ssh451 社説の読み方〜実戦トレーニング編の解答例 [社説の読み方]
<2011>
では、ssh450の解答例を。
説明が面倒なので、1本目の大阪府の君が代起立条例に関する方をA、2本目のドイツの脱原発に関する方をBと呼ぶことにします。
問1 共通点と相違点の指摘の解答例
<相違点>
・学校現場での国旗国歌指導も原子力推進もともに産経の自説である。Aは自説に追い風を受けての文面であるのに対し、Bは自説への逆風に対する反論である。
・Aは「当然」「当たり前」という常識論が論拠である。Bは数値やドイツ独自の事情を紹介することを論拠としている。
・Aはテーマを「疑うことはおかしい」としている。Bはテーマを「疑うべきだ」と主張している。
・上を言い換えると、Aは「考えるな」という意見であり、Bは「よく考えろ」という意見である。
・Aは他国との比較が一切述べられていない。Bはドイツと日本の比較論である。
・Bは今後の展開を見守る必要性を指摘し、ドイツの国民投票はファイナルアンサーではないと主張している。対して、Aは条例可決をファイナルアンサーとすべきだと主張している。
・Aは異を唱える教職員などの「少数派」は非常識で政治的であると批判している。Bはドイツの「多数派」国民の判断よりも産業界という「少数派」の憂慮を肯定的に評価している。
・Aはテーマへの礼賛であり、Bはテーマへの批判である。
つまりね、AとBは、論の立て方がまるで反対なんですよ。
<共通点>
・どちらも積年の自説の延長線上にある。自説の修正はない。
・上と同義だが、55年体制以来の自民党政策の延長線上である。
・同じく、他者を受容する姿勢がない。flexibilityに欠ける。
・日本において国や府などの方針には従うのが是であるとしている。
・意図的かどうかはともかく、行政(官僚や府職員)を支援する内容となっている。
・数字の扱いが不親切である。Aは不起立教員が27校38人に「のぼった」と扱い、Bは電力輸入先のフランスでは8割が原発と指摘しているが、Aは大阪府の教職員数が書かれていないので38人が多いのか少ないのか判断できないし、Bもドイツがどのくらいの電力をフランスから輸入しているのかが書かれていないため、ドイツがフランスの原発にどの程度依存しているのか判断できない。
・「だから国民はあれこれ余計なことを考えたり行動したりする必要はない。黙ってオカミの言う通りにするのが正しい。」
・この意見によって産経新聞に新たな責務(例えば何かを検証して記事化すること)は生じない。
・どーでもいいけど、文体が「上から目線」でお説教くさいてウザい。言いがかりみたいなもんですが。
AとBを含めて、産経クンの特質は、一言でいうとオカマ演歌的。
問2 問題点の解答例
・同時期の同一紙の社説にもかかわらず、論拠の立て方に一貫性がない。そのため、説得力に欠ける。
・論理がご都合主義。
・まず意見ありき。理由はあとから探した感じ。
・読み手としては、ものごとを疑うべきなのか、疑わず素直に従うべきなのか、態度の決定に困る。
・「産経って、やっぱ産経なんだよな~」とスルーされる危険性大。
・論理や根拠よりもイデオロギーや利益を優先している印象を与える可能性がある。
・示唆がない。
・日頃異なった意見を持っている読み手に「なるほど」と思わせる可能性はほとんどない。新たな共鳴者を開拓する可能性が弱い。
いえ、別に産経クンだけがダメなわけじゃないですよ。中央紙はどれも似たような病気を持ってます。
ただね、福島の事故以降、原子力政策に非常に積極的だった産経クンと読売クンはかなり旗色が悪くなってるんです。
6月11日に日本全国だけでなく海外でも脱原発の市民運動が大規模に行われました。これはネットだけでなく、TVでも扱われました。
中央紙で一番扱いが大きかったのは朝日クンで、1面扱い。毎日クンと日経クンはそれよりは小さいながら一応の扱い。
ところが、読売クンと産経クンは完全に「なかったこと」にしてるんですよ。
本日、菅原文太(宮城県出身)と西田敏行(福島県出身)が、イベントの記者会見で、個人的には原発NOと明言したそうです。この際ドイツ・イタリアと脱原発三国同盟を作ればいいと菅原文太は言ったとか。
市民運動が罪悪であるかのように扱われがちな日本でも、原発いらんという主張は、山本太郎というマイナーでヘンな俳優が何か言ってるというレベルでは済まなくなってきました。
脱原発が当たり前の常識になった時、果たして産経クンはどう出るのか?「考えるな、疑うな」と言うのか、それとも「よく考えろ、疑え」と言うのか。
私が考える今回の2本の社説の一番の問題点は、そこいらへんです。
どっちにしても、私は産経クンの言うことなんか聞く気はさらさらないですけどね。私がウォッチャーをやっているのは、単に今回よろしくツッコミ所が多くていいオモチャだからです。子どもの作文読んで笑ってるのと同じようなもんで。