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ssh1070 プロデュースされる高校生 [教育問題]

<2018>


 現任校は部活動がとても盛んな学校です。部活に入っていない生徒は1割未満という感じ。

 運動部もそこそこ強いのですが、名が売れているのは文化部。吹奏楽部・書道部・ダンス部などは県内でも屈指または無敵というレベルの活動をしています。


 部活のレベルが上がると、メディア露出も増えます。運動部が全国大会のTVの中継などで露出するのに対して、文化部は地元の新聞やTV局の取材が増えます。

 インターネットやSNSやその他のメディアも力を持っていますが、マスメディアの威力をナメてはいけません。「老若男女」マイナス「若の一部」は今持ってTVラジオ新聞が「重要な情報」のカギです。

 ただし。もちろん。TVや新聞やラジオで流されるものは、〇〇高校☓☓部のありのままではありません。TVラジオには時間(彼らの言うところの「尺」)の制限があります。新聞にしても紙面のサイズやら何やらがあります。丸1日取材しても出来上がった番組や記事はささやかだったりします。あるいは取材された側の予想とまったく異なるものに仕上がっていることもあります。

 まあある程度は仕方ありません。メディアにはメディアの都合があります。でも度を越すと困ります。


 度を越すというとちょいと語弊がありますが、つまり、メディア側があらかじめこういうふうにまとめたい、こういうストーリーにしたいというのが強いと、そういうことが起こります。




 先日、当地で高校生のでっかいイベントがありました。私はその一角を心ならずも担わされまして、この2〜3年塗炭の苦しみを味わうハメに陥りました。

 恨み言はともかく、その最大の晴れ舞台セレモニーを観覧しました。いや別に行きたくはなかったんですが、まあ職務ということで。

 観覧が進むに連れ、私は居心地が悪くなってきました。で、終盤にはすっかり辟易としていました。

 いや、セレモニーそのものは実によく出来ていましたよ。通しで2時間くらいのビッグなものでしたが、たくさんの高校生がシナリオに従ってキッチリとその役割を見事に果たしていました。みんなしっかり稽古したのでしょう、ミスもなく本当にスムーズに進んでいました。

 じゃ、なぜ私はしまいには辟易としてしまったのか。理由はまさにその「シナリオに従ってキッチリとその役割を果たしていた」ことです。


 最初から2割くらい進んだところで私は違和感を感じ始めました。で、前半が終了するころにはその違和感が明確に疑問文として脳内に浮かびました。

 「このセレモニーは、誰の作品なんだろう?」


 解答はすぐに出ました。残念ながら。

 あのセレモニーは高校生の作品ではありません。

 総合プロデューサーという仕事をしていた人の作品です。

 高校生は総合プロデューサーの作品を成立させるためのピース(piece)でした。


 でもねえ。列席した方々は絶賛の嵐だったんですよ。デカいイベントだったんで教育行政のお偉いさんやあちこちの校長先生もいっぱい来てたんですけど、もう感動した感動したって。出演した高校生もけっこうな満足感を得たみたいです。


 世の中の人って、ありのままの高校生の姿をあんまり好きじゃないのかも知れません。

 むしろ、事前に手を入れて、入念にプロデュースされた、加工品としての高校生の姿にこそ感動するみたいです


 いろんな企業がいろんな形で高校生の活動に協賛・賛助をしてくれます。もちろんありがたいことですが、それがコマーシャルやイベントになると、高校生はその企業のPR要因になっちゃいます。ポカリスエットのCMみたいに。でもああいうのが世間的には「あらまほしい高校生」なんですね。


 運動部の大会にしても、TVで流す時はかなりのプロデュースが入ってますよね。TV的によろしいストーリーにまとまるように。野球部なんかあんまり強くなくても朝日新聞系列の取材がよく来ますが、出来上がったTVや新聞見るとよくもまあこんなふうにプロデュースするもんだなと苦笑します。

 ましてや文化部をや。


 もっとも、メディアにプロデュースされることに拒否反応を持つ人間ってのは、私の見る限りわりと少ないよ。教員はもちろん、生徒たちもメディアに取り上げられるのは嬉しいことみたいです。

 学校の先生も高校生も喜んでいるのであれば、私のようなアマノジャクがブツクサ言うこと自体が余計なお世話なのでしょう。


 それでも、アマノジャクにはアマノジャクの言い分があります。

 1つは、メディアや企業的に好ましくないような側面も高校生の現実であるということ。さわやかでも友情でもない、特定企業の製品を特に理由もなく毛嫌いしている、そういうものもその人の現実です。

 2つめは、プロデュースする側が知らず知らず「いいことをしてやっている」という気持ちに陥ること。これは特にTVに顕著です。取材は本来お願いするもののはずなのに、取材してやるからありがたく思えみたいな感覚になってるヤツが時々います。SNSネタではTVで取り上げてやるからお前んとこの漆器をタダでよこせと言ってきた局があって断ったら逆ギレされたと。

 そして3つ目は、プロデュースされることを嫌う人間も一定数いるということ。プロデュースする側が本当に善意から動いてくれているとしても、それがどうしても耐えられないという人間もいるんですよ。


 ネットで拾った話ですが、いわゆるサプライズ演出が大好きな男性とそういうのがどうしても受け付けられない女性が結婚することになって女性はサプライズは本当に困ると伝えたのに男性は真意を理解せず式でサプライズを決行してしまい、2人は式の直後に破局したと。

 サプライズ=善と疑わない人からすればこの女性は非難の対象でしょう。でも私はこれ男性が悪いと思いますね。一生添い遂げると誓う仲なら、発言そのものが信じられなくても一応は受け入れるべきだったでしょうに。


 私はプロデュースされるのが大嫌いです。同時にプロデュースされた高校生の姿を見るのもなんだか痛々しくてダメです。それはお前がヒネてるせいだろうと言われればまあその通りなんでしょうけど、世の中にはヒネた人間が一定数います。そういう人間にも人権はあります。一般大衆を優先してもらうのは資本主義的だか最大多数の最大幸福だかの正義なんでしょうけど、そういう人はいないものと思うのはやめて欲しいです。少ないかも知れませんが、いることはいるんですから。


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コメント 4

tyuuri

 私は高校時代、吹奏楽局員でしたが、自治を守り、生徒指揮でしたね。そもそも、顧問が棒を振れない人でしたから。それでも、全道くらいには進出しました。その後、指導者が教師になって全国まで行ったようですが。
 畑違いだけど、今年、その母校の合唱部がNHK全国コンクールで、唯一生徒指揮で出場したそうです。経緯は分かりませんが、偉いと思う。
by tyuuri (2018-10-18 18:43) 

shira

>はじドラさん、bashyさん、niceありがとうございます。
>tyuuriさん、nice&コメントありがとうございます。
 私の高校時代(合唱)も顧問の指導はゼロで、その上コンクールにも出場せずひたすら校内の発表会のためだけに生徒だけで活動していました。私はとても居心地が良かったのですが指揮をやっていた友人はコンクールに出たがってました。彼はその後高校教員になってあちこちの学校の合唱部でタクトをとってコンクールで上位に入る優れた指導力を発揮しました。
by shira (2018-10-20 13:48) 

さとうろくぞう

マスコミ絡みの思い出です。
小学校のとき、全校児童行事の「豆まき大会」に地元のテレビ局が取材に来て、夕方のニュースでその様子の一部が流されました。さて、豆まきの最後に児童全員で「どこかで春が」を歌うのですが、
「どーこーかーで芽の出る、音が〜する〜♩」
この時私たちのクラスにカメラが回り、兄はそれを見た瞬間「屁の出る音がする、って歌わなかったか?」と訊いてきました。そうです、うちのクラスではそういう替え歌が流行っていたのです。

マスコミもアドリブには勝てないのか、それとも敢えて気を利かせてくれたのか。


by さとうろくぞう (2018-10-20 23:10) 

shira

>さとうとくぞうさん、ご訪問ありがとうございます。
 って、なんですかそれ。「へのでるおと」でオンエアしちゃったんですか。
 でもまあ、以前と比べて最近のマスメディアはすごくビクビクしながら仕事してる感じがしますね。

by shira (2018-10-21 22:01) 

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