So-net無料ブログ作成

ssh1087 気仙沼で同窓会(2) [ご挨拶&エッセイ]

<2019>


 気持ちのいい温泉(気仙沼温泉は塩泉なのでしょっぱいのですけど)とゴージャスで美味な料理を満喫して旧交を温め、合唱団の同窓会ということで久しぶりに合唱をして(老眼で楽譜がよく見えないのは参った)、とか楽しんでるうちに第1日は終了。明けて第2日は幹事企画の気仙沼市内ツアーでした。

 これが、本当に良かったんですよ。

 あの大震災のあと、被災地に行くのはこれがようやく初めて。せっかく行くのだから市内ツアーは是非参加したいと、仕事を調整した甲斐がありました。


 まず向かったのは気仙沼向洋高校の旧校舎を震災遺構として保存した伝承館。撮影できなかったのですけど、旧校舎の遠景は恐らく多くの方がTV等で見たことのある映像だと思います。

DSCN3419.jpg

 遺構ということで、可能な限り震災当時の状況が保存されています。写真だとよくわかりませんが、大きなものは崩れないようにワイヤーで固定するなど苦心のあとがあります。


DSCN3414.jpg

 津波は4階建校舎の3階までを完全に飲み込み、4階も床上20cmほどまで海水が流れ込みました。4階部分の展示には水位がはっきりわかる遺構もあります。



DSCN3458.jpg


DSCN3452 (1).jpg

 平屋の建物はほぼ全滅状態です。下の写真はもともとドーム状の屋根があった屋内運動場の遺構です。


DSCN3426.jpg


DSCN3468.jpg

 気仙沼向洋高校は技術系教育に優れた高校です。そのため上の写真のように電気電子がいっぱいあります。下は廊下の水道で、蛇口は完全に抜け落ち、ステンレスの流し台も歪んでいます。


DSCN3451.jpg


DSCN3448.jpg

 津波に直撃された向洋高校ですが、生徒は迅速に高台に避難して全員無事でした。学校に残った職員らは危険にさらされましたが屋上に避難しかろうじて生還しました。屋上で救助を待つ職員らを映像で見た人も多いと思います。


DSCN3449.jpg

 これは大変に切ない展示です。杉ノ下地区で過去の津波でも難を免れた高台が市の指定避難場所とされていました。その高台に避難した人々が全員犠牲になったのです。2011年3月11日の三陸はご存知の通り雪の舞う寒い日でした。避難した方々は寒さから逃れるためビニールハウスに入ったため津波が来ることに気づくのが遅れました。


DSCN3442.jpg

 向洋高校の屋上に逃げた人々にも、実は大きな危険が迫っていました。漁港の街気仙沼には魚介類の保存や加工をするための工場が海岸付近にたくさんあります。その一つが津波で工場ごと流され、巨大な質量の塊となって校舎に迫っていました。もし正面衝突していたら校舎は大破し屋上の人々も津波に放り出されていたかも知れません。幸いなことに冷凍工場は校舎の角に当たり、校舎のダメージは最小限で済みました。衝突した4階には断熱材らしきものがいっぱい散乱していました。


DSCN3435.jpg


DSCN3433.jpg

 この展示でもっとも反応が大きいのがこのクルマ。建物の3階部分にあります。

 カーマニアを自認する私ですが、車種は特定できませんでした。別に自慢するわけじゃありませんが、事故車だろうが動画だろうが、私はたいていのクルマは車種が特定できます。けどこれはダメでした。それほど破損がひどかったんです。


 長くなったので、続きは次回。

 


nice!(3)  コメント(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。