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ssh1090 「大君は・・・」解答編 ちょっと真面目な科学的思考のお話 [小論実戦トレーニング]

<2019>

 

 「即位の礼で降雨が止み虹が出たことが単なる偶然でないことを主張するには、どのようなことをすればいいでしょうか。」というssh1089の解答編です。ネタはいたって軽いのですけど、sshはここからけっこう大げさに科学的論証のお話をしようと思っています。


<実験できればいいのだけれど>

 ある仮説が正しいかどうかを検証するには、いくつか方法があります。

 その中で一番いいのは「実験」です。実験を繰り返しても同じ結果が出れば(再現性と言います)その仮説はかなり信頼できます。自然科学=理系の分野では実験は実に強力な武器です。

 ところが今回の場合、実験はちょっと難しい。まさか毎年即位の礼をやってもらうわけにはいきません。皇位継承権持ってる人は2人しか残ってないし。仮に同じような儀式をやってもらえたとしても実験としてはよろしくない。本物の即位の礼じゃないですからね。

 文系の学問分野は人文科学・社会科学ですけど、この分野は実験ってものが効きません。経済学・歴史学・哲学・文学等々の学説は実験で確かめることができない(唯一の例外は心理学)。


<観察・調査はできる>

 小学校の理科の授業で、実験よりも先にやらされるのが観察です。夏休みの宿題のアサガオの観察に苦労した思い出はありませんか。観察は理科だけではありません。政治学・経済学・言語学は観察がすごく重要です。言語学は言語の使われ方のサンプルを集めて仮説を検証します。

 一方、社会科では調査をやります。大人の話を聞いたり、図書館で本を開いたり、博物館や資料館に行ったり。小学生だと調べ学習なんて言いますが、まあ資料調べとフィールドワークですね。歴史学や文学では文献が命です。

 観察・調査は一応使えます。

 具体的には、過去の天皇代替わりの式典の天気を調べます。


 ここで気をつけないといけないのは、多くのサンプルを集めること。

 平成の代替わり、すなわち今上上皇明仁陛下の天皇即位の礼が行われた1990年11月12日は晴れでした。しかしこれだけでは何とも言えない。むしろ朝から雨が降った令和の即位の礼の方が非神秘的ですらある。

 20件くらいサンプルを並べて、ふつうに晴れる確率を大きく上回るような晴れの確率が出ていたら、即位の礼は晴れるという仮説はかなり説得力を持つでしょう。

 ところが、ここで難物が。

 天皇の代替わりって、あんましちょくちょくあるものじゃないのですよね。平成・昭和・大正・明治と4つバックすると、もう150年も前のお話。多数のサンプルを集めたくても、即位の礼の日付とその日の天気を記した史料がどこまであるか。仮にあったとしてどの程度信頼できるか。権力には伝説=作り話はつきものですから。


<帰納法と演繹法>

 ところで、以上のように実験や観察や調査から信頼性を見つけるやり方を帰納法と言います。

 帰納法はわかりやすのですけど、よーく考えてみると絶対じゃない。100回実験して同じ結果が出たとしても101回めも必ず同じとは保証できません。

 一方、実験等を用いずともリクツっぽく証明する方法もあります。

 ごくシンプルなのは中学で学ぶ三段論法。

 1 平行線は交わらない。

 2 この2本の直線は平行である。

 3 よってこの2本の直線は交わらない。

1が正しければ、3は必ず正しい。これは実験不要です。

 こんなふうに大きな一般的な真理からより個別具体的なものごとの正しさを100%理屈だけで証すのが演繹法です。

 演繹法のトレーニングは数学の証明問題でさんざんやらされましたよね。

 ただし、まあ、今回の即位の礼のお天気話にゃ演繹法はまったく役に立たないですね。


 というわけで、即位の礼の神秘性を証そうと思うなら、史料を漁って多くのサンプルを集めて帰納的にやるしかないですね。もしサンプルが集まらなかったらお手上げです。


<人はつい因果関係を求める>

 以上で解答編は終わりですけど、ちょっと補足を。

 人間って、どうしてもものごとに因果関係を求めたくなるんですよね。

 即位の礼があった + 雨が上がって虹が出た = 天皇と虹に因果関係がある てな具合に。

 実は人間だけじゃないんです。ハトがたまたま翼を広げているときにエサをやると、ハトはエサ欲しさに用もなく翼を広げる。エサもらったときにたまたましていた行為を繰り返すんだそうです(ハトの迷信行動と言うそうです)。

 英語の接続詞 as には時・理由・程度などいろんな意味があって学習者を困らせるのですけど、学者によると as の究極の意味は「=」なんだそうです。同時・同程度。じゃあなぜ理由という意味があるのかと言うと、人は2つの出来事が同時に起きると因果関係があると思うから、なんだとか。


 因果関係はものごとを整理するのに確かにすごく有効ですが、弊害もあります。

 新生児には一定の確率で遺伝子の異常や先天的な障害が発生します。これはもう確率的なものでどうしようもない。でも親はそう思いません。「なぜこの子が」「なにがいけなかったのか」と理由を考えてしまう。友人が小児科医やってるのですけど、この通告と説明は実に気の重い仕事だそうです。


 因果関係を考えてしまうこと自体は、ある意味普通のことです。にんげんだもの。

 ただ、何と何の間に因果関係を考えるのかについては少し気をつけたほうがいいでしょうね。

 オレが◯◯したからうまくいった、とか、何でも自分のことと因果関係を考えてると自意識過剰のおバカさんだと軽蔑されます。


 今回のケース、天皇と天気を結びつけてしまった著名人のみなさんは「ああこの人この程度の人なんだ」ということを広く伝えてしまいましたね。