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ssh1081 年度末のご報告など [ご挨拶&エッセイ]

<2019>


 本年度も終わりに近づきました。ようやく、やっとようやく、本当にようやく、年度末です。

 いやあ、2018年度はホントに大変でしたね。筆舌に尽くしがたいと言いますか、地獄の責め苦と言いますか、50代も後半になって(アラカンって奴ですね)こんなにキツい年度を経験するとは思いませんでした。


 すでに書いたことですが、本年度は当地でデカいイベントがありまして、私は本業そっちのけでその運営に忙殺されました。イベントそのものは8月で終わってやれやれです。生きて終了を迎えられるかどうかマジで不安でしたよ。イベントを統括した県のトップは9月の人事異動でご栄転したそうで、まー大変おめでたいことであります。ふん。


 肝心の本業では3年生の担任でした。受験生の担任です。校内でもっともやることの多い立場です。学習指導はもちろん、受験に向けて三者懇談あり出願指導ありです。特に1月以降は生徒一人一人にアドバイスやら添削やら何やらしないといけません。朝から放課後まで生徒はひっきりなしにやってきます。個別指導の合間に授業に行くという感じ。授業準備は生徒が来なくなった遅い時間帯か休日にやっておかないと間に合いません。隣のデスクの同僚さんに野戦病院みたいだと言われました。

 それでも、生徒を相手にしての多忙は「忙殺」とは感じませんでした。そりゃそうです、教員ですから。どうせ忙しいなら生徒のための多忙が一番いいです。

 にしても、今年の入試は厳しかったですね。特に私大の文系学部は本当に厳しかった。最低でも日東駒専は押さえるだろうと思っていた生徒が大東亜帝国止まりだったりして。予備校の関係者も同じことを言っていました。業者のリサーチでA判定B判定だった受験生がボロボロと不合格になりました。うーん、つらい。


 大変だったのは仕事だけじゃありません。



 これも既述ですけど、本年度は町内会の常会長が当たってしまいました。輪番で拒否権がないものでどうしようもありません。集金あり配布物あり回覧板の用意あり行事あり会議あり飲み会あり(これは悪くない)避難訓練あり、毎月どこかの土日に何かありました。


 私も若い頃はこういうのが大嫌いだったのですけど、最近は捉え方が変わってます。というのは、阪神淡路大震災でも東日本大震災でも、被災したとき救助してくれたのは8割近くが隣近所の人です。警察や消防や自衛隊には限界があるし、彼ら彼女らが到着するまで指をくわえて見ているわけにはいきません。町内会にちょくちょく顔を出していれば災害の時「おいshiraさんの姿が見えんぞ」てな話になるわけです。

 町内会って、サバイバル集団なんですよ。

 そりゃ警察も消防も自衛隊も本当に頼りになるありがたい存在です。それと地方公務員。災害が発生すれば市町村や都道府県の職員はずーっと非常事態勤務です。本来なら非常時のために十分な職員を保持しておくべきなんですけど、人口減少や財源縮小で地方公務員は減り続けています。自衛隊だってなかなか人が集まりません。生存戦略としては、自衛隊を礼賛するより町内会のつながりです。


 本年度は私事でも多忙でした。

 大学生の長男と長女がアパートに同居していたのですが、長男が就職することになりました。アパートは2年で契約更改ということもあってこれにて退去、長女は一人暮らしするべく新しいアパートを探すことになりました。

 長男の就職が決まったのが遅かったため、長女のアパート探しも2人の引っ越しの手配も2月にようやく始まりました。長女の新しい部屋は割とスムーズに決まったのですが、引っ越しの手配は困難を極めました。

 長男は研修期間が終わって赴任先が決まるまでは住所不定という感じなのでとりあえずすべての荷物を実家に運んでおかねばなりません。一方の長女は近距離の引っ越し。2件の引っ越しを一気にやってしまわないといけないわけです。

 嫁サンが心配して某有名業者に見積をお願いしたのですが、目ん玉が1kmほど飛び出るような料金を提示されました。3月は超繁忙期で通常料金に5万円くらいプラスになるんだとか。しかも今この場で予約しないと間に合わないてなこと言われまして。そりゃ無理だろうとお断りしました。担当の若い兄ちゃんも我々の顔色を見て脈がないことを即座に理解したようでした。

 次に考えたのが1tトラックをレンタカーで借りること。学生時代の引っ越しはだいたいそうやってましたから。ところがこれも空振り。希望日はもう満パイ。「引っ越し難民」が発生するのも道理ですね。


 こうなれば最後の手段。嫁サンの実家にある軽トラックを借りてのシャトル輸送に打って出ました。


 実はこの軽トラを借りての引っ越しはすでに経験があります。2年前に長女が上京する際、学寮で一人暮らししていた長男と同居した方が安上がりだということで、この軽トラを借りて引っ越しをしたんです。この時は運ぶ物はそれほど多くなかったので割と順調に移動ができました。軽トラ(3速オートマチック)で高速道路を走るのはなかなかの非日常体験でしたが。

 しかし新生活のための引越しと引揚げの引っ越しは全然話が違います。荷物がグッと増えている。私は仕事の都合を調整して4回上京することになりました。うち3回が軽トラ。

 家から東京まで軽トラで高速を走り、荷物を運び、荷台の荷物をパズルのように積み込み、シートとロープで固定し、また高速で帰る。これを3回繰り返しました。


 やり始めて後悔したのは、子どもたちにトラックの積載やロープの縛り方を教えておかなかったことですね。

 トラックに荷物を積むのって、ものすごく計算が必要なんですよ。なるべく隙間なく積まないといけない。隙間があると無駄なだけじゃなく、積荷がグラついて危険。いろいろな形・大きさの荷物をとことん隙間なく荷台に積み込むのはまさにパズルです。

 あと、積荷を固定するロープの縛り方もやったことのない人がやると悲惨なことになります。

 かく言う私も学生時代は正しく理解していませんでした。ちゃんと解ったのは教員になってから。初任校で生徒会担当してた時に、文化祭に必要な物品をあちこちからトラックで運んで(農業高校なのでトラックがあったのです)、そのときに農業科の先生や物品を貸してくれた業者の方に教えてもらったんです。「南京締め」を教えてもらったのもこの時でして、今でもすごく重宝してます。

 そんなこんなで引っ越しの方はおかげさまで何とか終わりました。


 実は他にもブロードバンド回線の契約更改とか、人間ドックとか、車検とか、あれやらこれやらまだあるんですけど、もうやめときましょう。思い出すだけでくたびれてきました。



 昨日の日曜日、いいお天気だったので校長先生をお散歩に連れ出しました。穏やかな陽気と見慣れた風景に、ふと「生きてるって素晴らしいな」と独り言を言ってしまいました。大げさですよねえ。でも、今年度に関しては本当に生きてる心地がしない時がかなりあったんですよ。


 もうすぐ新年度です。またいろいろと新しい仕事が始まりますが、いくらなんでも今年度ほどひどくはないと思います。けどね。


コメント(2) 

コメント 2

心如

最近読んだ樹木希林さんの本に、「教養」よりも「今日用」というのがありました。
教養より、今日の用事をこなして行くことが大切なのだとか。、
50歳を過ぎると、年々体力と気力が低下して、若いころのように無理が出来なくなりますから、ご自愛くださいね。、、
by 心如 (2019-03-26 07:13) 

tyuuri

 こちらは再任用1年目が終わり、勤務地が変わります。
 再任用の辞令って、1年限りなんですよ。希望すれば、戒告でも食らっていない限り、65歳までは働けますが、連続して同一校かどうかは分かりません。ただ、今度も図書係と言うことは決まっています。昨年、60の手習いで、司書教諭の資格を取ったことが生きてきました。
 図書の仕事、ちゃんとやれたら面白いんですが、何しろ、生徒に図書館を利用させることが出来る時間が短すぎます。多分高校には常駐の司書さんがいるのだろうけど、義務制には短期勤務の司書さんしかいないし、かつ教諭で無い人に任せられるような状態でも無い。
 本当は、生徒が図書館で育つような学校でありたいんですが。
by tyuuri (2019-03-29 21:22) 

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