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ssh749 権力者を咎めるのはジャーナリズムの仕事 [マスコミュニケーション論]

<2015>

 

 いけないことをしたら、きちんと咎めないといけないのですよ。

 

 人間は過ちを犯す生き物です。誰しもいけないことをする。

 そういう時、放っておいてはいけない。何となくうやむやにしてはいけない。

 叱るなり意見するなり指導するなり警察のお世話になるなり、とにかくきちんと咎めてもらわないと、過ちを繰り返す可能性がある。

 

 してはいけないことをした時。

 口に出してはいけないことを言った時。

 その場できちんと咎めなくてはいけません。


 子どもが家の中でいけないことをしたら、親が叱ってやらないといけない。

 生徒・学生が学校でいけないことをしたら、学校の先生がきちんと指導しないといけない。

 会社で社員がいけないことをしたら、上司が叱ってやらないといけない。

 社会の中で誰かが大きなトラブルを起こしたら、警察に通報するなりしてやらないといけない。

 

 人の上に立つ人間は、子どもや生徒や部下に対して、きちんと叱る責任があります。

 社会秩序は、警察などが守ります。

 言い換えれば、一般国民は誰しも、過ちを咎めるべき立場の人がいます。


 では。

 人の上に立つ人たちが、いけないことをしたとき、誰がそれを咎めるべきなのでしょうか?

 

 組織の長が、警察の人間が、政治権力を持つ人間が、してはいけないことをした時、口にしてはならないことを言った時、誰がそれを咎めるべきなのでしょうか?

 程度がひどければ司法が裁くことになるとして、それ以前に、彼ら彼女らを咎めるべき立場にあるのは誰なのか?

 

 それは、ジャーナリズムの仕事でしょう。

 

 


 

 ジャーナリズムの仕事は、単なる情報の流布じゃありません。

 ジャーナリズムには、権力の監視という使命があります。

 

 ◆◆Journalism is printing what someone else does not want printed; everything else is public relations. (G. Orwell)◆◆

 私なりに訳すと、「ジャーナリズム(報道)とは、他の誰かが書いて欲しくないことを書くことだ。その他のものはすべてPRだ。」


 誰にとっても、責任を追求されるようなことは書いて欲しくないことでしょう。

 政権や巨大企業や官庁で権勢を持つ人間にとって、その権勢を失うことは何よりも避けたい。

 なれば、自分に対して批判的な言説は、できるだけ聞きたくない。

 まさに、書いて欲しくないこと。

 それを書くのが、ジャーナリズムの仕事でしょう。


 ジャーナリズムは、権力者をきちんと咎めなければならない。

 ジャーナリズムが咎めなければ、誰も彼ら彼女らを咎められません。

 仮に市民が怒りをデモや集会で表したとしても、ジャーナリズムがそれを取り上げなければ、多くの人々は知ることができない。多くの人が知ることができなければ、世論は形成されない。

 権力者にとってのジャーナリズムは、子どもにとっての親や先生のような務めがあるのです。

 

 だから、ジャーナリズムは、権力者とは一線を引いていなければならない。

 取材対象とのつながりはもちろん大切。しかし、一体化してはいけない。距離感が必要です。

 それはまさに、子どもと親、生徒と先生の関係に同じ。つながりは必要だけれど、べったりしてはいけない。

 子どもべったり、生徒べったりは、肝心なときに叱れない親や先生の典型です。

 ジャーナリズムもしかり。べったりは厳禁。

 報道関係者が権力者と毎月のように豪華料理を食うなどというのは断じていけません。


 我が国のジャーナリズムに関わるみなさん。

 今、みなさんは、人の上に立つ人間たちを、きちんと咎められていますか?

 


 

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