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ssh757 班目春樹は人間のクズだ [社会]

<2016>

 

 他者の生命・生活・尊厳よりも自分の利益を優先する人間、特に他者の生命が失われた痛ましい事件や事故を「自説を展開」するネタに使うような者をsshは「人間のクズ」と認定します。


 本日、人間のクズ第9号を認定いたします。東日本大震災発生時に原子力安全委員会の委員長だった班目春樹です。

 班目の罪状は、石原慎太郎(ssh認定人間のクズ第1号)・下村博文(同第4号)・山谷えり子(同第8号)と同一。

 

◆◆

 「あんな人を総理にしたから天罰が当たったんじゃないかな、というふうに、このごろ運命論を考えるようになっちゃってますよ(笑)」 

 原発事故は菅直人を総理にした国民への天罰”──。そんな耳を疑う発言をしたのは、東日本大震災時に原子力安全委員会(現・原子力規制委)の委員長だった班目春樹・東京大学名誉教授だ。 

 38日放送の『みんなのニュース』(フジテレビ)のインタビューVTRでのこと。福島第一原発事故の後、班目元委員長は、政府に専門家として助言する立場として、地震発生翌日の菅直人首相(当時)の原発視察に同行するなどしていた。だが、フジのインタビューで当時の事故対応や助言の内容について問われた班目元委員長は、頭に手をやりながらのけぞりざまに原発事故は天罰と大爆笑しながら語ったのだ。 

 思わず言葉を失ってしまう暴言である。そもそも班目元委員長は、原発事故の“A級戦犯のひとりだ。312日の朝、菅首相とともに福島原発の視察へ向かった班目元委員長が、ヘリのなかで「大丈夫、水素爆発はおこらない」と言い続けていたことは有名な話だ。ご存知のとおりその数時間後、1号機で水素爆発が起きた。政府対応の初動が遅れたのは、こうした班目元委員長の発言が原因のひとつだったとも言われているが、しかし、班目氏は番組でこのことについて伊藤利尋アナに問われると、こう弁解したのだ。 

 「『わあ、しまった!』と思った。これは強く記憶しています。建屋まで(水素が)出てきてしまえば、普通の空気ですので、爆発の可能性がある。菅総理に説明する時にそのことまで言わなかったことは大失敗だったとは思うんですが、わたし自身は、間違ったことは言っていないと思っているんです」 

 あくまで自分に責任はない、というつもりらしい。だが班目氏といえば、東日本大震災直後も「想定を超えた。想定が悪かった」、2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が停止した際にも「これ以上考えられないような想定を大きく超える揺れが起きた」などと、つねに想定外を強調、政府の御用学者としてのふるまいに終始してきた人物だ。しかし、福島第一原発の事故が本当に想定外だったかというと、そんなことはない。それは、他ならぬ班目元委員長自身が過去に出廷した裁判で証明しているのだ。


 

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ssh756 山谷えり子は人間のクズだ [社会]

<2016>

 

 ssh認定、人間のクズ。

 自分の利益のために他人の尊厳や生命を踏みにじる者を、sshは人間のクズと認定しています。

 これまで認定されたのは次の通り。

  • 「津波は天罰」と東日本大震災を自説を展開するネタにした石原慎太郎
  • 自らの保身のために原発再稼働を容認した野田佳彦
  • 大津いじめ自殺事件を自説を展開するネタにした渡邉美樹
  • 東日本大震災を天からの警告だと自説を展開するネタにした下村博文
  • 米議会演説という野心のためにユダヤロビーに取り入って日本人人質を見殺しにした安倍晋三
  • 鬼怒川堤防決壊は民主党の事業仕分けが原因だとデマを流し、水害を民主党批判に利用しようとしたネット民たち
  • SEALDsの奥田愛基に殺害予告の脅迫を行った者と、それに便乗したネット民たち。

 

 本日、人間のクズ第8号を認定いたします。前国家公安委員長・山谷えり子です。

 山谷の罪状はこれ。

 

◆◆(前略)神社本庁などでつくる「日本の建国を祝う会」が渋谷区で開いた行事には約1200人が参加。山谷えり子前国家公安委員長は緊急事態要綱の必然性に触れ、「東日本大震災でも何もできなかった。緊急事態を宣言すればもっとたくさんの命が救えた。」と主張(攻略) (2016.2.12.新潟日報) ◆◆

 

 

 石原慎太郎しかり、下村博文しかり。このクズどもにとって東日本大震災という未曾有の大災害も、「自説を展開する」ネタでしかないようです。人の命なんざ自説の肥やしでしかないようで。

 

 現政権関係者からはまだまだクズは出てきそうですな。


 

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ssh752 そうりだいじんとのおしょくじのけん はってんへん [社会]

<2016>

 

◆◆税金で高級寿司・・・首相番記者の呆れた忘年会 (日刊ゲンダイ 2016.1.6.)

 こりゃ安倍政権のヨイショ報道があふれ返るのもムリない。大新聞・テレビの上層部が安倍首相としょっちゅうゴルフしたり、酒を飲んだりして籠絡されているのは有名な話だが、下っ端の記者まで官邸とズブズブになってしまっている。

 昨年12月25日の首相動静を見ると、〈6時3分、内閣記者会との懇談会〉とある。何をしていたかといえば、飲めや食えやのドンチャン騒ぎだという。参加した記者が言う。

 「首相官邸の地下2階のフロアに総理番記者が勢揃いし、安倍首相や萩生田光一、世耕弘成両官房副長官ら側近と1年間をねぎらう忘年会みたいな会合です。安倍政権になってから急に始まったわけではなく、歴代総理も恒例行事として官邸や公邸で懇談会を開いてきました」

 担当記者と首相は年中、朝から晩まで顔を合わせる。忘年会をやろうが新年会をやろうが構わない。問われるのはその程度と中身だろう。

 「内閣記者会の懇談会は安倍首相になってから格段に豪華になりました。去年は有名寿司店のケータリングがあり、腕利きの板前が握りたてのトロやイクラを振る舞ってくれました。公邸お抱えのシェフが切り下ろしてくれたローストビーフは、とろけるような食感でしたね。政治家の政治資金パーティーで出されるホテルの料理より何倍も美味でした」(前出の記者)

 安倍首相の正面にはスマホで写メを撮ろうとする記者が喜々として列をなし、実際、ある大新聞の記者と安倍首相のツーショットを見せてもらうと、家族みたいに仲むつまじい様子だった。

 さらに驚くのは、これらは全てタダ飯、タダ酒ということだ。首相官邸に問い合わせると、「懇談会にかかる経費は全て国費で賄っております」とあっさり認めた。

 つまり、番記者たちは国民の税金で飲み食いしているということになる。

 政治評論家の伊藤達美氏が言う。

「権力者である首相と取材する側の記者には、適切な距離感と緊張感が必要です。懇談会はいいとして、かかった飲食費を官邸と記者で折半するとか、会費制にするとか、いくらでも方法があるはずです。全てご馳走さまではなれ合いの関係に陥り、政権に不都合な話が書けなくなってしまうと誤解されても仕方ないと思います」

 権力と闘っているフリをして世論誘導しようとするごっつぁん記者のタレ流し報道を信用していると、この国はトンデモないことになる。(太字はshira)◆◆

 

 

 曲がりなりにも教育ブログを標榜しているsshとしては、あまり口汚い言葉で感情的に罵るのは控えるべきだとは思うのです。

 でもね。堪忍袋の緒にも限界があります。

 

 ふざけるのもいい加減にしろ!


 

 

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ssh745 奥田愛基への脅迫者と便乗して煽る奴らは人間のクズだ [社会]

<2015>

 

 ssh認定人間のクズ。今回も特定多数が対象です。


 SEALDsの中心的メンバーの一人である奥田愛基氏に対し、彼とその家族を殺害するという脅迫が送られたそうです。(詳細は彼のツイッターで確認ください。リンクは貼りません。)

 

 sshはこの脅迫を最大級の憤りをもって糾弾します。

 これは犯罪です。それも悪質な犯罪です。卑劣です。下劣です。他人の尊厳を踏みにじる人間のクズの行為です。

 

 クズは犯人だけではありません。

 奥田氏のツイートに対し、平和的に解決してみせろだの、9条が守ってくれるんじゃないだのと、犯人の肩を持つツイートを書いている奴ら。こいつらも自説を展開するために他人の生命や尊厳をないがしろにする人間のクズどもです。


 一つはっきりしたのは、SEALDsに否定的な人間の中に、こういうクズが一定数いるということです。

 この一件で安保法制を支持する人たちへの不信感が大きく高まったことはここで明言しておきましょう。

 

 ところで。

 デモで安倍晋三を呼び捨てにしただけで新聞が批判し、誰かが安倍晋三の悪口をトイレに落書きしたら警察が操作し、安倍晋三のポスターにイタズラ書きをした人が警察に逮捕されるのが我が国の現状。

 この現状で、奥田氏への脅迫に対し警察はどのように動くのか?(すでに被害届は出ているようです)

 警察の動きによっては、我が国の不自由非民主化がどの程度まで進んでいるのかを確認することができるでしょう。

 

 日本しかり、中国しかり、朝鮮半島しかり、どこも不自由で非民主的な政治運営がなされ、多くの市民が犠牲を強いられています。

 今必要なのは、東アジア諸国の民主化運動なのかもしれません。

 プラハの春・アラブの春ならぬ「アジアの春」。


 

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ssh744 sshは安保法案成立に抗議します [社会]

<2015>

 

 ssh19日未明の安保11法案可決成立に抗議します。

 

 私は護憲派を自認しています。

 しかし、日本国憲法が絶対であるとは考えていません。国民が熟議ののちに出した結論であれば、憲法の改定はあって構わないと考えます。

 

 私は武力による抑止はあまり好きではありません。

 しかし、武力が抑止力として現実に機能していることは認めています。武力は戦乱を抑止する力でもあり、戦乱を引き起こす力でもあります。

 

 私は自衛隊と個別的自衛権を消極的に認めています。

 武力が抑止力になる現実がある以上、そうせざるを得ません。

 日米安全保障条約には懐疑的です。特に地位協定の現状にはまったく同意できません。しかし、アメリカとの安全保障上の協調は現実的な選択と考えます。日米安保そのものを直ちに廃棄するのは無理でしょう。

 

 

 それらすべてを認めた上で、今回の採決はまったく受入れられません。

 

 理由の1つ目は、集団的自衛権を今すぐ行使できるようにする必要がないこと。(理由はssh670に詳しいのでそちらを参照。)

 理由の2つ目は、政府が最後まで法律の必要性を納得させるような説明をしなかったこと。

 理由の3つ目は、違憲立法の可能性が非常に高いこと。

 理由の4つ目は、世論調査でも反対が大多数であること。

 

 しかしこれらは、決定的なものではありません。政府が本当に腰を据えて国民的な議論を喚起し、必要なら憲法を改正して立法がなされるのであれば、私自身が反対であっても一応の納得はできるでしょう。

 

 私がこの採決を絶対に認めない理由。

 それは、安倍政権が強権政治で民主主義を破壊したからです。

 安倍政権は自由を制限し民主的な社会を後退させる、不自由非民主政権です。

 

 sshは日本の民主化のために、再び、安倍政権の即時退陣を求めます。


 

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ssh743 鬼怒川洪水で本性を見せた人間のクズども [社会]

<2015>

 

 sshは「人間のクズ」認定制度を持っています。

 sshが認定する人間のクズとは、自己の利益・利権のために他者の尊厳、特に他者の生命を踏みにじる行為をする者のことです。これまでに石原慎太郎・野田佳彦・渡邊美樹・下村博文・安倍晋三が認定されています。

 

 今回新たに認定するクズは、特定個人ではなく、特定の集団の人間たちです。

 罪状はこちら。

 

◆◆記録的な大雨の影響で、関東から東北地方にかけて、各地で河川の氾濫や浸水などによる大規模な被害がでている。茨城県常総市では鬼怒川の堤防が決壊し、多くの住民が建物のなかに取り残されている。

 そんななか、ネット上では、10日夕方ごろからこの種の情報が飛び交っていた。

〈民主党政権時代の負の遺産の目に見えての大失敗だ。スーパー堤防を何百年に一度来るかどうかの対応は不要と却下した。当時の総理大臣始め担当部署大臣職を皆極刑にしてもいいくらいだ。日本人皆で殺人及び殺人未遂で訴えたら世界初かな?何とか責任は取らせないといけないと思う〉

 ようするに、民主党政権が事業仕分けで「スーパー堤防」を「却下」したことが、今回の鬼怒川堤防決壊及び大規模浸水被害の原因、民主党は責任をとれ!というのだ。スーパー堤防とは、国が1987年に開始した堤防の幅を高さの30倍(従来は2倍)に広げる治水事業。計画当初、国土交通省は200年に1度クラスの大洪水に備えるため、実に873kmを整備予定としていたが、現在、計画は首都圏と近畿圏の5河川120キロに縮小されている。

 だが、一言で言えば鬼怒川堤防決壊は事業仕分けのせいというのは完全にデマである。

 たしかに2010年、民主党政権が事業仕分けでスーパー堤防を「廃止」と判定したことは事実だ。しかし、スーパー堤防は完成までに400年、あるいはそれ以上の長大な年月と、12兆円超もの莫大な金額がかかると試算された超巨大事業。仮に民主党が仕分けをおこなっていなくても、現在までにスーパー堤防が機能していた可能性は極めて低いだろう。しかも、もともとスーパー堤防が計画されていたのは、関東地方の利根川、江戸川、荒川、多摩川、関西地方の淀川と大和川の計6河川区間のみ。そもそも鬼怒川は最初から計画に入っていなかったのだ。(LITERA 2015.9.11.)◆◆

 

 ネットで拾ってみたところ、言い出しっぺを見つけることはできませんでした。しかしこのデマを精力的に拡散している者たちはすぐに何人も拾い上げることができました。

 このデマを言い出した人間、拡散に加担している人間。これらすべてをsshは人間のクズと認定します。

 彼ら彼女らは、民主党憎しという自説を展開するネタとして、ロクに確認もせず多数の人々の生命と生活を奪った災害をネタに活用したのです。


 

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ssh742 市民運動について考える(4)〜デモの持つ第二のメッセージ [社会]

<2015>

 

 そもそもデモって、何のためにやるんでしょうか?

 

◆◆デモンストレーション

 1 抗議や要求の主張を掲げて集会や行進を行い、団結の威力を示すこと。示威運動。デモ。(2,3)◆◆

 

 示威行為ってくらいですから、威力を示すためにデモをやるわけです。上記の辞書だと、団結の威力を示すこと。だから人数が重要だし、メッセージが重要。

 と、私たちは思っています。しかし、本当にそうなんでしょうか?


 高崎経済大学の國分功一郎准教授が、パリのデモを例にデモについて考察をしています。優れた考察です。虫食い引用で紹介します。(***が省略部分。太字はshiraによる。オリジナルは2012年のスタジオジブリ冊子「熱風」に掲載。)

 

◆◆

***パリのデモを見て最初驚いたのは、ほとんどの人が、ただ歩いているだけだということである。横断幕を持ってシュプレヒコールを挙げている熱心な人もたくさんいる。しかし、それは一部である。多くはお喋りをしながら歩いているだけ。しかもデモの日には屋台が出るので、ホットドッグやサンドイッチ、焼き鳥みたいなものなどを食べている人も多い。ゴミはそのまま路上にポイ捨て。

 デモが終わると広場で代表者みたいな人が何か演説することもある。それを聞いている人もいれば、聞いていない人もいる。みんななんとなくお喋りをして、ナシオン駅から地下鉄に乗って帰って行く。

 さてデモはこれで終わりだが、実は、私のような見物人にとってはまだまだ面白いことが続く。デモが終わったと思うと、デモ行進が行われた大通りの向こうから、何やら緑色の軍団が「グイーン」という音をたてながらこちらに向かってくるのだ。何だあれは!***

 デモの最中、ゴミはポイ捨てなので、デモが行進した後の路上はまさしく革命の後のような趣になる(単にゴミが散らかっているだけだが)。しかし、彼らパリ清掃軍団がやってきて、あっという間に何事もなかったかのように路上はきれいになるのだ。パリ清掃軍団の清掃能力はすごい。彼らは毎夕、街を清掃している。そうして鍛え上げられた清掃能力がデモの後片付けを一瞬にして終えるのである。これはどこか感動的である。

***

 デモにおいては、普段、市民とか国民とか呼ばれている人たちが、単なる群衆として現れる。統制しようとすればもはや暴力に訴えかけるしかないような大量の人間の集合である。そうやって人間が集まるだけで、そこで掲げられているテーマとは別のメッセージが発せられることになる。それは何かと言えば、「今は体制に従っているけど、いつどうなるか分からないからな。お前ら調子に乗るなよ」というメッセージである。***


 

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ssh741 市民運動について考える(3)〜デモと選挙は二者択一ではない  [社会]

<2015>

 

 大阪都構想の住民投票に破れて政界引退を明言した橋下徹が、安倍・菅との会談以来すっかり元気になって、ここのところ(ロクに市役所に登庁せず)活発に安倍政権を擁護する政治活動を活発に繰り広げています。

 先日もツイッターで830日の国会前デモを批判したようです。デモで政治を決めてはならないとか、人数が重要ならサザンのコンサートの方がどーたらこーたらと。

 この言い回し、聞いたことあるなと思ったら、1960年安保で岸信介が言った「今も後楽園球場は人でいっぱいだ」と同じ発想。ツイッター界にもエンタメイベントの人数を使ってデモなんか対して意味ないと批判する人がけっこういます。みなさん岸信介と同じ精神構造をお持ちのようで。ってことは安倍晋三とも波長が合うんでしょうね。

 

 人数の話はssh740でさんざん書いたからやめます。

 今回は、選挙結果がすべてであり、デモは民主主義的じゃないという批判について考察します。


 先に結論から書きますと、そもそも選挙とデモを二者択一のように論じること自体がヘンテコです

 選挙はもちろん重要です。しかし選挙だけで民主主義が機能するはずもない。デモも署名も世論も、選挙に負けず劣らず重要な民主主義のパーツです。

 そもそも選挙がすべてであるなら、世論調査だの支持率調査だのは不要です。政治家にとって世論は次の選挙の行方を決める重大なものです。そしてその世論を動かすものの一つとして市民運動があります。

 デモだけで世の中は変わりません。

 同様に、選挙だけで世の中は変わりません。

 ある意味、選挙と世論はお互いを補完する関係です。


 

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ssh740 市民運動について考える(2)〜参加人数の意味 [社会]

<2015>

 

 市民運動の行動にはいくつかの形があります。署名・学習会・講演会や映画の上映会・ビラや立て看板での宣伝・集会・デモ・座り込み・ハンスト・スタンディングなど。

 この中でもっともアピールが強いのはデモ・集会でしょう。

 デモや集会が社会にアピールするには、規模が大きいほどいい。人数がすべてではないけれど、人数を集めることは重要です。

 

 830日の国会包囲行動は、主催者発表で12万人が集まったそうです。昨今の集会としてはかなり大きなものです。

 

 ところで、この種のイベントの主催者発表の「数字」にやたらとツッコミを入れる人がいます。警察発表とずいぶん違うとか、写真で見るととてもそんなにいるように見えないとか、60年安保の写真の方が人が多いとか何とか。

 このあたりについてはssh739のコメント欄でも書きましたが(注:コメント消失)、今回は改めて参加人数というものの意味について書いてみようと思います。

 

 

 最初に確認事項。

 830日の安保法制反対イベントの参加人数については、立場にかかわらず理解が不正確です。3万人と12万人と35万人がごっちゃになっています。正しくはこう。

  • 国会前に集まった参加者・・・主催者発表延べ12万人 警察関係者の取材では3万人以上
  • 上記にプラスして、国会前にたどり着けず日比谷公園や議員会館など国会周辺で参加した人・・・主催者発表延べ35万人 警察関係者への取材による人数なし
  • 同日全国300ヶ所以上で開かれた同趣旨の集会・デモ等に参加した人数・・・いずれも未集計

 

 もう一つ確認。

 よく「警察発表」という表現を使う人がいますが、これは誤りです。

 警察はデモや集会の人数を公式発表することは一切していません。新聞記事には「警察関係者(への取材)によると」と書かれていて、こちらが正しいです。

 今回の「警察関係者によると3万人以上」というのも、記者が警察の人間に直接取材をして聞き出した数字です。発表ではありません。

 

 

 ご存知の通り、この種の参加人数は、主催者発表と警察関係者の情報でずいぶんと食い違うことが多いです。

 一体どちらが信用できるのか?それともどっちもアテにならないのか?あるいはどっちも正しいのか?


 

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ssh739 市民運動について考える(1)〜不慣れな人々の行動 [社会]

<2015>

 

 この夏、安保関連11法案に対する多くの運動が、ごく当たり前に行われるようになりました。

 圧倒的に多いのが反対派の集会・デモ・学習会・声明発表など。ごくごく微量ですが、賛成派のデモと声明というのもあります。

 

 私の居住する県でも、安保法制反対の集会やデモが行われるようになっています。本日830日は県内34ヶ所でデモ・集会・スタンディングが行われます。これは相当珍しいことです。だいたい県庁所在地など大きめの市でせいぜい23ヶ所というのが通例ですから。

 

 私も先週と今日、集会に顔を出してきました。

 先週は50人くらいの地味な集会でしたが、今日は国会包囲行動と連動しているということか、大雨にも拘らず、ちょっと勘定しきれないくらいの数の人が参加していました。主催者発表の300人まではいなかったかも知れませんが、前回の4倍はいた感じです。

 

 この集会では、実に新鮮な感覚を味わいました。

 一言で言うと、集会の主催者も参加者も、なんか不慣れなんですよ。


 

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