ssh642 装飾語句を捨てる [作文技術]
<2013>
小論文や記述テストの答案をチェックしていて、「はは~ん、こいつはかなりテレビを見てるな」とピンとくる生徒がいます。もちろん悪い意味で。
テレビっ子(古い言い回しだなあ)の文章は、修飾語句がヘンテコなんです。
最近の英語のテストで、鳥の身体がsmooth shapeであるということを問う問題を出しました。
想定される正解は「滑らかな形状」「凸凹のない形」「流線型」あたり。
ところが、ここに「しなやかな形」と書いてきた生徒がそこそこの人数いたんです。
「しなやか」というのは、元来、弾性があるという意味です。そこから派生して、動き(しなやかな身のこなし、など)を表現するのに使ったりもする。でも、形状を形容する言葉じゃありません。
「しなやかな形」という言葉に違和感を持たなかったとしたら、それはキャッチコピーのせいでしょう。
TVや宣伝のキャッチコピーでは、印象を強くするために、わざと本来の意味とはちょっと違う用法を使います。意図的な誤用ですね。美味を表す「おいしい」を「おいしい生活」と使ってみせるとか。
まずいことに、テレビっ子のみなさんは、ただでさえ不正確な修飾語句を、量的にも多用します。質も量も問題大ありでして。
ものごと何でも、長くたくさん使っていると、だんだん慣れてきて、刺激が弱くなります。
テレビとか宣伝とかいうのは、刺激がないとにっちもさっちもいきません。とにかく刺激が欲しい。
すると、表現がどんどん大げさになっていきます。
スポーツであれば、特に意味のある試合を「決戦」と言ったり「大一番」とか言ったりしますけど、それだけだと刺激が足りなくて、やたらと修飾語句をつけて誇張するのですね。「運命の一戦」とか。
最近のハヤリは「絶対に負けられない戦い」ですかね。まーずいぶんと悲壮感漂う言い草ですな。おかげで、いろんな競技のいろんな選手が「絶対に負けられない戦い」を戦わされてます。で、何度も負けてます。
テレビはネタや予算が厳しくなると、よく過去の映像を使い回します。懐かしい映像は見ていて楽しいものですけど、あちこちの局が似たような企画に走ると、過装飾が始まります。
「秘蔵映像」「お宝映像」「秘蔵お宝映像」「貴重お宝映像」「幻の貴重お宝映像」果ては「超レア!二度と見られない!幻の秘蔵お宝映像大公開!」とかなんとか。その実は、ヨソの局で流したものと同一だったり、You Tubeでいつでも見られる動画だったりします。
キャッチコピーの世界は、修飾語句というより、装飾語句でしょう。キラキラギラギラゴテゴテクドクド豪華絢爛針小棒大にチョー刺激的な語句をこれでもかとてんこ盛りするのが流儀。って、この段落も相当に過装飾ですが。
修飾語句を使い過ぎることには大きな弊害があります。
最大の弊害は、何も考えていないのに、何か考えているような錯覚に陥ることです。
例えば、「国際化の進む現代では、コミュニケーション手段として英語力は必要である。」なんて書いてきた生徒がいたとします。
私は即座にツッコミを入れます。
国際化って、どういうこと?
現在は、本当に国際化が進んでいるの?
コミュニケーション手段って、何?
英語じゃなければ、コミュニケーションは取れないの?
国際化なんかどーでもいいという人にとっては、英語は不要なの? などなど。
で、たいてい、生徒は返答できません。
当然です。彼ら彼女らは、深くものを考えもせず、耳当たりのいい言葉を並べただけなのですから。それが「いい文章」だと勘違いしているのですから。
ここから、生徒たちに格闘が始まるのです。本当に自分の身体から発せられた、ツッコミを許さない言葉でものを語る格闘が。
ひとつ厄介なのは、世間一般のフツーのオトナは、装飾語句をよきものと捉えていることです。一般大衆がそれでいいと思っていることとの決別を求めるのは生半可なことじゃありません。
大学進学を志す高校生であれば「キミたちは世間一般の人たちよりはお利口さんでなきゃならないはずだ」と訴えることができるのですけどね。