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ssh1144 「教育の敗北」という敗北宣言 [教育問題]

<2023>

 私ことshiraは、ブログだけでなくSNSもやっております。

 やっておるのですけど、「教育の敗北」なる文字列を見ると、本当に本当に、気分が悪くなるのです。


 何なんですかね、この「教育の敗北」って物言いは。

 いや、政府与党的な人たちからの理不尽な批判なら慣れっこです。どーせ〇〇ですから。

 「教育の敗北」という言い回しは、リベラルを自認する方々から放り投げられるのですよ。


 まあ、気持ちはわからないでもないです。

 史実やまったく当たり前のことにデタラメなケチをしつこくつけられたら、誰だってギブアップしたくなります。


 でもね、だからって、なんでそれを教育だけに責任転嫁しちゃうんですかね。


 あのね、教育は敗北なんかしてませんよ。

 義務教育レベルの知識判断力のない人間は、そもそも教育と戦ってすらいない。彼ら彼女らは、教育から逃避している。

 戦いから逃げた人間がいることを「敗北」とは言わないでしょう。


 
 「教育の敗北」は、思考停止のマジックワードです。

 〇〇が起きた、大問題だ、教育の敗北だ。

 そう言ってしまえば、話はおしまい。あとは学校教職員の責任。あとよろ〜、です。

 

 イヤミな文面ですか。

 ええ、そうでしょうね。

 でもね、私たち教員は、こういう物言いに、ずーーーーーーーーーーーーーっと耐えてきたのですよ。


 私が教員になった1980年代は、管理教育批判がマスメディアのトレンドでした。管理教育が生徒の反発を招いていたと。本多勝一も管理教育はロボトミー手術だと批判してました。

 当時は校内暴力がすごかった。私の母校の中学では生徒が職員室に殴り込みかけて教員をボコボコにして全国ニュースになりました。

 ところが、その言語道断な職員室襲撃事件は、襲撃した生徒たちにえらく同情的でした。

 今にして思うと隔世の感があります。


 世の中がバブルに浮かれていたころ、私たちは荒れる生徒たちに、文字通り身体を張って日々立ち向かっていました。世間は学力にまったく無関心。バカなことをやる人間の方が目立つし偉い。授業サボってバイトして遊びまくっても就職は引く手数多。進学校はともかく、そんな状況で真面目に生活を律して真面目に勉強するインセンティブなんかありゃしない。生徒たちは自らの欲求の趣くままに行動していました。私たちは、とにかくその一日の秩序を保つことにすべての気力体力を注いでいた。日々が消耗戦でした。

 学校批判の論拠が急に変わったのもバブルの頃でした。

 それまでの学校批判は管理教育批判。厳しい校則や体罰で生徒を締め上げ管理する教員たちが生徒を苦しめているから生徒たちは反抗して荒れるのだと。

 ところが、校内暴力がシャレにならないレベルになると、マスメディアは突如として管理責任を問うようになります。学校がしっかり生徒を管理しないからいけないのだと。


 実はこの頃、当地で全国ニュースレベルの大事件がありました。すると、地元紙はそれまでの管理教育批判からコロリと手のひらを返し、教員の管理責任を問いました。

 私は逆上しましたけど、今までの言い草と違いすぎないかという指摘が世間様が起きることはありませんでした。


 教育報道って、本当に簡単なお仕事ですね。


 教育って、苦情の最終処理施設なんですよ。

 論拠なんかどうでもいいんですよ。教育のせいにすればみんなうんうんとうなずいてくれる。

 どっかの若者が猟奇的な事件を起こせば、それは教育のせい。

 企業の人材確保がうまくいかなければ、それは教育のせい。

 日本経済の国際競争力が下がれば、それは教育のせい。

 どっかのスポーツチームの選手が君が代斉唱をしなければ、それは教育のせい。

 日本人はデモもストライキもしない、それは教育のせい。(中学で教えてます)

 労働三権を知らない、それは教育のせい。(中学で教えてます)

 日本人は英語ができない、それは教育のせい。(そのご批判を受けたカリキュラムやってます)

 

 で、まあ、その最たるものが「教育の敗北」なる言い回し。 

 なんですか、その言い草。


 そりゃまあねえ、世の中には、小中高と一体なにを学んできたんだと言いたくなるようなアホバカはいますよ。

 だからって、なんでそういうアホバカを批判するために、わざわざ「教育の敗北」なんて言うんですか。 

 失礼極まりないですよ。不快です。


 どんなに素晴らしい教育を施しても、受ける側が断固としてそれを拒絶したら、教育は成立しません。

 義務教育レベルの教育を内在化できずに社会人になったのは「教育の敗北」の結果ではありません。

 彼ら彼女らは、教育の拒絶に勝利したのです。


 あ、すみません。ちょっとばかり血圧が上がっちゃいました。

 まあでも、教育の敗北って物言いは、左派というか、リベラルというか、現政権に批判的なはずの方々から、それこそ垂れ流されてくるんですよ。


 右派が教育に文句言うのは想定内です。いつの世も、権力者は教育に介入したがります。 

 でも、リベラルを自認しているはずの左派が、実に気楽に「教育の敗北」とかのたまうのですよ。

 これ、相当危険なことだと思いますよ。


 教育の敗北という物言いは、最終責任を教育に押し付けている。

 教育の敗北と言えば、自分は何もしなくていい。

 教育の敗北と言えば、諸悪の根源は教員。自分はイノセント。

 教育の敗北と言えば、なぜどうしてその相手がそうなってしまったのかを考える思考は停止する。


 「教育の敗北」は、日頃から自覚的に物事を観ていると自認するリベラルな人間が、そこから先の施策を放棄する敗北宣言として機能しています。

 

 実際、これまでスタンスに共感してきたアカウントの方々が、国内の問題を「教育の敗北」で片付けてしまうケースがありました。で、そう想って距離と取ってみたら、やっぱり、困った時は教育やら日本文化やら何やらにに原因を求めるタイプの、まあつまらない人たちでした。


 「教育の敗北」という言葉を使う人は、その時点で自らの論証に敗北しているのですよ。


 

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