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ssh48 「ゼロトレランス」攻略法〜実戦トレーニング(2) [小論実戦トレーニング]

<2007>

 ゼロトレランス指導(メンド臭いので、以下ZTと略記)の是非についてどう思うか、理由をつけて述べてみましょうという、ssh47の実戦トレーニングの攻略編です。

 まず、断っておきますが、私は解答例は書きません。あくまで攻略法だけ紹介します。

<意見はどれでもいい>
 最初に、ZTに賛成か反対かどっちでもないか、という立場=意見ですが、これはどれでも構いません。どれを選んでも点数に変化はありません。ということは、正直に自分の意見を選ぶのが一番ラクです。

<敵を知る>
 実はssh47にはあちこちにヒントが仕組んでありました。
 その一つが、ZTは「日本では「厳しい指導」「厳罰主義」という程度の感覚で紹介されているようです。」という部分です。
 ここをわざわざ「紹介されているようです」と結んだのは、実はZTと厳罰主義はまったくのイコールではないことを暗示したんです。
 ZTの是非を語るのなら、ZTの正確な定義を知る必要があります。
 少なくとも、ZTは体罰を認める考え方ではありません。あくまで、トレランス=寛容性を拒否するやり方です。つまり、いわゆる情状酌量をゼロにするというやり方です。「親との関係に苦しんでいた」とか「相手にひどいことを言われた」等の、まあそれならムリもないかなあと思えるような部分も認めないということです。そうなると、結果として厳しい罰が課されやすくはなりますが、決してハナっから厳罰を狙っているわけではありません

<斬ってはいけない>
 小論文の最終目的は読み手の説得です。読み手に「なるほど」と思わせることです。
 ここで間違えてはいけないのは、ただただ声高に自分の意見を一方的に攻め立てることは、かえって説得力を落とすということです。
 今、世間では「○○を斬る!」という物言いがたくさん流布しています。自分の意見を声高に叫び、反論を「ものがわかっていない」「タワゴト」「ただの××でしかない」と切って捨てる物言いです。これは、同意見の人に取ってはスカッと爽快ですが、そうでない人にはまったく受け入れられません。世間に流れる物言いには商品という役割もあるんで、ある程度売れてくれさえすれば、「賛同してくれんヤツはそれでいい」と切り捨てることもできます(ターゲットマーケティングとでも言うんでしょうか)。
 しかし、小論は商売で書くわけではありません。試験です。
 仮にあなたの意見が採点官と異なっていても、
 「この受験者の意見は私の意見とは正反対。だが、言いたいことはなるほどと思わせるものがある」
 と、思わせられる答案を書く必要があります。

<賛否両論を理解する>
 ZTについては賛否両論というssh47の文面も、私が仕組んだヒントです。
 今、社会的に賛否両論があるということは、大の大人や学者さんたちが考えても意見が割れているということです。18歳かそこらの受験生に究極の答えが出せるようなテーマじゃありません。(だから、「斬る」ことなんかできっこないのです。)
 それを論じろと言われた以上、少なくとも、賛否両論をある程度理解しなくてはなりません。賛成派の論拠としてはこんなものがある、反対派は・・・というくらいのことが分かっていなくては、論じようがありません。

<自分の立場を明確にする>
 しかし、賛否両論を理解すると、正直言って悩みます。どちらももっともだからです。
 こうなると、自分の立場が決めにくくなります。
 しかし、自分の立場は、勇気を持って決めるべきです。
 立場が不明確だと、説得力が薄れます。
 もしあなたが直感的に「子どもには厳しくあたるべきだ」と思ったのなら、その立場を勇気を持って選ぶべきです。

<勝負は、自分ならではの論拠>
 ずいぶん長くなってきましたが、実は佳境(?)はここからです。
 小論のメインディッシュは、論拠です。論拠の善し悪し=小論の点数の善し悪しです。
 良い論拠とは?
 それは、「ほう!」とうならせるようなものです。
 人間、聞いたことのあるようなものには「ほう!」とはうなりません。うなるのは、新鮮なものに対してです。
 論拠は、あなた独自のものであることがベストです。
 独自とまではいかなくても、他の受験生が気が付かないようなものであれば高評価が期待できます。
 例えば、あなたが大変な読書家であれば、他人の知らないようなネタ知識(ネタ知識についてはssh37参照)を使えます。

<経験こそ、最強の独自性>
 しかしそうは言っても、ネタ知識には限界があります。「自分はそんなに読書家でもないし・・・。」と落ち込んでいるアナタ、そう、今PCを見ているアナタ。
 落ち込むことはありません。
 あなたには、他の誰も持っていない独自のものがあります。
 それは、あなた自身の「経験」です。
 あなたの人生は、あなただけのものです。ただの一瞬たりとも、他の誰かが代わりに生きてくれたことなどありません。
 あなたの経験は、他の誰も絶対に、ぜーったいにマネできません。
 別に立派な経験でなくていいんです。独自性と特殊性は違います。
 以下、具体的に、使えそうな論拠を並べてみます。

<賛成の論拠例>
・私は小さい頃先生に厳しく怒られてよかった
・先生が甘かったせいで私のクラスのいじめが収まらなかった
・実際にZTでうまく行っている学校の紹介
・子どもは壁にぶつかることで初めて自立できるのではないか
・人は一つ許されると次も許されると思うものだ
・割れ窓理論

<反対の具体例>
・私の小学校の先生はとても怖くて、私は学校に行くのがいやだった
・先生が優しかったおかげでクラスがとても楽しかった
・ZTで行き詰まった学校の紹介
・ZTが単なる厳罰と誤解されているのではないか
・厳罰の象徴は死刑ではないか?ならば死刑廃止国は死刑存続国よりも犯罪発生率が高いのか?

<どちらともいえないの具体例>
・結局、大人が子どもに真剣に向き合うことが重要なのであって、ZTか否かは大した問題ではないのではないか?
・私の学生時代は、生徒に評価される先生というのは厳しいとか優しいということとは無関係だった。もっと別の要素があった。
・ZT否定派は「厳しくしなくても、話せばわかる」と言い、ZT肯定派は「厳しくしなくてはわからない」という。しかし、どちらも「わかる」ということを期待している点では同じではないか。双方とも、どんなふうに向かっていってもわかってくれない人間の存在は考えていないではないか。となれば、世間を騒がす「理解不能」な犯罪に対しては、どちらも無力なのではないか?

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