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ssh397 文化資本〜小論キーワード(13) [小論キーワード]

<2010>

 

 今回の小論キーワードはちょっと耳慣れないものを選びました。文化資本です。

 高校生には聞き慣れないかも知れませんが、これは最近よく使われている言葉です。

 どんな場面で登場するかというと、格差問題・階級問題。そして、何より教育問題。

 お金持ちの家の子どもばかりが高学歴を得るのはなぜか?

 

 文化資本という概念を提唱したのは、フランスの社会学者ピエール・ブルデュー。

 裕福な家庭に育った子どもは高学歴を得やすい。どこの国でもそうですけど、現代日本はかなり露骨に家庭経済力が子どもの学力を握ってしまっています。

 ブルデューが提唱したのは、これが単なるゼニの問題ではなくて、子どもが育つ環境の文化レベルによるものだということ。

 まあたとえば、親がピアノやバイオリンを弾くのが上手で、それを日ごろから家で楽しんでいれば、子どもは親の楽器に早くから触れて、それらの楽器演奏ができるようになる可能性が高い。 

 親が読書好きで、書物がいっぱいあると、子どもも自然と読書に親しむ。

 親が芸術に造詣が深く、美術館やコンサートに行くことを常々楽しんでいれば、子どももそういうものとの親和性が高まる。

 親が高学歴であれば、子どもは学校教育のさまざまな場面で有利である。

 

 家にピアノやバイオリンや書物があるとか、親が書物や音楽や絵画を楽しむとか、親が高学歴であるとか、こういう、親の持つ有形無形の文化レベルのことを、文化資本と呼びます。

 

 


 

 文化資本というネーミングは、経済資本とか社会関係資本とかいう言葉との関連性からついているらしいです。けど、あとの2つはここでは省略。

 

 で、実はブルデューの研究のハイライトは、経済資本(親の資産)と同様に、文化資本は親から子どもに相続されるということを、統計的に証明してしまったことです。

 豊かな文化資本の下で育った子どもは、親と同じレベルの文化資本を得る。

 まさしく、上のたとえ話で書いたように、文化資本がリッチな家だと、子どももそういう人生を歩む可能性が高いんです。彼はこれは文化的再生産と呼びました。

 

 コワい話ですね。本当は怖い文化資本。だって、文化的に貧相な家の子どもは、これからもウダツが上がらない可能性大なんですから。

 なーんか、やってらんねえなー、という感じの話じゃないですか。年収だったら努力(今の日本では非常に困難ですが)や運で突然アップすることもあるけど、芸術だの文学だの何だとの関わり合いってのが、ある日突然アップするなんてあり得ませんからね。努力で追いつくってのも難しい。

 

 日本やアメリカと違って、ヨーロッパは封建制以来の階級社会が根強く残っています。

 顕著なのはイギリスとフランス。ここは貴族や中流などの階級=classがしっかり社会に根付いています。

 イギリスで下層階級たるworking classに生まれたら、何かよほどのことでもない限り一生working classです。勉強で頑張ればいい?ムリムリ。家柄の悪い人はパブリックスクールや名門大学には入れません。

 だから下層階級の人間は醒めています。報われるアテのない努力なんかやるだけムダ。

 

 逆に、上流階級はすごい。幼少期からクラシック音楽や古典文学や名画をごく自然に楽しんでいる。

 日本でインテリやエリートを自認する人間がイギリスやフランスに留学・駐留すると、相当なbroken heartを抱えて打ちひしがれて帰ってきます。日本でちっとばかりお勉強ができたところで、家に本物のピカソがあるってようなヤツと話が合うはずもありません。

 

 愛知県に海陽中等教育学校という中高一貫の全寮制学校があります。トヨタとJR東海と中部電力がゼニを出して作った話題の学校。イギリスやフランスのようなホンマモンのエリートを育てたいという狙いで、イギリスのパブリックスクール(全寮制の私立名門学校、前述のように良家の子女しか入れない。)を視察して作った学校です。

 海外をモデルに作るというのがトヨタのクルマみたいで文化後進国っぽいのが気にはなりますが、とはいえ、この学校が成功する可能性は、ないこともないです。古典などの文化は昔から人間が好んでいたからこそ生き残っているのあって、学校で触れていれば親和性を持つかもしれない。ここの子どもたちが文化的なものを本当に好むようになる可能性は否定できません。入学者選抜のシステムなど詳しい事は知りませんが、スタートした以上、生徒たちにはいい成長があって欲しいものです。

 教育格差の問題は、親がどれだけ教育にゼニをかけられるかということで語られています。

 しかし、ゼニだけでは学力は上がりません。

 幼少期から自然観察や天体観測をしていたとか、英語に親しんでいたとか、音楽や美術を親とともに楽しんでいたとか、古典文学を読んでいたとか、歴史談義をしていたとか、そういう子どもは教科学習の上でも断然有利です。

 しかも、こういうのは狙って子どもに与えられるものじゃない。親が自然に親しんでいたという家には叶わない。

 ウチの子は全然本を読まないくて困ってますという家には、そもそも本棚がなかったり、あっても雑誌と新聞屋が集金の時に持ってくる冊子しかなかったりします。これでは最初から勝負は見えています。

 

 文化資本の差というのは、見かけ上のゼニの多寡よりも強力な要因みたいです。

 社会の二極化とか、階層化ということを論じるには、文化資本の格差は論点として強力です。

 

 実は、昨今では、階級社会ではないと思われていた日本とアメリカでも、文化資本の差として論じざるを得ないような階級格差が発生しているということが指摘されています。

 学歴や収入という差に加えて、例えば東大あたりに進学する学生たちにも、文化的な素養のある人間と、ガリ勉だけで他に能のない人間がはっきりと現れている。片や留学経験あり芸術や文学の素養もあり、片や受験勉強をひたすら頑張って来ただけ。ヨーロッパに行って打ちのめされるのは後者のタイプです。

 

 ついでに書いておくと、こういう部分の格差というのは、かなりの部分が母親の育ちに左右されるということが指摘されています。

 つまり、母親が高学歴で文化的素養が高いと、子どもはそういう方向に向きやすい。父親の学歴は年収には反映しても子どもの文化的素養にはあまり影響しない(高収入の父ちゃんは多忙で家にあまりいないんで)。これまた何だか救いのない話です。

 

 まあでもね。

 「新たな階層化」とか「努力が報われるor報われない社会」とか、何気なく聞き流してきたかもしれませんけど、この問題はマジに考えると本当に根が深いんですよ。

 

 

―2010.11.17.付 お詫びと訂正
 上記記事を公開した時点では、海陽中等学校についての文面に「コンプレックスむき出し」とか「マネっこトヨタっぽい」といった表現が使われておりましたが、揶揄が過ぎると思い訂正いたしました。不快感を持った関係者の方がいらっしゃいましたらお詫びいたします。


 

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