ssh1076 パークスとスイッツァーとバニラエア(5)〜生存戦略としての従順 [三題噺]
ssh1075 パークスとスイッツァーとバニラエア(4)〜クソリプと誤解と [三題噺]
ssh1074 パークスとスイッツァーとバニラエア(3)〜運動と弾圧 [三題噺]
ssh1073 パークスとスイッツァーとバニラエア(2)〜暴力の内向化 [三題噺]
ssh1072 パークスとスイッツァーとバニラエア(1)〜高校生のビミョーな反応 [三題噺]
ssh1029 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(4) [三題噺]
◆◆◆
ある人が、次のような相談をしてきました。
「私には、赤色と青色が反対に見えているような気がして仕方がありません。例えば郵便ポストは赤いのですが、私の目には、どうしても他の人のいう青色に映っているような気がするのです。しかし私がポストの絵をクレヨンで書くとします。すると私はポストと同じ色として自分の目に映っているクレヨン、すなわち赤色のクレヨンを選んで絵を描きます。私の目に青色に映っていたとしても、出来上がるポストの絵は赤く塗られるため、何の違いもおきません。また、私はポストの色を赤色、空の色を青色と教えられてきていますから、言葉の上でも私は他人とまったく同じで正常ということになってしまいます。
果たして私の目に写っている赤色と青色は、本当に他の人たちの目に映っている赤色や青色とは違わないのでしょうか。」
この人の言っていることを確認する方法はあるでしょうか?◆◆◆
この問題、私には大変衝撃的なものでした。
正解は「確認のしようがないし、する必要もない」というものでした。
要するに、この人は社会生活上何の問題も起こさないのです。
仮にこの人の目に本当に赤と青がまったく逆に写っていたとしても、何のトラブルもありません。
しかし、これは裏返すと、私の目に映っている色と、他人の目に映っている色が、まったく同じという保証は、どこにもないということでもあります。
ssh1028 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(3) [三題噺]
除菌というと洗剤か消臭剤みたいですが、体内の菌を除菌するというのはそんな生易しいものじゃありません。1匹でも残っていれば、菌は再び増殖します。
除菌するには、皆殺しあるのみ。中途半端な攻撃は禁物、集中砲火を切れ目なく立て続けに浴びせて、1匹残らず確実にトドメをさします。
ランサップ800が2種類の抗生剤を用いるのは、全滅させるための集中砲火です。1種類では死なないしぶとい菌も、2種類同時攻撃には耐えられません。1週間連続服用するのは、切れ目なく立て続けに攻撃して、息を吹き返すヒマを与えないためでしょう。
私の除菌治療にあたって、担当医が私に注意したのが、絶対に勝手に服用をやめたり回数や量を減らしたりしないということでした。
ssh1027 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(2) [三題噺]
害虫やネズミの駆除に殺虫剤や殺鼠剤をよく使いますが、それで相手が全滅するわけではありません。
クスリを食らっても生き残るタフな個体が少々います。
その少々は、その子孫を作ります。タフな個体の遺伝子を受け継ぐ、タフな子孫です。こいつらは、ちっとやそっとのクスリではくたばりません。仕方なくもっと強い殺虫剤や殺鼠剤を使います。
それでも、特にタフなヤツは生き残ります。その生き残りがタフな子孫を作って、と、イタチごっこになることもあります。強い農薬は弊害も多いですから、やたらとクスリばかりばらまいてもよくないことになります。
抗生物質と細菌の関係は、上の例とは少々違うのですが、リクツは上の例みたいなものです。つまり、抗生物質が多用されるうちに、抗生物質に耐性を持つ菌が出てきてしまった。いわゆる耐性菌です。
ssh1026 中耳炎と抗生物質と「みんな同じ」幻想(1) [三題噺]
*初出2008年
みなさん、カゼをひいた時、余計な症状を併発しませんか?
私の場合、わりとよく中耳炎か副鼻腔炎になります。
そうなると、抗生剤(抗生物質)で治療することになります。
中耳炎とか副鼻腔炎(ちくのう)とか聞いて、「わ〜怖い!」と思う人は少数でしょうね。どちらも現代の先進国に暮らしている分には、大した病気じゃありません。町医者にかかってクスリをもらえば数日で回復します。
しかし、かつては本当に怖い病気でした。 この日本でも、戦前は年間十万人以上の人が中耳炎で命を失っていました。中耳の炎症が悪化して、脳炎を起こしてしまって。
当時、中耳炎を確実に治療する方法はありませんでした。中耳炎に限らず、体内に細菌が入って起こす炎症というのは、お手上げだったのです。
体外なら、細菌を殺すことは難しくありません。加熱なり乾燥なり消毒薬なり、いろんな手があります。しかし、体内ではそうはいかない。当時の医療では、患者を痛めることなく体内の細菌を殺す方法はありませんでした。栄養を取って静養して、自然回復を祈るくらいしかできなかったわけです。
ったって、貧しい人なら栄養も静養もムリでしょうし、ましてや子どもだったら、もうお祈りするくらいしかなかったでしょう。
カゼは万病のもと、とよく言われます。カゼをこじらせて命を落とすというとき、すぐに思い浮かぶのは肺炎です。これは今でも怖い。特に乳幼児。
しかし、それ以外にも、かなりの人が中耳炎のような感染症で亡くなっていたものと思われます。副鼻腔炎についてはよく調べてないのですが、たぶん悪化すれば命に関わったものと思われます。何せ首から上の感染症ですから。
ssh724 ガンディーと職員会議といささかの勇気 [三題噺]
<2015>
忘れっぽい(忘れさせっぽい)中央メディアはとっくに旧聞にしてしまっている、ドイツのメルケル首相の来日。
日本の戦争責任問題に言葉を選びながらも忠告を与え、演説会場にわざわざ「話題の」朝日新聞社を選んだりと、彼女は日本の現状に相当な憂慮を持っていたのだということがシロウト目にも伺い知れました。中央メディアはそういう重要なメッセージを(たぶん意図的に)軽く扱っていましたが。
そのメルケルが引用したマハトマ・ガンディーの言葉がこれ。
「あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」
でもこれ、何が言いたいのか全然わからないという人が多いんじゃないでしょうかね。特に安倍シンパの方々にとってはサンスクリット語でも読んでるような感じでしょう。
話変わって、私shiraは話し合いというものが割と得意です。くだらない会議は嫌いですが、きちんと議論や意見交換のできる話し合いはけっこう好きです。
sshには「話し合うことの意義と目的」というカテゴリーがあります。まだ記事は3本だけですが。(注:Ver.2.0では「話し合い・民主主義」と改名)
なんでも東京都では、職員会議で挙手すること自体が御法度だそうで。東京は日本のピョンヤンですかいな。
それに引き比べ、わが地元では職員会議では自由闊達な議論が許されています。闊達さが弊害になることもなくはないですが、現在は自由闊達な議論が学校長の最終決定の有効なバックアップとなっています。学校や生徒を良くすることが一番大切だということが共通認識されていれば、自由な議論はプラスになってもマイナスにはならないものです。東京みたいなところで教員にならなくて良かったなあと心底思いますね。
私は職員会議でよく発言する人間です。
根がおしゃべりということもありますが、理由はそれだけではありません。
私がどうしても発言をせねばならないと思うとき。それは、重要なことを誰も言わないなと察したときです。
私はいたって臆病な人間です。一見の店に一人で入ることは怖くてできません。旅行も怖い。初めての人と話すのは本当に苦手です。電話も苦手。今もって電話をかけるときはちょっとばかり勇気が必要です。
会議というのは、その時々で妙な「空気」が発生します。どうでもいいようなテーマに滅多やたらと意見が続出するかと思えば、すごく重大な事案なのにシーンとしてしまうこともある。
シーンとした空気の場で発言するのはすごく勇気が必要です。
会議の場で何も言わず、会議が終わってからあれこれ言う人がいます。
私はアレが大嫌いです。
ものごとは「何」を言うかだけでなく、「いつ」言うのかも大切です。
どんなに優れた意見であっても、言うべきタイミングを逸したら、価値はひどく落ちます。競馬の予想はレース前でなければ無価値、それに近い。
今、この会議の場で、どうしても指摘しておかなければならないことがあるのに、誰もそれを言おうとしない。
そういう時、私は、ちょっとばかり勇気を出して、それを指摘します。
必ずそうします。イヤでも、元気がなくても、そうします。
そうしなければ後悔するから。