こんなことしていいとは思えない、とか。
よくないとは思うけど、それを口にすることは自分の利益に反する、とか。
そういう相互に矛盾するものを、両方とも抱えていく覚悟を持てるかどうか。
たぶん、それが一番大切なことだと思うのですよ。
ただし。
そういう相反するものごとを抱えていると、すごく落ち着かない。スッキリしない。不快です。
こういうときは、どちらかを捨ててしまえば、すごくスッキリする。
「世の中はキレイゴトじゃないよ」
「お前もまだまだ青いな」
「職責を全うするのが社会人だ」
「この世界は結果がすべてさ」
「家のローンが終わるまでは・・・」
そうやって自分に詐術(さじゅつ)をかけて納得させれば、不快感はとりあえず消えます。
多くの人たちが、そうやって「どちらか」を捨てることを選択しています。
でも。
その結果が、例えばネット上の暴言であり、例えば職場のセクハラやパワハラやブラック企業であり、例えば東電の無責任体質であり、例えば米軍基地問題であり、例えば体罰問題であり、例えばマスメディアの使命放棄であり、例えば外交の無策であり、例えば民主党政権の断末魔だったんじゃないでしょうか。
「どちらか」を捨てること。それは魂を捨てることなのかもしれません。
大切なことは、たぶん一つです。
異なるものを拒まず、共存しようという意思を持つこと。
たぶん、それだけです。