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ssh661 差別と偏見〜小論キーワード(21) [小論キーワード]

<2014>

 

 9ヶ月ぶりの小論キーワードです。

 今回のキーワードは「差別」と「偏見」。

 英語だと差別はdiscrimination、偏見はprejudice。もちろん高校生なら必須の単語です。

 

 差別と偏見。感覚的には似てます。普段の生活では、差別と偏見の違いをいちいち気にはしていません。

 実際、授業中に生徒に「差別と偏見の違いは何?」と聞いても、たいてい口ごもります。

 でも、違いはあります。それもかなり明確な違いが。

 

◆◆

 差別(さべつ)

 1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者のを明らかにする」

 2 取り扱いに差を付けること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によってしない」「人種ー」

 3 仏教用語の差別(しゃべつ)(意味省略)

 

 偏見(へんけん)

 かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。「を持つ」「人種的

 (大辞泉)◆◆

 差別は、差を付けて不当に扱うこと。

 偏見は、偏った見方や考え方。

 差別は、現実世界で他者に対して差別行為を行うこと。

 偏見は、自分の内面にある偏ったものの見方や考え方のこと。

 差別は、外界に向けていろいろな形でなされるもの。

 偏見は、頭の中にあるもの。

 

 つまり。

 差別は行為であり、偏見は価値観である。

 もっと言えば、内的な偏見を外的な行為に移したものが差別である。


 

 この世の中に、偏見をまったく持たない人間はいません。誰しも大なり小なり偏見を抱えています。もし「私には偏見などない」と断言する人がいたら、あまり信用しない方がいいでしょう。

 かく言う私だって、偏見はいっぱい持っています。

 

 ただし。多くの人は、偏見は持っていても、差別行為はそれほど行いません。

 昨今はアジアの人々に対してあからさまに差別行為を行う日本人がずいぶんと増えました。困ったことです。

 それでも、ヘイトスピーチやヘイトデモがニュースになるというのは、そういうことをしない、いいと思わない人々がまだまだ大多数である証拠です。

 

 差別行為は犯罪行為です。たとえ摘発されなかったとしても、国際的にも国内的にも犯罪です。刑法犯にならなかったとしても、民事訴訟になれば確実に断罪されます。

 

 しかし。偏見そのものは犯罪とは言えません。

 極端な話、人種や性別に対してひどい偏見を持った人間であっても、それを吹聴したり、相手に差別的な言葉を浴びせたり、扱いに差別をしたりということをまったくしないのであれば、その人が咎められることはありません。偏見を持っているというだけなら、社会的に咎められることはない。

 偏見は、差別という行為に移したときに、初めて犯罪となります。


 逆に、差別行為を断罪されることで、偏見の持ち主であることが明らかになることもあります。

 本人は偏見などないと思っているのに、あるいは偏見の「へ」の字も意識していないのに、差別的な言動や行動を行って、それによって偏見の持ち主であることが判明する。

 ずいぶん前に新聞で見たのですけど、どこぞの高校の校長が、出産休暇の申し出に来た女性職員に「だから女の先生は面倒なんだ」と口走るハラスメントを行ったとか。この校長、それまでもパワハラまがいの言動があってかなり職場を混乱させていたところにこのセクハラという差別行為を行い、堪忍袋の緒が切れた職員集団から総スカンを喰らい、県教委の偉い人たちが収束に乗り出す騒ぎになったとか。

 この校長、自分が女性蔑視の持ち主だという認識などなかったのでしょう。断罪されて初めて自らの偏見を認識したかもしれません。

 

 当然ながら、セクハラもパワハラも犯罪です。公務員の世界では非違(ひい)行為という言い方が一般的です。


 差別はなくすべきものです。しかし、なかなかなくならない。

 差別の原動力は偏見です。差別をなくすためには、偏見をなくすのが一番いい。

 我が国の同和教育や人権教育も、そういう方向性で行われてきました。

 偏見を是正する活動は、今後も重要だと私も思います。

 

 ただ、私は偏見を徹底的になくそうとすることには限界があると思います。

 既述のように、人間は誰しもいささかの偏見を持っています。

 その偏見を片っ端から挙げつらってことごとく否定しようとすれば、反発したくなります。

 男女は平等だと何十回も言われていると「んなこと言ったって女ってヤツはさあ・・・」てな反発の一つもしたくなります。反論の余地のない正論というのは説教臭くてうっとうしいものです。

 昨今、東京を中心に頻発しているヘイトスピーチやヘイトデモで非違行為に燃えている若者にしても、人種差別はいけないことだという「正論」にうっとうしさを感じ続けて、それが一気に爆発して爽快感を味わっているのかも知れません。やってはいけないことをやるとスカッとするのは、子どもっぽいとは言え、人間の本性です。

 

 私は、差別行為そのものをきちんと断罪することが優先じゃないかと考えています。

 だって犯罪なんだから。

 なぜシナ人や朝鮮人を非難してはいけないんだ、オレたちは日本のためになることをやっているんだとリキむ若者に対しては、「これは差別行為で違法です」と言って解散命令なり拘束なり書類送検なりすればいいのだと思います。

 

 偏見をなくすのは大変です。人間の内心はなかなか変わらない。

 でも、差別を減らすことはできると思います。要は「やってはいけない行為」を明確にして、それを断罪すればいい。

 内面を変えることばかり考えず、まず非違行為を防止すればいいのじゃないかと私は思います。


 そういう点で、石原慎太郎みたいな露骨なレイシスト(人種差別主義者)でセクシスト(性差別主義者)をずーっと甘やかしてきた右派メディアは本当に犯罪的だと思います。昨今のヘイトスピーチの興隆はそういう態度が生み出したものです。

 差別主義者は、それだけで公の場から退場させるべきです。それが先進国の常識です。

 少しばかり仕事ができるとか、いいことを言ってみせるとかいうことがあっても、差別をする人間はもうそれだけでNGです。差別というのはそういう重大な行為です。


 

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