ssh520 小中学校のせいにはしたくない [教育問題]
<2012>
当たり前のことですけど、高校生は小学校教育と中学校教育を経て入学してきます。
で、これも当たり前ですけど、生徒の指導ってのは、なかなか思うように行きません。
そうすると、ついこう思っちゃうんですね。
「コイツ(ら)一体どういう教育受けてきてんだよ?」と。
私は高校の教員ですんで、非難の矛先は中学に向かっちゃう。
こんな基本的なことがわからない?中学で教わっただろ?え、教わってない?なんてね。
自分の指導に乗ってこない生徒がいると、どうしてもその原因を過去に求めたくなっちゃう。
でもね。
大学の先生方はきっと、同様のイライラを高校に感じているはずなんですよ。
何でこんなヤツを大学に送ってくるんだ、と。
一方、中学の先生は中学の先生で、小学校教育にいろいろと言いたい事があるはず。
その小学校の先生方は、幼児教育(幼稚園と保育園)に注文があるはずです。
で、教育を修了した学生を受け入れる側たる企業の場合、学校教育全体にものすごく注文したいことがある。
大きな企業は大手メディアを通じて言いたいことを大っぴらに吐き出すチャンスがありますから、そういう注文はかなり流れます。
幼児教育から企業までのすべてが口を揃えて非難の対象にできるのは親です。
ここ10年ばかり、やたらと親の教育力が叫ばれているのは、多分にそういうことのせいでしょう。
私はこういう非難がすごくキライなんです。
私もかつては「中学の英語教育に問題がある」とあからさまに口に出すような教員でした。
意識が変わったのは、自分の子どもが中学生になったとき。
中学の先生方は、本当に献身的に働いていました。私の子どもはそんな先生方の仕事を増やすタイプのダメ生徒だったのですけど、先生方は本当に丁寧に対応してくれました。
PTAやら何やらで中学に足を運んだり、いろいろと話を聞いたりしているうちに、私はこう思うようになりました。
「中学の先生方は忙し過ぎて生徒一人一人の学力ケアまで手が回らない。」
これは皮肉でも何でもありません。
学校にとって、秩序が壊れて学校の体を成さなくなることは絶対に防がねばなりません。学力なんてのは、それがあって始めて求められるものです。
中学では、その絶対に防がねばならないことのための仕事がすごく多いのです。
高校には入試をパスしないと入れませんが、その入試をほとんどラッキーとしか言えないような感じで合格して来る生徒もいます。もちろん高校では鳴かず飛ばずで終わることが多い。
そういう時、高校としては「こんなヤツ受けさせて欲しくないよなあ」とか思いたくなります。
でもね。大バクチで大学入試を突破した生徒を褒めそやすのが高校なんですよ。いい気なもんじゃないですか。
高校の教員として、小中学校のせいにしてもしょーがないと思うんですよ。
困った時に、小中学校のせいにはしたくない。
いえ、もちろん、注文したいことはありますよ。
でも、高校から小中学校に注文したいことがあるということは、大学や会社やその他から高校に注文したいこともあることを認めることです。
私は一方的非難のような注文に応じるのは、あまり気乗りがしないです。
だって、ハラ立つじゃないですか。
ということは、私が小中学校に一方的に非難のような注文をしても、たぶん小中学校の先生方は動いてくれない。
もし本当に、子どもたちを成長させたいのなら、親御さんも、幼児教育から高等教育(=大学)の関係者も、企業の人間も、みんながそういう方向に前向きに動いてくれる必要があります。
一方的非難は、たとえその内容が正義であっても、相手を動かす力はない。
正論を言いました。論争には勝ちました。状況は何も変わりませんでした。
そういう結末を、私は好みません。
私の在住する県は、小学校と中学校の間で当たり前に人事異動がされています。これは県の方針で、従って小中双方の免許を持っていることが望ましいと採用試験の要項にも明記されいます。
さらに、高校と中学の交流人事も行われています。将来を嘱望されている教員を対象に、3年間の個人時交流がされています。
どちらもいいシステムだと思いますね。少なくともこういう異動を経験した人は、一方的非難はしないでしょう。