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ssh675 あのころ日東駒専は高嶺の花だった〜ssh669の余白 [教育問題]

<2014>

 

 ssh669「安近短」とは言うけれど は、昨今の受験生の進路選択について書いたものです。

 昨今の大学受験は「安近短」、すなわちできれば学費の安い国公立大学か自宅に近い地元か近隣地区の大学へ、推薦AOセンター利用などを駆使して短期間に進学先を決めるのがを終えようとするのが大きな傾向であると言われています。

 何と安易で夢のない若者たちだ、と、こういう傾向は世間様の批判を受けやすい。しかし、今日の経済状況と学費の高さを考えればむべなるかな、というのがssh669の主張でした。


 先日、某有名予備校の方から、ちょっと納得できる話を聞きました。

 「安近短」を読み解くヒントに、受験生の保護者の経験を考えるといいというんです。

 

 一口に受験生の保護者と言っても幅がありますが、一番多いのは40~50歳くらいの方々でしょう。生まれ年で言うと1965~75年あたり。つまり昭和40年代生まれ。

 彼ら彼女らが高校を卒業したのは1983~93年ころ。Japan As No.1などともてはやされたバブル時代とその前後です。大学進学率も上昇していたし、何よりも空前の好景気で教育費は相対的に低くなっていました。

 女子大生という言葉が女子大に通う学生という意味から、大学生のオンナのコという意味に変わったのもこのころ。青山学院在学中の川島なお美が時代のアイコンでした。秋元康センセイが「女子大生」をプロデュースして大ウケして現在の足場を築いたのもこのころ。「女子大生=バカ」というのは時代のトレンド。でもそんなのカンケーない。バブル景気の日本では、就職に困ることなどありませんでした。

 

 そういうご時世だったので、世の若者たちは楽しい大学生活をエンジョイするためにこぞって華やかな大都市(特に東京)の大学へと進みました。地方の大学なんてダサくて行ってられない。大学の人気はキャンパスの立地条件で大きく左右されました。

 

 当時、東京の一等地にキャンパスを持つ私立大学は、軒並み競争率が高く、なかなか受かりませんでした。

 日東駒専などと呼ばれる日本大・東洋大・駒沢大・専修大すら相当な難関。

 それが、受験生の保護者の経験的価値観なんです。


 

 現在の受験生の親御さんからすると、子どもが上記の大学に進めるというのは、心底喜ばしいことなんですね。

 私達があれほど苦労した大学に自分の子どもが行ける。すごいじゃないか、と。


 センター利用入試でそこそこの私大に合格すると、その先の入試を辞めてしまうというのは、安直とか根性なしという理由だけじゃない。その合格は、親を十分に満足させる価値を持っている。だから親としては、もう十分じゃないかと思うのですね。

 

 言ってみれば、バブルの副作用なわけです。なるほど。


 ま、こちらとしては、それでも最後までベストを尽くすように促しますけどね。

 それで結果が変わらないとしても、最後まで頑張ることは絶対にプラスになりますから。

 

 


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