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ssh1107 演歌の「アタシ」は男道 [社会]

<2021>

【お断り】

 2010年にssh379としてアップした記事ですが、ssh1104-6と同様の理由により改変しました。ssh379は欠番とします。なお表現以外は2010年のままとなっているため、現在の社会的評価や私の意見とは必ずしも合致していません。

 

 

 

 今回の記事の骨子は<女装演歌は女心の歌ではなく、男心を女言葉を借りて歌ったものである>というものです。 

 

 実は、かねがね疑問に思っていたことがありまして。

 なぜ世の人、特に世の割と高所得の男性は、組織にああも尽くすのかと。

 会社のために家族を犠牲にするなんてのはごく当然のこと。会社の不正行為を目撃しても黙認するし、極端な場合は不正の責任を一人で抱え込んで辞職や自殺までしちゃう。なにもそこまでして組織に尽くさなくったって。

 

 という疑念に対して一つのヒントをくれたのが、清原和博自伝『男道』。

 いえ、本は買ってもいないし立ち読みすらしてません。私が感じ入ったのは、新聞広告に使われた引用文。


 

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ssh1106 音楽会が女子が「僕」と歌うハードルを下げた [社会]

<2021>


【お断り】


 もととも2010年の記事ですが、侮蔑的表現が含まれているため改変しました。元記事は欠番とします。


 


 


 ただいま本校は9月の校内合唱コンクールに向けて各クラスで練習が始まっております。いや熱心なことです。


 その合唱の練習を聞いていて、ふと、女性シンガーが「ぼ〜く〜は〜き〜み〜を〜」と歌うアレについて考え始めてしまいました。


 あれ、もしかして、学校の音楽会での合唱が地ならししたのではないかしか?


 


 

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ssh1105 僕の前に僕らがいて、その前から君がいた  [社会]

<2021>

【お断り】

 もともとssh250として2009年にアップしたものですが、「オカマ」という言葉を侮蔑的に用いているため修正して再アップします。ssh250は欠番といたします。

 

 

 この記事はもともと2009年に書いたものなのですが、記事を書く直前に、嫁サンがお友達からいいものを借りてきました。J-Loveというタイトルの4枚組CD19802000年あたりの国内ヒット曲のオムニバスCDです。

 洋楽派の私ではありますが、せっかくだったので、懐かしのJポップを自分のオーディオシステムで聞いてみました。

 けっこう、いろんな発見がありました。


 何よりも興味があったのは、曲や歌詞ではなくて、音。何せ私はオーディオマニアですんで、この時期もっとも流行ったJポップを、自分のシステムで再生すると、果たしてどんな音で鳴るのかしらと。

 実は、国内でフツーに売られているCDには本格的なシステムと相性の悪いものが割と多いんです。これはポップだけでなく、ジャズやクラシックでも同じ。

 で、残念ながら悪い予想が当たっておりました。この時期のJポップは、全体に音が腰高で厚みがないんですね。プログラミングの音もまだ未完成な感じ。それと、どーゆーわけか、やたらとエコーがかかっている。

 一言でいうと、全体にチャチな感じに鳴ってしまいました。中にはいいのもあったんですが。

 

 あ、すんません。こんな話はどーでもいいっすね。オーディオマニアなんてしょせん絶滅危惧種ですわい。


 音のことはさておいて。

 ざっと往年のヒット曲を聞いていたところ、ちょっとした気付きがありました。

 女性シンガーが男性目線で「ぼ~く~は~き~み~を~」と歌うようになる以前に、そこへつながる過程があるようなんです。


 

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ssh1104 女装演歌と男装ポップ [社会]

<2021>

【お断り】

 この記事はssh244「オカマ演歌とオナベポップ」というタイトルで2009年にアップしたものですが、今回、侮蔑的表現を改めて新記事としてアップいたします。旧タイトル(あえて残しておきます)に不快な思いをされた方々にここで改めてお詫び申し上げます。

 

 

 私の音楽ライブラリは洋楽ばっかりです。ポール・マッカートニーを筆頭に、60年代から最近までの洋楽がひしめいていて、邦楽(今はJポップと呼ぶんですね)はあるにはあるけど、しごく少数です。だから、国内のミュージックシーンにはとんと疎いです。

 それでも、家族の中では私が一番たくさんJポップを耳にしているようです。理由はFM私は部屋でも仕事中でも運転中でも、とにかく音楽がなってないとイヤなタチです。通勤中の車内(イナカ教師ゆえクルマ通勤です)はたいてい地元の民放FMが流れてまして、そこで最新ヒットをけっこうチェックできてます。


 

 ここで話は突然、日本語の特性という話題に飛びます。

 日本語の特性って、いろいろ指摘されてますが、その中の一つに、男言葉と女言葉が非常にはっきりしているということがあります。他の言語、例えば英語にも男言葉と女言葉はありますが(ない、と思ってた人いませんか?)しごく限定的なものです。

 

 I don't believe in UFO.

 というセリフ、男のものとも女のものとも言えませんが、一人称を「わたし」とか「アタシ」とか書くと、女の人のセリフのように聞こえます。

 言葉遣いが性別を露骨に示してしまうのですよね、我らの母語は。

 

 これを逆手に取ると、男が女のフリをしたり、女が男のフリをするのがたやすいということです。

 土佐日記の例を出さずとも、言葉の上で性転換をしてみせるのがとても簡単なのが日本語です。

 

 

 話はふたたび音楽に戻ります。

 この日本語の特性を最大限活用した音楽が、1960年代(らしい)に登場します。

 ジャンルは演歌でした。

 女言葉で書かれた、女が一人称の歌詞を、男性歌手が唄う。その第一号が誰の何と言う曲なのかは不詳ですが(知ってる人はご一報ください)女心を男が唄う、というヤツです。


 

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ssh1055 アレン・ネルソンは「Peace Is Fun」と言った [社会]

<2017>
<ssh736再録>

 アレン・ネルソン氏について書きます。

 アレン・ネルソン氏はアメリカ海兵隊員としてベトナム戦争に従軍。帰国後PTSDに悩まされ、友人の勧めで小学校で従軍経験を講演。その際、小学生に「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」と問われ、深い沈黙の後Yesと解答、目を閉じたままのネルソンに小学生たちが共感のハグを次々と行いました。それ以降、彼は自身の経験を講演会で伝え続けました。特に日本には何度も訪れ、1200回以上の講演を行っています。2009年に癌で亡くなっていますが、原因はベトナムで触れた枯れ葉剤ではないかとされています。

 ネルソン氏は私の地元にも来訪しました。
 私は彼の講演を2回聞いています。

 彼の講演はお説教とは無縁です。事実を淡々と伝え、その上で自分の意見を述べます。
 本当の戦争にはヒーローもヒロインもいない、本当の軍隊は訓練で「Kill! Kill!」と叫ばされる。本当の軍人は敵を撃つとき頭部や心臓など小さく狙いにくい所など狙わず、一番当たりやすい上半身の真ん中を狙えと教えられる、命中すれば敵はもがき苦しんだ末に死んでいく、等々。

 ネルソン氏は日本国憲法を高く評価していました。世界中で「戦争を知らない子ども」が普通なのは日本だけである、その原動力が日本国憲法だと。

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ssh1052 競争主義者と議論することの不毛 [社会]

<2017>
<ssh610再録>

 競争主義を主張する人と議論するのは、実に楽しくありません。不毛です。
 今回は、そのあたりを探ってみようと思います。


 私自身は、意見の異なる人と議論するのがけっこう好きです。意見の合う人と議論するよりずっと面白い。
 意見の異なる人との議論は、いろいろと新しい発見があります。自分が考えたことのない視点論点を教えてくれることもある。
 もちろん緊張感を伴いますから、あまり気楽には臨めません。でも、少しでも話がかみ合うと、ちょっと充実感があります。

 ところが。競争主義者との議論では、そういうことがありません。
 人をバカにしてくるというか、潰しにかかってくるというか。若者言葉で言えば「上から目線」。
 
 議論ってのは、相手の意見を一通り理解して、肯定できる部分は肯定し、否定すべき部分は否定していくのが本来の姿です。
 なのに、競争主義の人って、こっちの言うことをまず絶対に肯定しない。ほぼ全否定。
 それも、ちゃんと理路整然と攻めて来るわけじゃない。論点をそらしているだの、それは重要な問題ではないだの、そんな悠長なことは言ってられないだの、どこに証拠があるだのと、こちらの言うことを受け止めること自体を嫌がっているんですよ。
 言っちゃナンですけど、相手の意見を受け止めることに怯えているような感じすらする。
 なぜ?


 私の仮説はこういうもの。
 競争主義者は、競争すること自体が実はあまり好きではない。彼ら彼女らは、ただ勝者になること、勝者であること「だけ」を渇望している。
 故に彼ら彼女らは、目先の勝ちにこそ集中していて、それ以前の部分にはあまり関心がない。
 だから、自分の意見論拠が首尾一貫しているかどうかということには関心がない。とにかく勝てばいい。意見がコロコロ変わることを、特に恥だとは思わない。

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ssh1043 石原慎太郎は人間のクズだ [社会]

<2017>
<ssh434再編 初出2011年>

◆◆大震災は「天罰」と石原知事 「津波で我欲洗い落とせ」(河北新報 3月14日)
 東京都の石原慎太郎知事は14日、東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」と述べた。

 知事は一連の発言の前に、持論を展開して「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と語っていた。

 同日、この後に開いた記者会見で「天罰」の意味について「日本に対する天罰だ」と釈明。「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないか。それしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」と話した。天罰について発言した際、「『被災された人は非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれないが』と言葉を添えた」としたが、実際には話していなかった。◆◆


 よくもこんな人非人に12年も都政を任せてくれましたね、東京都民のみなさん。
 私はハラワタが煮えくり返って完全に冷静さを失っています。
 この災害を、この時期に、自説を展開するためのオカズに使うんですね、この畜生野郎は。
 こういうのを「我欲」と言うのでしょう。
 人間のクズです。

 私は今、「殺意」を感じています。
 こんなに強く、一人の人間を「生かしておきたくない」と思ったことは記憶にない。
 今度という今度は、絶対に許せません。
 彼にこそ「天罰」を。

 まさかこんなケダモノにまた都知事をやらせるつもりじゃないでしょうね、都民のみなさん。

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ssh1039 オンナのコはいつ、なぜ誕生したか [社会]

<2017>
初出2010年

 いきなり質問です。<オンナのコ>って、何歳までの女性のことですか?

 ア 6歳まで
 イ 12歳まで
 ウ 18歳まで
 エ 20歳まで
 オ 25歳くらいまで
 カ 20代まではセーフ
 キ 35歳までならOK
 ク 実年齢と関係なく、見た目や性格が<オンナのコ>っぽければ<オンナのコ>
 ケ オレより若い女は全部<オンナのコ>
 コ いくつになっても、女はみんな<オンナのコ>(Girls should be girls!)

 幼少期の私は典型的なテレビっ子でして(古いなあ、この言葉)、アニメや特撮ヒーローものやバラエティ(ドリフとか)ばかりでなく、歌番組や芸能番組やドラマや時代劇までよく見ていました。幼少期の記憶はなかなか忘れません。特にどうでもいいことはすごくよく覚えています。肝心なことはすぐ忘れるクセに。
 で、そのどうでもいいクセに忘れない記憶の一つが<オンナのコ>にまつわるものです。

 私がテレビっ子だった小学生時代は、<アイドル>と呼ばれる人たちが市民権を得はじめた頃でした。当時のトップアイドルと言えば男性は西城秀樹、女性は桜田淳子(山口百恵じゃありません。後に非常に成功するとはいえ、デビューしてしばらくは彼女は桜田淳子に次ぐ存在でした)。
 ある日『スター誕生』なるオーディション番組に彼女がゲストで出演しました。彼女はこの番組からデビューを果たしたからOGみたいなもんでした。で、彼女の出番の際、司会の萩本欽一がこう言いました。「桜田淳子ちゃんです!」
 この「ちゃん付け」が子供心にすごく違和感がありまして。小学生ならともかく、十代後半でお仕事も持ってる人に「ちゃん付け」はねえだろ、と。
 まあ、今じゃ世界で一二を争うほどのトップアスリート浅田真央すら「ちゃん付け」ですが。何で浅田選手と呼ばない。

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ssh1020 無関係で無責任で無知である者が一番声高になれる [社会]

<2017>
<ssh598再録>
*初出は2013年ころです。

 今回は、クレーマーの心理について考えてみたいと思います。
 モンスターペアレントとか、ネット界あるいは政財界に生息するやたらと他人を口汚くののしる人々も、クレーマーと同種とお考えください。

 なぜクレーマーはクレームに走るのか、という考察は省かせて頂きます。
 私がここで考えてみたいのは、
 クレーマーがクレームをつけるためには、どういう条件があった方が有利であるか
 であります。


 例えば、私が座っていた椅子が突然壊れて、私がケガをしたとします。
 私は誰にクレームをつけられるでしょうか。
 この椅子の素性によって、相手は違ってきます。
自分で設計して自分で組み立てた椅子の場合・・・これはどうしようもないです。自業自得。
自分で設計して他人に組み立ててもらった椅子の場合・・・設計に問題がなければ、組み立てた相手に文句が言えます。しかし設計に問題があれば、組み立てた人の責任とは言いにくい。クレームをつけられるかどうかは、慎重に考えた方が良さそうです。
他人が設計して自分が組み立てた椅子の場合・・・上記と同じような慎重さが必要でしょう。
設計も組み立ても他人の場合・・・これはかなり気楽にクレームがつけられます。
 つまり、その椅子の政策に自分が関わっていると、クレームはつけにくくなります。関わりが少ないほどクレームはつけやすい。自分が関わると、自分の責任が発生します。
 加えて言えば、自分が使った時間が長くなると、使い方の問題で寿命が縮んだという可能性が出てきます。ここでも自分との関わりが強くなるほど、クレームはつけにくくなる。
 さらに言えば、使い方の難しいものと、そうでないものでは、また様子が違ってくる。デリケートな素材を使っているのに、そのへんの「使用上の注意」があまりきちんと伝えられなかったら、客としては怒りたくなります。
 見ず知らずの業者が設計製作して一見の客として店で買った新品の椅子が壊れたら、たぶん100人が100人クレームをつけるでしょう。何せその椅子と自分の関わりはほぼゼロですから。

 すると、クレーマーにとって有利な条件とは、次のようなものでしょう。

 その件となるべく関係がないこと。
 その件になるべく責任がないこと。
 その件についての知識がなるべくないこと。

 つまり、無関係で無責任で無知であるほど、クレーマーは有利だということです。

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ssh758 菅義偉と大川隆法とデマツイート屋は人間のクズだ [社会]

<2016>

 

 九州の地震。これほど強い余震が頻繁に起きるケースは私の記憶にありません。とにかく被害が少しでも少なくなるように、被害に会われた方々が安全に過ごせるように願っています。

 

 それにしても。東日本大震災といい、鬼怒川水害といい、大きな災害が起きると、それを奇貨に自説を展開しようとするクズが湧いて出てくるのはどういうことなんでしょうか。こいつらに他者を思う心はないのか。

 

 今回は人間のクズ3連発です。まずは官房長官・菅義偉。

◆◆緊急事態条項「極めて重い課題」 熊本地震で官房長官 

  菅義偉官房長官は15日の記者会見で、熊本地震に関連し、大災害時などの対応を定める緊急事態条項を憲法改正で新設することについて「極めて重く大切な課題だ」と述べた。「憲法改正は国民の理解と議論の深まりが極めて重要だ」とも語り、慎重に検討すべきだとの立場を示した。  自民党は野党時代にまとめた憲法草案で、緊急事態条項の新設を明記している。(日本経済新聞 2016.4.16.)◆◆

 

 今、現在進行形である地震被害を改憲論に利用するって、どういう了見だよ。「今はそういうことを議論するときではない」くらいのことがなぜ言えない。

 

 

 2発めは幸福の科学総裁、大川隆法。

◆◆熊本地震は 「日本の神々」からの警告 

 熊本の地震から一夜明けた15日、大川隆法総裁は、地震に深く関係した霊を呼び出した。 

 現れた神霊は、冒頭で、約1年半前に起こった阿蘇山の噴火を念頭に、「地震、噴火、津波。こういうものが来るときは、だいたい私らが、何か政治的なメッセージを出している」と語った。ただの自然現象ではなく、神意が込められたものだという。 

  日本社会では、新聞の部数やテレビの視聴率、世論調査の結果を「民意」とする向きが強いが、この点について、神霊はこう指摘した。 

 「一人一票をかき集め、多数を取ったものが〝正義〟ということになっているが、多数になった者がやっている仕事が悪い。(中略)*戦後体制で宗教や神の心を完全に排除しようとしてきた七十一年だ」(以下略 なお*の中略は記事のまま)

(ザ・リバティWeb2016.4.15.)◆◆


 信教の自由は最大限尊重するけど、何だよこれ。大災害を党勢拡大に利用するつもりか。

 今までいろんなクズを批判してきたけど、これは最大級のクズです。

 本日これより、私は幸福の科学を積極的に批判対象とすることを宣言します。


 

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