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ssh731 社説の読み方〜違憲だ、いや違憲じゃない編(2) [社説の読み方]

<2015>

 

 天下無敵の安倍内閣の様相を一転させた安保関連11法案。ssh730では法案を批判する毎日クンと朝日クンの社説を紹介しました。今回はその続編。法案を支持する2紙の社説です。

 

 まずは読売クン。(太字はshiraによります)

 

◆◆集団的自衛権 脅威を直視した議論が大切だ (2015.6.11.)

 日本の平和を確保するには、憲法との整合性を前提として、現実の脅威や安全保障環境を直視した議論が大切である。

 政府は、集団的自衛権の限定行使を容認する安保関連法案について、「従前の憲法解釈との論理的整合性が十分に保たれている」とする見解を発表した。

 1959年の最高裁の砂川事件判決は、日本の存立を全うするための自衛措置を可能とした。72年の政府見解は、国民の権利を守るための武力行使を認めた。今回の政府見解は、一連の「基本的な論理」が維持されると指摘した。

 一方で、日本の安保環境の根本的な変容を理由に、他国に対する第三国の攻撃でも「我が国の存立を脅かすことも起こり得る」とし、自衛の措置としての集団的自衛権の限定行使を容認している。

 妥当な内容である。日本を取り巻く関係国のパワーバランスの変化や、軍事技術の革新的な進展、大量破壊兵器の拡散などによって他国への攻撃が日本の安全を脅かすシナリオは十分あり得る。

 朝鮮半島有事が日本に波及する場合、弾道ミサイルや大量破壊兵器がなかった時代と比べて、今はその脅威が格段に増している。

 そもそも国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」に日本が陥った場合、自衛隊を動かさず、傍観しているだけで良いはずがあるまい。

 事態がより危機的な状況に発展する前に、早期収拾を図ることは合理的な対応でもある。

 疑問なのは、法案を憲法違反と明言する憲法学者の尻馬に乗るように、解釈変更による集団的自衛権の行使容認を「違憲」とする声が民主党内に出てきたことだ。

 民主党は4月にまとめた党見解で、「安倍政権が進める集団的自衛権の行使は容認しない」として、将来の行使容認に含みを残していたのではなかったのか。

 自民党の高村正彦副総裁が「憲法学者の言うことを無批判にうのみにする政治家」を批判しているのは、理解できる。

 憲法学界では、自衛隊についても、伝統的な解釈に沿って「憲法が保持を禁じる『戦力』に該当する」などと主張する向きが少なくない。現実の政治との乖離(かいり)が指摘されるゆえんである。

 中国の軍備増強や海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発などを踏まえれば、憲法の範囲内で自衛隊の役割を拡大し、日米同盟と国際連携を強化して抑止力を高めるのは当然だ。国会でも、そうした観点の論議を展開してほしい。◆◆


 

 読売クンが今のような右派丸出しのスタンスになったのは1980年代あたりから。そうは言ってもそこは日本一の部数を誇る大新聞社、知性らしきものは見せていました。

 しかし、今回ばかりは、与党の主張を丸々なぞっているだけでいただけません。

 砂川事件判決についての言及は、毎日クンの指摘を読んだ後ではいかにも興ざめです。

 集団的自衛権の「限定行使」や「存立危機事態」についても、その内容のあいまいさが指摘されているにも関わらず、政府答弁まんまの引用で何の解説にもなっていません。

 高村正彦の答弁も「理解」しちゃいかんでしょうに。専門家の意見を「うのみ」にするって。いつから政治家は専門家よりエラくなったんですか。

 最後の「憲法学会では・・・」については、前回の朝日クンが引用した枝野幸男の発言を完全に無視してますね。現在の憲法学会では自衛隊の違憲性はテーマになっていません。今回招致された3人も自衛隊が違憲だなどとは一言も言っていない。

 

 とにかく今回の読売クンの社説のもっともマズいのは、安保関係11法案が違憲ではないという論拠として、独自のものが何一つないことです。他人の主張と同じことをなぞらえるだけの意見文に存在価値はありません。読売クンは自らの存在価値を否定してしまっていることに気付いているのでしょうか。

 

 

 2本目は、もちろん産経クン。


◆◆憲法と安保法制 「戦争抑止」へ本質論じよ(2015.6.12.)

 安全保障関連法案の審議で「憲法違反の戦争法案」か否かが大きな焦点となり、政府が防戦に追われるようなおかしな事態が生じている。

 法案の本質は、日米共同の抑止力を強め、日本の平和や国民の安全を守ることにある。言い換えれば「戦争抑止法案」である。

 にもかかわらず、野党側は厳しさを増す安全保障環境や実効性の高い防衛政策への考察は軽視している。「違憲」「戦争に巻き込まれる」といったスローガンばかりで、成立阻止の攻防に持ち込もうとする姿勢は極めて問題だ。

 それに付き合って、政府側が釈明に終始するような対応も、国民の理解を得るのは難しい。

 大きなきっかけとなったのは、衆院憲法審査会に招いた参考人の質疑で、3人の憲法学者がいずれも、集団的自衛権の限定行使を容認する関連法案を「違憲」と断じ、「法的安定性を大きく揺るがす」などと批判したことだ。

 もとより、憲法審査会は関連法案の審議場所ではない。だが、自民党が推薦して招いた参考人まで違憲を唱えたことが野党側に勢いを与えた。人選ミスをめぐる責任の所在は明確にすべきである。

 憲法9条の解釈に関し、昭和34年の砂川事件最高裁判決は「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めている。

 サンフランシスコ講和条約や新旧の日米安保条約では、日本に国連憲章上の個別的自衛権と集団的自衛権があると明記している。

 その後、政府は47年や56年などに示した見解で、保持できる戦力は必要最小限度で、集団的自衛権の行使はその範囲を超えるとの判断をとった。

 周辺環境の激変に応じ、砂川判決の下で新たな解釈をとろうというのが今回の安保法制だ。違憲と決めつける議論は的外れだ。

 占領期に作られた現憲法は、独立国の安全保障の観点からは欠陥だらけだ。政府が時々の安保環境や科学技術水準を踏まえて解釈し、自衛隊保有などの政策をとってきたのが実情といえる。

 菅義偉官房長官は「今の安保体制で国民の生命や平和な暮らしを守ることは厳しい」と答弁した。従来の解釈では日本を守りきれない。その危機を乗り切る法案を審議していることを、何度も丁寧に国民に訴える必要がある。◆◆

 

 ん~。さすが産経クン。読売クン以上に論理がぶっ壊れてます。

 勝手な想像ですが、この社説を書けと命じられた人は、相当な良心の呵責と戦ったか、さもなくば相当能天気な人じゃないでしょうかね。

 

 産経クンは昔っから議論が不利になると「論点」とか「本質」とか言う言葉を繰り出すクセがあります。論点をそらすなとか、本質はそこにはないとか。産経ウォッチャーを自負するshiraの長年の観察から言えることです。今回もそれに陥っています。

 でもこれ、意見文として極めて危険な行為です。

 論点とか本質というのは、この土俵で戦うのが正しいという、いわば議論のルールを提示する行為です。ルールそのものに問題があれば、議論は成立しません。

 今回、産経クンは、「法案の本質は日米共同の抑止力を高め・・・」と書いちゃってますが、この部分に問題があると指摘された途端に、産経クンの議論はぶっ壊れてしまいます。

 実際、野党側はこの法案の「本質」を戦争法案だと主張している。これでは議論になりません。安倍と同じ。

 

 「人選ミス」の指摘もマズいですねえ。

 この部分に関しては、合憲とする学者もたくさんいると菅官房長官が豪語して、じゃあたくさん挙げて下さいと指摘されたら3人しか挙げることができず、しかもその3人は日本会議の関係者ばっかりで、しまいにゃ「数の問題ではない」と一人ボケツッコミに陥る始末でしたから。

 人選ミスじゃないですよ。集団的自衛権行使は合憲だと主張する憲法学者が、日本中探しても3人しかおらんのです。もしかして菅の数的リテラシーは「ひとり、ふたり、たくさん」のレベルなんでしょうかね。

 

 しかししかし。もっともマズいのは最後の太字部分です。

 産経クンは、現憲法は欠陥だらけと述べています。これはつまり、憲法なんか状況に応じて解釈を変えりゃいいんだよと主張しているのに等しい。

 すなわち、産経クン、安保関連法案が合憲だろうが違憲だろうが大した問題じゃないと言ってしまっているのです。政権を応援しているつもりが、違憲の可能性をかえって広げてしまっているのです。

 

 

 そういうわけで、政権応援団の2紙はどちらもダメ社説です。

 応援したけりゃ、政権関係者が国会で言っていないようなことを探してくるくらいの気概が欲しいですな。政府答弁そのまんまなら、自民党のパンフを読めば済む話です。


 

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