ssh59 「小学校英語必修問題」攻略法〜実戦トレーニング(7) [小論実戦トレーニング]
<2007>
<テーマを絞ろう>
英語教育というのは、やたらめったらと語りようのあるネタです。誰にでも何かどうか語れます。そのくせ、誰にも決定版のような意見が言えません。
しかし、今回のテーマは、小学校で英語を必修にすることの是非です。決して、日本の英語教育全体を対象にしているのではありません。
ここでは、グッとガマンして、このテーマだけを考えていくのが得策です。でないと、確実にとっ散らかります。
小学校英語必修だけに絞るのですから、例えば、現在の英語教育全般への批判などはあまり展開しない方がいいです。
というか、そんな紙幅はありません。
<ターゲットを決めよう>
ターゲットというのは、まさしく標的です。
今回のテーマの、ここを狙ってバキューンと弾を打ってやろう=ここを攻撃してやろうという、そのターゲットです。
今回のテーマなら、ターゲットは、3つ選べます。
ターゲット1: 小学校
ターゲット2: 英語
ターゲット3: 必修
このどれかをバキューンと狙い打って、穴を作ります。そこが突破口となります。
<ターゲット1: 小学校>
ターゲット1を狙う場合、次のような穴が空いてくる可能性があります。
①中学では遅すぎるのか
②小学校の何年生からが適切なのか
③小学校では遅過ぎないのか
④小学生に英語を教えるのは、小学校でやらねばならないのか=小学生が校外で英語を学ぶのではまずいのか
⑤小学校で英語をやるのなら、誰が教えるのか
⑥同じく、どう教えるのか
⑦同じく、どんな時間に教えるのか=何の授業をカットして英語の授業にあてるのか
⑧そもそも、今の小学校にそんなこと任せられるのか
例えば、①の穴を突破口にして、中学から始めても何ら不都合はないという論拠が立てられれば、「従って、小学校で英語を必修にする必要はない」と結論付けることができます。逆に、中学から始めるのでは遅過ぎることが論拠付けられれば、逆の意見が立てられます。
<ターゲット2: 英語>
これは、以下のような穴が考えられます。
①英語がそれほど大切なのか
②他の外国語ではいけないのか
③その他の教科は重視しなくていいのか
特に③は攻め甲斐のある穴です。よく言われる「英語より国語」論は、まさにここを突いたものです。また、「理科離れ」というネタ知識を使えば、理科をこそ重視せよ=生活科を元通りの理科と社会に戻すのが先だ、という主張も可能です。
無論、逆に、①の穴を攻めて、「英語が国際的に最も使われている言語であることは厳然たる事実」という論拠を上手に立てていければ、必修化賛成の意見を主張することができます。
<ターゲット3: 必修>
私自身は、ここが一番攻めやすい部分だと思います。つまり、
①希望者のみでよいのではないか
②全員にやらせるとなれば、指導する側の人数や予算は大丈夫か
③帰国子女や外国人も必修か
④塾で学んでいる子どもも必修か
⑤小学生全員に教えられるような方法とは何か。それで大丈夫なのか
鈴木孝夫氏はかねがね英語必修不要論を主張しています。一般的な日本人に英語は必要ではない。しかし、政治経済面で英語力の極めて堪能な人間は一定数必要である。だから、(中学でも高校でも大学でも)必修はやめて、その予算をすべて希望者のみに注入すべしと。
<意見も絞ろう>
さて、こういう大きなテーマの場合、あまり大きな意見は語りきれません。
ですから、意見も絞り込んだ方がうまく論ずることができます。
意見の絞り込みというのは、例えば、
「英語の早期教育には賛成だが、その場として小学校は不向き」とか、
「英語は小学生くらいから始めるのがいいとは思うが、全員必修の必要はない」とか、
「英語早期教育の効果は疑わしいし、必修化もやり過ぎだとは思うが、小学校で英語の授業をすること自体は進めるべきだと思う」とか、
「小学校英語必修化賛成だが、そのやり方には注文したいことがある」とかいった意見ということです。
<ヒネリの効いた例>
最後に、ヒネリについて。
ここでいうヒネリというのは、他人が思い付かないようなもの、つまり独創性ということです。
同じ意見なら、論拠や観点が独創的である方が価値があります。
例えば、
「英語の早期教育に大賛成であるからこそ、小学校の必修化には反対」とか
「日本人の英語信仰が大嫌いだからこそ、小学校で英語の必修化を」とか
そういう論が組み立てられれば、かなりヒネリの効いた小論文になります。
ま、ハナっからヒネるこを狙うのはよくないですが、あれこれ考えているうちにヒネったものになるということは、時々ありますよ。
<テーマを絞ろう>
英語教育というのは、やたらめったらと語りようのあるネタです。誰にでも何かどうか語れます。そのくせ、誰にも決定版のような意見が言えません。
しかし、今回のテーマは、小学校で英語を必修にすることの是非です。決して、日本の英語教育全体を対象にしているのではありません。
ここでは、グッとガマンして、このテーマだけを考えていくのが得策です。でないと、確実にとっ散らかります。
小学校英語必修だけに絞るのですから、例えば、現在の英語教育全般への批判などはあまり展開しない方がいいです。
というか、そんな紙幅はありません。
<ターゲットを決めよう>
ターゲットというのは、まさしく標的です。
今回のテーマの、ここを狙ってバキューンと弾を打ってやろう=ここを攻撃してやろうという、そのターゲットです。
今回のテーマなら、ターゲットは、3つ選べます。
ターゲット1: 小学校
ターゲット2: 英語
ターゲット3: 必修
このどれかをバキューンと狙い打って、穴を作ります。そこが突破口となります。
<ターゲット1: 小学校>
ターゲット1を狙う場合、次のような穴が空いてくる可能性があります。
①中学では遅すぎるのか
②小学校の何年生からが適切なのか
③小学校では遅過ぎないのか
④小学生に英語を教えるのは、小学校でやらねばならないのか=小学生が校外で英語を学ぶのではまずいのか
⑤小学校で英語をやるのなら、誰が教えるのか
⑥同じく、どう教えるのか
⑦同じく、どんな時間に教えるのか=何の授業をカットして英語の授業にあてるのか
⑧そもそも、今の小学校にそんなこと任せられるのか
例えば、①の穴を突破口にして、中学から始めても何ら不都合はないという論拠が立てられれば、「従って、小学校で英語を必修にする必要はない」と結論付けることができます。逆に、中学から始めるのでは遅過ぎることが論拠付けられれば、逆の意見が立てられます。
<ターゲット2: 英語>
これは、以下のような穴が考えられます。
①英語がそれほど大切なのか
②他の外国語ではいけないのか
③その他の教科は重視しなくていいのか
特に③は攻め甲斐のある穴です。よく言われる「英語より国語」論は、まさにここを突いたものです。また、「理科離れ」というネタ知識を使えば、理科をこそ重視せよ=生活科を元通りの理科と社会に戻すのが先だ、という主張も可能です。
無論、逆に、①の穴を攻めて、「英語が国際的に最も使われている言語であることは厳然たる事実」という論拠を上手に立てていければ、必修化賛成の意見を主張することができます。
<ターゲット3: 必修>
私自身は、ここが一番攻めやすい部分だと思います。つまり、
①希望者のみでよいのではないか
②全員にやらせるとなれば、指導する側の人数や予算は大丈夫か
③帰国子女や外国人も必修か
④塾で学んでいる子どもも必修か
⑤小学生全員に教えられるような方法とは何か。それで大丈夫なのか
鈴木孝夫氏はかねがね英語必修不要論を主張しています。一般的な日本人に英語は必要ではない。しかし、政治経済面で英語力の極めて堪能な人間は一定数必要である。だから、(中学でも高校でも大学でも)必修はやめて、その予算をすべて希望者のみに注入すべしと。
<意見も絞ろう>
さて、こういう大きなテーマの場合、あまり大きな意見は語りきれません。
ですから、意見も絞り込んだ方がうまく論ずることができます。
意見の絞り込みというのは、例えば、
「英語の早期教育には賛成だが、その場として小学校は不向き」とか、
「英語は小学生くらいから始めるのがいいとは思うが、全員必修の必要はない」とか、
「英語早期教育の効果は疑わしいし、必修化もやり過ぎだとは思うが、小学校で英語の授業をすること自体は進めるべきだと思う」とか、
「小学校英語必修化賛成だが、そのやり方には注文したいことがある」とかいった意見ということです。
<ヒネリの効いた例>
最後に、ヒネリについて。
ここでいうヒネリというのは、他人が思い付かないようなもの、つまり独創性ということです。
同じ意見なら、論拠や観点が独創的である方が価値があります。
例えば、
「英語の早期教育に大賛成であるからこそ、小学校の必修化には反対」とか
「日本人の英語信仰が大嫌いだからこそ、小学校で英語の必修化を」とか
そういう論が組み立てられれば、かなりヒネリの効いた小論文になります。
ま、ハナっからヒネるこを狙うのはよくないですが、あれこれ考えているうちにヒネったものになるということは、時々ありますよ。
2017-09-10 11:57
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