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ssh735 実践トレーニング解答編〜強調の修飾語句の弊害 [小論実戦トレーニング]

<2015>

 

 作文技術の実践トレーニング問題、ssh734の解答編です。

 2つの課題文を「修飾語句の使用」という観点で評価してみましょう。

 

 課題文Aは安倍首相の挨拶、課題文Bは翁長知事の平和宣言です。

 

 まず、それぞれの課題文の修飾語句をチェックしてみます。

 と言っても、小中学校の国語の授業よろしく、文法的な意味での修飾・被修飾関係をチェックしても作文技術にはつながりません。ここはssh的に「ある視点」に基づいて修飾語句に下線を引いてみます。


◆◆課題文A

 戦後70年・沖縄全戦没者追悼式に臨み、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大の地上戦の場となりました。県民の平穏な暮らしは、にわかに修羅のちまたと変じ、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われました。戦火のただ中で多くの夢や希望を抱きながら倒れた若者たち、子どもの無事を願いつつ命を落とした父や母たち。平和の礎に刻まれた多くの戦没者の方々が、家族の行く末を案じつつ、無念にも犠牲となられたことを思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません。

 私たちは、この不幸な歴史を深く心に刻み、常に思いを致す。そうあり続けなければなりません。筆舌に尽くしがたい苦難の歴史を経て、今を生きる私たちが、平和と、安全と、自由と、繁栄を、享受していることを、改めて、かみしめたいと思います。

 私はいま、沖縄戦から70年を迎えた本日、全国民とともに、まぶたを閉じて、沖縄が忍んだ、あまりにもおびただしい犠牲、この地に斃れた人々の流した血や、涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かに頭を垂れたいと思います。

 その上で、この70年間、戦争を憎み、ひたすらに平和の道を歩んできた私たちの道のりに誇りを持ち、これからも、世界平和の確立に向け、不断の努力を行っていかなくてはならないのだと思います。

 美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し、アジアと日本をつなぐゲートウェーとしての沖縄。イノベーションをはじめとする新たな拠点としての沖縄。沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に活かし、飛躍的な発展を遂げつつあります。沖縄の発展は、日本の発展を牽引するものであり、私が、先頭に立って、沖縄の振興を、さらに前に進めてまいります。

 沖縄の人々には、米軍基地の集中など、永きにわたり安全保障上の大きな負担を担っていただいています。この3月末に西普天間住宅地区の返還が実現しましたが、今後も引き続き、沖縄の基地負担軽減に力を尽くしてまいります。

 結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私のあいさつといたします。◆◆


 

◆◆課題文B

 70年目の6月23日を迎えました。

 私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀に見る熾烈な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。

 それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を望しているからです。

 戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。

 しかしながら、国土面積の0・6パーセントにすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8パーセントが集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に様々な影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7パーセントしか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。

 沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。

 特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。

 そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。

 国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできないのです。

 政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。

 一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど悲劇が今なお繰り返されています。

 このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

 戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人達の「万国津梁」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。

 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子ども達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。

 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊(たま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。◆◆

 

 

 数ある修飾語句から、下線を引いた部分を選んだ「ある視点」、おわかりでしょうか。

 これらは、おおざっぱなくくりで、強調・誇張のための修飾語句です。修辞表現と言ってもいいかもしれません。

 修辞というのは、言葉を美しく巧みにする技術のこと。英語でいうとrhetric。悪く言えば美辞麗句です。

 今回下線を引いた部分には、修飾語句とも修辞表現とも言えないものもありますが、これらは前後の文脈を言い換えただけであって単なる強調=修辞と判断したものです。例えば課題文A8行目「そうあり続けなければなりません。」は、直前の「常に思いを致す。」と同じ意味なので修辞と判断しました。

 

 もし課題文を要約せよと言われたら、これらの強調誇張修辞の語句は省かねばならない「余計な」情報です。

 意見文であれば、強調語句は基本的に忌避すべきものです。

 

 ただし。今回の課題文は小論文ではなく、セレモニーの挨拶文、つまりスピーチです。

 スピーチはライブで言葉を述べ、聞き手に自分の意見なり情感なりを伝える行為です。その目的はプレゼンテーションと似ています。

 従って、スピーチで強調誇張の修飾語句を用いることは、悪いことではありません。効果的に用いれば、聞き手に強い印象を与えることができます。

 しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。使い過ぎるとかえって印象が薄くなります。スピーチもプレゼンも持ち時間は限られています。修辞語句に走ると内容が薄まります。

 実際、ダメなお偉いさんに限って、全力だの死に物狂いだの最高だの史上稀に見るだの究極だの不退転だのと大げさな修飾語句を多用して中身の薄いスピーチをやらかし失笑を買うものです。こういうものはここぞというところでだけバシッと使うのが賢い使い方です。

 

 

 さて、今回の課題文。どちらも下線は多いのですが、Aの方が全文が短いだけ密度が高い。

 もちろん、Aは挨拶で、Bは平和宣言という違いがありますから、単純に比較するのはフェアではありません。が、それを差し引いても、Aはずいぶんと修辞に頼っています。

 さらに言えば、Aの下線部は、発話者自身の経験や立場からのものがほとんどありません。キツい言い方をすると、わりと人ごとです。対するBの下線は、地元の歴史や現状に関して付けられたものが大半です。自分のことに関しての強調が多い。


 こうして見ると、Aの内容はいかにも軽いと言わざるを得ません。

 Aの内容を要約すると「戦没者を悼みます」「平和への努力をしましょう」「沖縄振興を進めます」「基地負担軽減を進めます」と、以上これだけ。内容が無いよう。

 中央政府と沖縄の関係が今のように険悪だと、安倍もこの程度でお茶を濁すしかできなかったのかも知れないし、これを聞いた地元列席者からの拍手がまばらだったという報道(ただしBBC)もむべなるかな。


 小論文ハイスクールでスピーチを反面教師に使うのは反則と言えば反則なのですけど、勉強ってのは貪欲にやらなきゃいけません。

 課題文Aは、小論文を書く人間にとって、典型的な悪い見本です

 こういう答案を書いたら、確実に不合格になります。入試は総理大臣のスピーチほど甘くありません。

 受験生の皆さんは、くれぐれも、こういう文章を書かないように精進してください。


 

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