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ssh1076 パークスとスイッツァーとバニラエア(5)〜生存戦略としての従順 [三題噺]

<2018>


 キングを扱った教材でローザ・パークスの行動を紹介したところ、高3生たちが人権のための勇気ある行動と前向きに受け止めることがイマイチできなかったというツイートに端を発した長編の三題噺。ここまで生徒の様子・自身の30年ほどの経験・リプのことなど書いてきました。

 今回の記事では、なぜ高校生たちがパークスやスイッツァーの行動を素直に英雄的行動と受け止めることを躊躇するのか、その理由について私の考察を述べてみます。


 去年の冬、「◯◯高校(現任校)の未来を考える会」なる催しがありました。提案・主催・運営は生徒会。参加者は生徒会役員+一般生徒有志+教員有志。現任校が今後どのような学校であるべきか、そのためにはどんなことをしていけるのかを建設的に話し合うという企画です。大昔のことは知りませんがこの5年ほどでは初めての企画。

 頼もしい生徒たちですよね。私はこういう生徒は大好きです。本当に応援したくなります。

 実はこの生徒会役員たちこそ、高1でスイッツァー、高3でキングを読み、ビミョーな反応をしてみせた高校生その人たちです。

 意外ですか?意外かも知れませんね。

 ことほど左様に、彼ら彼女らは従順を持ってよしとする飼い犬のような高校生ではないのです。彼ら彼女らは、相手が先生であっても自分たちの意見は伝えようとする、前例がなくても大きな企画に挑戦する、昨今としてはむしろ珍しく活発で挑戦的な生徒たちなのです。


 おお、頑張るじゃないか、一丁応援してやるかと、私も参加を決めました。

 ただ参加するだけじゃつまらない。手土産が欲しいな。私は進路資料室に向かいました。

 未来を考えるにはまず過去と現在を知るべし。現任校の過去の様子を進路の面から見てみようと思ったのです。


 で、これが、かなり面白かったんですよ。


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ssh1075 パークスとスイッツァーとバニラエア(4)〜クソリプと誤解と [三題噺]

<2018>


 10月11日に投稿したツイートは3000件以上リツイートされるというちょっと考えられないレベルの反響をもらいました。無名人が投稿した変な画像でもおもしろネタでもない文字だけのツイートに対しては過分なる反響です。

 どんなものでも母数が増えれば妙なものも多く混じってきます。ヘンテコな反応や、それちょっと違うよなあという反応も多数ありました。

 この記事ではそういうSNSにはありがちな「?」な反応について書かせてもらいます。


 妙な反応といえば、まずはいわゆる「クソリプ」ですね。

 ネット界には本当に困った人たちが「たくさん」います。「たくさん」とカギカッコに入れたのは、現実の人数はそれほどでもないのですが、多数のアカウントやIDを取得して似たようなものを多数送るケースが多いからです。

 ただバカみたいな話を投稿してるだけならただのバカということで放置しておいてもいいのでしょうけど、彼ら彼女らは他者の人権を踏みにじる不当・違法な書き込みを執拗に繰り返します。

 特にひどいのが近隣国に対する差別です。韓半島や中国に対して目を覆うようなひどい差別攻撃をします。いわゆるヘイトスピーチです。在日外国人の人権を守ろうみたいなツイートを書くと途端に、誘蛾灯に蛾が集まるようにウヨウヨと差別屋が寄ってきます。

 私はこういう差別屋を発見した場合、問答無用でツイッター社に通報しています。利用者規定に違反しているからです。


 くだんのツイートは高校生がローザ・パークスの件についてあまりピンと来なかったみたいだという内容ですから誘蛾灯としての性能は低いはずなんですけど、それでも妙なのはありました。分類してみますと、


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ssh1074 パークスとスイッツァーとバニラエア(3)〜運動と弾圧 [三題噺]

<2018>


 ボストン・マラソンに強行出場し女子マラソンの扉を開いたキャスリン・スイッツァーのエピソードをコミュニケーション英語Iの授業で読みビミョーな反応を示した高1生も今や高3生。バリバリの受験生です。志望校への進学を実現すべく、2年前なら想像できないレベルの英文をけっこうなスピードで読んでいます。

 そんな彼ら彼女らに再びビミョーな話題が登場します。マーティン・ルーサー・キングJrに関する英文です。

 この教材はバスボイコットで公民権運動スポークスマンに抜擢されたキングの戦略・強み・人柄などを扱いながら、不当逮捕や脅迫を受けてもひるまずワシントン大行進を成功させ、暗殺後に叙勲したことについて、かなり概説的にあっさりと扱っています。

 あっさりしてるのはいいんですけど、肝心のバスボイコットがどういう経緯で起きたのか全然触れられてないんですね。さすがにこれじゃ困るだろうと思い、バスボイコットの発端となったローザ・パークスの一件を生徒に紹介しました。当時の運行規定に反して白人に席を譲らず警察に逮捕されたというアレです。


 すると。またまた例のビミョーな反応がうっすらと湧いてきたんです。今度はうっすら、ですが。

 生徒からすると、気持ちはわかるけどそこでそうやってイスに座り続けるのって得策なのかな、もっと他の方法ないのかな、てな感じだったんでしょうか。「他の方法」なんかとっくにやり切っていてそれでもラチがあかないからこういう形になってるわけなんですけど、どうもピンとこないようで。


 言っときますけど、戦後史の勉強は今の高校生の方が昔の高校生よりはるかにきちんとやってます。私が受験生だった1980年ころだと歴史問題の出題は1945年までに限定されていました。現在は高校入試でも戦後史がちゃんと問われます。

 ただ、世界史は弱いんですよ。中学で扱う世界史はいたって限定的で、南北戦争も扱いません。公民分野で何とか触れてはいますが大したことはできない。高校は世界史AかBが必修ですが、Aだと本当に大雑把なことしかやりません。


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ssh1073 パークスとスイッツァーとバニラエア(2)〜暴力の内向化 [三題噺]

<2018>


 私が現職に就いたのは1987年4月。元号はまだ昭和。

 時はバブル時代。大学進学を目指す高校生は都会へ都会へと流れ、日東駒専がメチャクチャ難関でした。

 といっても私が赴任した高校は大学進学とはほぼ無縁で、勉強を真面目にやる生徒はごく少数でした。


 今日の学校で起きる暴力は教師が生徒に暴力を振るう体罰が最大の問題でしょう。

 1980年代の学校が抱えていたもっとも厄介な問題は「校内暴力」。これは生徒が教師に暴力を振るうという意味です。今どきの高校生には信じられないでしょうが、80年代は中学生や高校生が徒党を組んだ教員に暴行を加えることが日常的にニュースになっていました。私がかつて通っていた中学は私が卒業して6年ほどして全国ニュースになりました。生徒が集団で職員室に殴り込みをかけて先生たちをボコボコにしちゃったそうで。

 将来大学に進学することを考えていた中学生たちは、そういう荒ぶる生徒たちから上手に逃げながら勉強をして、いわゆる進学校へと進んでいたのでしょう。


 80年代に大学進学と縁のない高校で働くということは、荒ぶる者たちと日々向き合うことを意味しました。

 荒ぶる者たちに小理屈など通じません。教師であることも何の盾にもなりません。毎日毎時間が闘いでした。ナメられたら最後、生徒は誰も言うことを聞いてくれません。授業は崩壊し教室はカオスと化します。

 授業に行くということは、所定の時間を「授業時間」として成立させるという極めて困難なミッションをクリアすることを意味しました。私語や立ち歩きなど序の口、教員がナメられると授業中に教室から堂々と抜け出してどっかに行ってしまいます。サボりなんか日常茶飯事、居眠りならおとなしく部屋にいてくれるだけありがたいくらいです。

 それでも私の初任校では対教師暴力はほとんどありませんでした。職員が有能だったからではなく、単に生徒がいささかの分別があって先生に手を出さなかっただけです。対教師暴力に悩まされていた学校もありました。

 その代わり、物品はよく壊されました。窓ガラス・トイレの扉・ロッカーのふた・ゴミ箱・部室の扉の通風孔・体育の道具等々、とにかくよく破壊されました。


 あのころの高校生は、荒ぶる魂を外に向かって放出していました。いささかの分別があればモノに向かって、それがなければ人間に向かって。


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ssh1072 パークスとスイッツァーとバニラエア(1)〜高校生のビミョーな反応 [三題噺]

<2018>


 1つのツイートが原因で長いブログ記事を書くことになってしまいました。

 原因というのはこのツイート。

 このツイートはどういうわけか4ケタのリツイートといいねをいただきました。こういうのを「バズる」と言うんですかね。私はスマートフォン持ってませんのでバズるって感覚よくわかりませんが、まあたくさんの方に共有されること自体は悪い気はしません。けっこう著名な方にもリツイートされましてそれは嬉しかったです。もちろん多くの人の目に留まれば妙な反応が出てくるものですが、まあ予想の範囲内でした。

 予想の範囲外だったのは、とある著名な方からダイレクトメッセージをもらってしまったことです。直接お話を伺いたいと言われてしまいまして。

 メッセージには自分なりに頑張って返信しました。けど十分に伝えられたかどうか。このまま放って置くのはイヤだな、これはきちんとブログ記事にまとめないといかんな、と思いまして。


 本県の高校では高1で担任を持った教員がそのまま高3まで担任を継続するのが通例です。くだんの高校生たちは私の担任する学年で現在高3。私は高1からずっと英語の授業を担当しています。

 彼ら彼女らの反応に初めて「ん?」と思ったのは高1の1学期。コミュニケーション英語Iのテキスト(Pro-Vision)にキャスリン・スイッツァー(Kathrine Switzer)の話が出てきたときのことです。



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ssh1029 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(4) [三題噺]

<2017>
<初出2008>

 小6か中1くらいのころ、伯父宅にあった『科学パズル』なる本に、こんな問題が載ってました。

◆◆◆
 ある人が、次のような相談をしてきました。
 「私には、赤色と青色が反対に見えているような気がして仕方がありません。例えば郵便ポストは赤いのですが、私の目には、どうしても他の人のいう青色に映っているような気がするのです。しかし私がポストの絵をクレヨンで書くとします。すると私はポストと同じ色として自分の目に映っているクレヨン、すなわち赤色のクレヨンを選んで絵を描きます。私の目に青色に映っていたとしても、出来上がるポストの絵は赤く塗られるため、何の違いもおきません。また、私はポストの色を赤色、空の色を青色と教えられてきていますから、言葉の上でも私は他人とまったく同じで正常ということになってしまいます。
 果たして私の目に写っている赤色と青色は、本当に他の人たちの目に映っている赤色や青色とは違わないのでしょうか。」
 この人の言っていることを確認する方法はあるでしょうか?◆◆◆

 この問題、私には大変衝撃的なものでした。
 正解は「確認のしようがないし、する必要もない」というものでした。
 要するに、この人は社会生活上何の問題も起こさないのです。
 仮にこの人の目に本当に赤と青がまったく逆に写っていたとしても、何のトラブルもありません。

 しかし、これは裏返すと、私の目に映っている色と、他人の目に映っている色が、まったく同じという保証は、どこにもないということでもあります。

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ssh1028 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(3) [三題噺]

<2017>
<初出2008>

 私、昨年(注:2007年)の秋に、ヘリコバクターピロリことピロリ菌への感染が明らかになりまして、除菌治療というのを行いました。この時処方されたのがランサップ800というもので、2種類の抗生剤と1種類の胃薬がセットになった、なかなかにご大層な代物でした。これを1日2回、1週間連続で服用します。わー大変。
 除菌というと洗剤か消臭剤みたいですが、体内の菌を除菌するというのはそんな生易しいものじゃありません。1匹でも残っていれば、菌は再び増殖します。
 除菌するには、皆殺しあるのみ。中途半端な攻撃は禁物、集中砲火を切れ目なく立て続けに浴びせて、1匹残らず確実にトドメをさします。
 ランサップ800が2種類の抗生剤を用いるのは、全滅させるための集中砲火です。1種類では死なないしぶとい菌も、2種類同時攻撃には耐えられません。1週間連続服用するのは、切れ目なく立て続けに攻撃して、息を吹き返すヒマを与えないためでしょう。

 私の除菌治療にあたって、担当医が私に注意したのが、絶対に勝手に服用をやめたり回数や量を減らしたりしないということでした。

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ssh1027 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(2) [三題噺]

<2017>
<初出2008>

 抗生物質の実用化で、内科治療は革命的な進歩を遂げました。しかし、敵もさるもの。細菌の方も黙ってやられてはくれませんでした。
 害虫やネズミの駆除に殺虫剤や殺鼠剤をよく使いますが、それで相手が全滅するわけではありません。
クスリを食らっても生き残るタフな個体が少々います。
 その少々は、その子孫を作ります。タフな個体の遺伝子を受け継ぐ、タフな子孫です。こいつらは、ちっとやそっとのクスリではくたばりません。仕方なくもっと強い殺虫剤や殺鼠剤を使います。
 それでも、特にタフなヤツは生き残ります。その生き残りがタフな子孫を作って、と、イタチごっこになることもあります。強い農薬は弊害も多いですから、やたらとクスリばかりばらまいてもよくないことになります。

 抗生物質と細菌の関係は、上の例とは少々違うのですが、リクツは上の例みたいなものです。つまり、抗生物質が多用されるうちに、抗生物質に耐性を持つ菌が出てきてしまった。いわゆる耐性菌です。

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ssh1026 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(1) [三題噺]

<2017>
<ssh181〜4の連続記事加筆&再録>
*初出2008年

 みなさん、カゼをひいた時、余計な症状を併発しませんか?
 私の場合、わりとよく中耳炎か副鼻腔炎になります。
 そうなると、抗生剤(抗生物質)で治療することになります。

 中耳炎とか副鼻腔炎(ちくのう)とか聞いて、「わ〜怖い!」と思う人は少数でしょうね。どちらも現代の先進国に暮らしている分には、大した病気じゃありません。町医者にかかってクスリをもらえば数日で回復します。
 しかし、かつては本当に怖い病気でした。 この日本でも、戦前は年間十万人以上の人が中耳炎で命を失っていました。中耳の炎症が悪化して、脳炎を起こしてしまって。
 当時、中耳炎を確実に治療する方法はありませんでした。中耳炎に限らず、体内に細菌が入って起こす炎症というのは、お手上げだったのです。

 体外なら、細菌を殺すことは難しくありません。加熱なり乾燥なり消毒薬なり、いろんな手があります。しかし、体内ではそうはいかない。当時の医療では、患者を痛めることなく体内の細菌を殺す方法はありませんでした。栄養を取って静養して、自然回復を祈るくらいしかできなかったわけです。
 ったって、貧しい人なら栄養も静養もムリでしょうし、ましてや子どもだったら、もうお祈りするくらいしかなかったでしょう。

 カゼは万病のもと、とよく言われます。カゼをこじらせて命を落とすというとき、すぐに思い浮かぶのは肺炎です。これは今でも怖い。特に乳幼児。
 しかし、それ以外にも、かなりの人が中耳炎のような感染症で亡くなっていたものと思われます。副鼻腔炎についてはよく調べてないのですが、たぶん悪化すれば命に関わったものと思われます。何せ首から上の感染症ですから。

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ssh724 ガンディーと職員会議といささかの勇気 [三題噺]

<2015>

 

 忘れっぽい(忘れさせっぽい)中央メディアはとっくに旧聞にしてしまっている、ドイツのメルケル首相の来日。

 日本の戦争責任問題に言葉を選びながらも忠告を与え、演説会場にわざわざ「話題の」朝日新聞社を選んだりと、彼女は日本の現状に相当な憂慮を持っていたのだということがシロウト目にも伺い知れました。中央メディアはそういう重要なメッセージを(たぶん意図的に)軽く扱っていましたが。

 

 そのメルケルが引用したマハトマ・ガンディーの言葉がこれ。

 「あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」

 

 でもこれ、何が言いたいのか全然わからないという人が多いんじゃないでしょうかね。特に安倍シンパの方々にとってはサンスクリット語でも読んでるような感じでしょう。

 

 

 話変わって、私shiraは話し合いというものが割と得意です。くだらない会議は嫌いですが、きちんと議論や意見交換のできる話し合いはけっこう好きです。

 sshには「話し合うことの意義と目的」というカテゴリーがあります。まだ記事は3本だけですが。(注:Ver.2.0では「話し合い・民主主義」と改名)

 

 なんでも東京都では、職員会議で挙手すること自体が御法度だそうで。東京は日本のピョンヤンですかいな。

 それに引き比べ、わが地元では職員会議では自由闊達な議論が許されています。闊達さが弊害になることもなくはないですが、現在は自由闊達な議論が学校長の最終決定の有効なバックアップとなっています。学校や生徒を良くすることが一番大切だということが共通認識されていれば、自由な議論はプラスになってもマイナスにはならないものです。東京みたいなところで教員にならなくて良かったなあと心底思いますね。

 

 私は職員会議でよく発言する人間です。

 根がおしゃべりということもありますが、理由はそれだけではありません。

 私がどうしても発言をせねばならないと思うとき。それは、重要なことを誰も言わないなと察したときです。

 

 私はいたって臆病な人間です。一見の店に一人で入ることは怖くてできません。旅行も怖い。初めての人と話すのは本当に苦手です。電話も苦手。今もって電話をかけるときはちょっとばかり勇気が必要です。

 会議というのは、その時々で妙な「空気」が発生します。どうでもいいようなテーマに滅多やたらと意見が続出するかと思えば、すごく重大な事案なのにシーンとしてしまうこともある。

 シーンとした空気の場で発言するのはすごく勇気が必要です。

 

 会議の場で何も言わず、会議が終わってからあれこれ言う人がいます。

 私はアレが大嫌いです。

 ものごとは「何」を言うかだけでなく、「いつ」言うのかも大切です。

 どんなに優れた意見であっても、言うべきタイミングを逸したら、価値はひどく落ちます。競馬の予想はレース前でなければ無価値、それに近い。

 

 今、この会議の場で、どうしても指摘しておかなければならないことがあるのに、誰もそれを言おうとしない。

 そういう時、私は、ちょっとばかり勇気を出して、それを指摘します。

 必ずそうします。イヤでも、元気がなくても、そうします。

 そうしなければ後悔するから。


 

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