ssh474 カセットテープのお話(3) [科学と技術]
<2011>
オランダのフィリップス社が開発したコンパクトカセットは、70年代に入るとググッと普及していきました。
とは言え、そこにはいくつかの壁がありました。
壁のその1は、カセットの利便性そのものに、まだ改善の余地があったこと。
例えばオープンリールの場合、テープが終わると、キカイはそのままテープを全て巻き取ってしまい、残された空のリールがいつまでもクルクル回っていました。これは実に面倒臭い状態でして、そうなる直前にキカイを止めるのがベスト。だからテープが終わりに近づくということは、キカイを止めに行かねばならないという緊張感を持つことでもありました。
一方、カセットはテープが終わってもリールが空転したりはしません。テープはそれ以上動かなくなるだけでした。
で、ここに改善が加わります。すなわち、テープが終わると、単にテープが止まるだけでなく、キカイの電源が自動的にOFFになるようになったんです。オートストップとかオートシャットオフとかいう名前でした。
また、ssh472でも書いたように、かつてテープレコーダーの主なお仕事はマイク録音でした。マイクがないと録音ができない。
そこで、マイクを内蔵したテレコが現れます。これの登場で、わざわざマイクを用意する必要がなくなります。会議などの録音はカセットテレコだけあればOK。
他にも、キカイの小型化、操作の簡便化(操作がレバー式からボタン式になる)、さらにはラジオと一体化したラジオカセットの商品化などにより、本来の利便性をさらに磨いたカセットは市場を広げて行きます。
壁のその2は、性能面です。
ssh473に書きましたが、テープレコーダーの記録性能はテープの物量で決まります。テープ幅やトラックは広い方が有利、テープスピードは速い方が有利。
カセットテープのテープ幅はオープンの半分です。
で、テープスピードは4.8cm/秒。オープンの最も遅いスピードです。当時ステレオテープデッキの主流は19cm/秒でした。
ステレオカセットデッキにステレオオープンデッキと同じ仕事を求めても、オープンは原理的にカセットの8倍のアドバンテージを持っていました。音質の差は歴然です。だからオーディオマニアはオープンデッキを愛用していました。
しかし、カセットとオープンの利便性の差もこれまた歴然。もしカセットでも満足できるレベルの音質が確保できれば、カセットの市場は飛躍的に高まります。
ここをどうするか?
写真は学生時代に入手したカセットインデックスいろいろ。カセットオーディオ全盛期の1980年代はインデックスカードに結構な集客力というか商品価値があり、いろんなメーカーがいろんなカードをいろんなものにオマケとして付けていました。左上のシュライヤーはFMfanという雑誌のオマケ。右上の斉藤由貴はイメージキャラをやっていたAXIAのカセットのオマケ。3枚組でした。当時彼女はトップアイドルだったのです。左下はソニーのカセットのオマケ。右下はFMレコパルという雑誌のオマケで、当時青少年に人気絶大の高橋留美子のイラスト。
ssh473 カセットテープのお話(2) [科学と技術]
<2011>
現在でも目にするあのカセットテープは、オランダのフィリップス社が開発したもので、正式名称は「コンパクトカセット」と言います。
商品化はかなり古くて1962年だそうです。あら、私と同い年じゃないですか、奇遇な。
3年後、フィリップスは規格を厳守するという条件付きで特許公開(特許使用料不要とすること)を行います。これによってフィリップスのコンパクトカセットがカセットテープの標準規格となります。
とはいえ、1960年代はオープンリールテープレコーダーすらまだまだ高価。カセットテープが日本で本格的に普及するのは60年代の終盤から70年代に入ってからです。
その60年代終盤、伯父伯母らの家にはすでにステレオがあり、カセットテープデッキもありました。従兄姉たちはそのデッキで録音した洋楽のテープを、カセットテープレコーダーやラジオカセットで楽しんでいました。
当時はJポップなどというシャレたものはなくて、国内にあるのは野暮ったい「歌謡曲」ばかり。従兄姉たちが楽しんでいたカーペンターズとかサイモン&ガーファンクルとかいう洋楽は、TV歌謡とはまったくレベルの違うステキな音楽でした。しかもTVは洋楽を全く流さない(そんなもんだったんですよ、昭和40年代は)。洋楽を楽しみたかったら、レコードを買うか、FMで聴くしかない。
私と兄はもう従兄姉たちの状況に垂涎(すいぜん、すいえんとも読むようです)すなわちよだれダラダラ。
オレ達もラジカセが欲しいよ~、欲しいよ~。
我が家にカセットテープがやってきたのは1973年。私と兄がさんざんねだった末に買ってもらったラジオカセットがカセットの黒船でした。
この日のことは今でもありありと覚えています。今日学校が終ったら、近所の電器屋にラジカセを買いに行くと言われたあの日。もうその日が朝からどれほど長かったことか。授業が終るとそれこそ一目散に家に走りました。
両親は事前に電器屋さんに話を伝えておいたようで、買い物には当時中学生だった兄と小学生だった私が2人だけで行きました。それはもう、目くるめくような時間でした。機種を決めて、梱包されたラジカセを持ち帰るの時も、もう地に足がついてないという感じでした。
これが地に足がつかないほど嬉しかったラジカセ、ソニーCF-1480。定価33,500円。これでも当時は割とリーズナブルな方でした。もちろんステレオではなくモノラルです。オンボロの電蓄やオープンのテレコしか知らなかった私には、新品ラジカセの音は「原音そのまま」に聞こえました。まだ実家にあります。カセット部はさすがにくたびれてしまってダメですが、ラジオはまだ完動状態。このキカイ、6年前まではバリバリの現役でした。現在養護施設暮らしをしている母がタイマーにつないで目覚まし時計代わりに使っていたのです。ラジオのチューニングが会うと赤いLEDがピカッと光るというのがこいつの売りでした。
ssh472 カセットテープのお話(1) [科学と技術]
<2011>
何を隠そう、私は幼少期からテープレコーダーというものに偏狭で執拗な=偏執的な興味を持っていました。
とにかく好きだったんですよ、テープレコーダーが。
だって、すごいじゃないですか、あの機械。
声や音楽が録音できるんですよ。
しかも、一旦記録したら、繰り返し何回も聴けるんですよ。
もちろんレコードだって何回も聴けますよ。でも、レコードは買ってくるだけ。
テープは自分でいろんなことができる。自分の好きなモノを並べておくことだって可能。
こんなcreativeな記録メディアは、テープレコーダーの普及までなかったはずです。
ラジオを録音してまた聞く事ももちろん可能。TVも(音だけなら)OK。
昔はレコードからテープに録音すること自体が違法行為だとレコードに明記されていましたけど、これは単なる利権上の脅し。個人的利用であれば録音はOKだということはすぐに流布しました。
磁気で音声を記録する仕組みそのものは19世紀にすでに考案されていたらしいですが、テープに磁気ヘッドで記録するという方法が実用的なものとなったのは1940年ころらしいです。
テープはその気になればいくらでも長くできた。当時のテープは直径が数十センチの大きなリールに巻かれていました。これはそれまで一般的だった、円盤に針で溝を刻む方式=レコード方式に対して大きな利点でした。レコード方式では連続記録時間はせいぜい20~30分でしたが、テープはもっと長く連続記録ができた。
テープ録音は、ナチスドイツではすでに実用化していて、ヒトラーの演説など重要な録音がテープでなされたようです。一方、当時の日本ではまだレコード記録が一般的で、昭和天皇の玉音放送もレコード記録でした。
日本でテープレコーダーが実用化されるのは戦後間もなくのこと、ソニーの前身の東京通信機工業が作った「G型」が我が国最初のテープレコーダーです。
ssh463 日本の鉄道事故 [科学と技術]
<2011>
7月23日に発生した中国の高速鉄道事故。日本では事故そのものよりも、その後の中国当局の対応が大きく報道されてます。
事故直後に破損した車両を埋めていたとスクープしたのが朝日新聞。他紙は完全に出遅れて、慌てて後から(他紙に抜かれたということは例によって口を拭って)さも自分達も知っていたみたいに批判しています。事故後の当局の説明も二転三転というか、追求されて後から渋々認めるとか。
中国は国営メディアしかありませんで、当局に都合の悪い情報は海外プレスとネット情報が頼りです。自覚的な市民はネットからそういう情報を得ています。
って、あれ?なんか、すごく既視感のある状況。
これ、原発事故に関する我が国の政府&東電と報道の状況と瓜二つではあーりませんか。
都合の悪いことは隠す。追求されると渋々後から情報を出す。メディアは本当のことを伝えない。重要な情報は海外プレスとネットが頼り。
良く似てますねえ、我が国とかの国は。だったらもっと仲良くしましょうよ。
さて、一部のメディアは今回の事故を日本の新幹線と比較して「我が国では考えられない」みたいななことを言ってるようです。ホントですかねえ?日本でも鉄道事故はずいぶんあったように思いますが。
と思ったので、日本の鉄道事故をwikiで検索してみました。あるわあるわ、すごい数です。
日本は明治以来国策として鉄道を重視してきました。歴史も長いし範囲も広い。当然、事故も多い。
それら数多の事故の一つ一つを教訓に地道に対策を施して、今の「安全な」鉄道があります。
鉄ちゃんでも何でもないshiraが、Wikiから目立つものだけを拾った日本の鉄道事故リスト。
目立つものだけと言っても、この記事でリストアップした事故の犠牲者(死者)総計は3671人(うち1323人は国鉄連絡船事故の犠牲者)。この種の事故につらい思い出のある方は読まないことをお勧めします。
<国内初の鉄道死亡事故>
・東海道線西ノ宮列車正面衝突事故: 1877年10月、東海道線西ノ宮駅―神戸駅間で旅客列車と回送列車が正面衝突。乗務員ら3名が死亡。単線の行き違い確認ミスが原因。
<明治時代最悪の事故>
・箒川鉄橋列車転落事故: 1899年10月、東北本線箒川鉄橋(栃木県)で突風にあおられた列車が転覆し川に転落。死者19名、負傷者38名。
ssh377 科学と技術の違い [科学と技術]
<2010>
科学技術という言葉がありますよね。
私、ずいぶん長いこと「科学的な技術」のことだと思っていたんですよ。
ところが。高校の英語の授業で驚いたんです。科学技術は、science and technology の訳であったと。
科学的な技術じゃなかったんです。「科学と技術」なんです。
1962年生まれの私だと、科学とか技術とか言うと、すぐ鉄腕アトムとかマジンガーZの世界になっちゃうんです。あれこそ科学の成果じゃないかと。何せアトムは「科学の子」だし、お茶の水博士だって、科学省長官でしょ?
でもね、今にして分かったんですが、アトムもマジンガーZも、科学の子じゃありません。彼らは「技術の子」。
んじゃ、科学と技術って、どこがどう違うんでしょうか?
例えば、液体が気化する時には周囲の熱を奪う、という現象を解明したのが科学。
フロンやLPGやアンモニアの気化を利用してものを冷やす装置=冷蔵庫やエアコンを作るのが技術。
一言で言えば、科学は真理の探求です。
自然とは何か?人間とは何か?
人間が抱いた、そういう遠大な謎に、少しでも答えを見つけていこうとするのが科学です。
一方の技術は、文字通りワザです。
どうやってものごとをより自分たちにとって都合良く行うか。そのためのワザです。
ssh370 研究が成果を出すか否かは、事前に見極めなければならない [科学と技術]
<2010>
某月某日、2年生向け進路講演会に潜入した私。
講師はアメリカで癌の研究最前線に身を置く研究者の先生。
わけあって途中から潜り込んだところ、実にいい話題の真っ最中でした。
「高校の勉強や受験問題だと、最初から一つの正解が想定してありますね。だから頑張って解けば必ず正解にたどり着ける。しかし学校の外の世界には一つの正解なんてものはありません。」
ええ、そうですとも。よくぞ言って下さいました、先生。私もssh278 問題とは何かという問題(3)~現実の問題に正解がない理由 という記事を書きました。
「特に研究の世界というのは、一つの正解なんかない。いや、それどころか、その研究の先に、そもそも答えがあるのかないのかすらわからないんです。どんなに実験を繰り返し研究を続けても、まったく答えが出る可能性がないということもあるんです。」
はいはい、そうですよね。ssh337 研究開発は、成功する保証のない失敗の連続で私もそんなことを書きました。
・・・と、実に嬉しい展開をしていると喜んだ次の瞬間、私の目が点になります。
「だから、その研究の先には答えがあるのかどうかを見極める力を身につけなければなりません。答えの出ないような研究をどんなに続けてもダメですから、答えが出るのかどうかを見極めなければなりません。」
!!!!!!!
な、何だって?
ssh337 研究開発は、成功する保証のない失敗の連続 [科学と技術]
<2010>
学校の授業でThomas Alva Edisonが出てきました。発明王エジソンです。
数年前、ウチの子どもにエジソンの伝記を買ってやりました。と言ってもマンガ。えらくイケメンなエジソンが蓄音機や白熱電灯の発明に活躍し、これまた妙にハンサムなヘンリー・フォードと親交を深めたりするマンガです。
このマンガでは白熱電灯の発明部分に一番のスポットが当たっています。最適なフィラメントの素材探しに四苦八苦して、最後に日本の竹を原料にした炭素に行き着くという、みなさんおなじみのアレです。(え、知らない?)
数々の試行錯誤を繰り返し、ついに最適の素材を見つけ、人類を幸せにする発明が完成する—というドラマですね。
でもね。ドラマだから、ありのままの現実とはちょっと違う。
いえ、事実は正しいです。しかし、時間軸の扱いが違う。
身もフタもないことを書きますけど、もし白熱電灯の開発ストーリーを、まったく現実通りの時間軸でマンガにしたら—つまりただ失敗を繰り返した1日も、成功した1日も、まったく同じページ数で描いたとしたら、冒頭から最後のページまではすべて失敗の連続で、最後の1ページの下半分だけが「やったー、成功だ!」というバランスになっちゃうはずです。
何バカなこと言ってるんだ、それじゃ伝記にならんだろう—というご指摘は全くごもっとも。んなことはわかってます。
私が言いたいのは、白熱電灯を開発していたエジソンとそのチーム員たちにとってのリアルな時間経過はそういうものだったということです。
ssh96 ssh的リモコン誤作動問題考 [科学と技術]
ssh1015 印刷機のお話 [科学と技術]
『暮しの手帖』創刊50周年記念号に、こんな記事が載っていました。
もし「暮しの手帖賞」という賞があったら、迷わずインスタントラーメンを受賞にすると。価格・手軽さ・ある程度の満足感を満たす、庶民の食に対してこれほど画期的な発明はなかったと。
これを読んだ時に、私も考えてみたんですよ。「学校の先生が選ぶ、もっともありがたい発明品大賞」というのを。
すぐに決まりました。リソグラフです。
私の学童時代、プリントというのは謄写版(ガリ版)でした。専用の原紙に鉄筆でガリガリと字を書いて行く(ガリ切り)ほとんど職人芸か家内制手工業のような世界です。
当然、プリント類はそう頻繁には発行できませんでした。
その後、ボールペン原紙というのも登場しましたが、やはり手で原紙を切るという作業に変化はありません。
そのころにはすでに輪転機は登場していましたが、原紙を作成するのが大変な手間だったので、やはり印刷物をマメに出すのはかなりの労力でした。ついでに言うと、当時の輪転機はスピードも遅く、歩留まりも悪かった。
かなりの変化があったのが、ファックス原紙の登場でした。これは普通紙に書かれた原稿を原紙に転写するシステムで、これで初めて原紙に直に何かを書くと言う手間がなくなります。しかし、このファックス原紙も、原紙への転写に何分もかかり、しかも不鮮明でした。
リソグラフは、そこに登場しました。
初めてリソグラフを操作した時の衝撃は忘れられません。原稿を原紙に重ね、製版機にセットすると、わずか十数秒で原紙が完成。しかも、その印刷は、これまで見たことがないほど鮮明なものでした。印刷機のスピードも速い。1クラス分のプリントなど、ものの数分で完成です。授業間10分の休み時間で刷れてしまうスピードです。