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ssh1076 パークスとスイッツァーとバニラエア(5)〜生存戦略としての従順 [三題噺]

<2018>


 キングを扱った教材でローザ・パークスの行動を紹介したところ、高3生たちが人権のための勇気ある行動と前向きに受け止めることがイマイチできなかったというツイートに端を発した長編の三題噺。ここまで生徒の様子・自身の30年ほどの経験・リプのことなど書いてきました。

 今回の記事では、なぜ高校生たちがパークスやスイッツァーの行動を素直に英雄的行動と受け止めることを躊躇するのか、その理由について私の考察を述べてみます。


 去年の冬、「◯◯高校(現任校)の未来を考える会」なる催しがありました。提案・主催・運営は生徒会。参加者は生徒会役員+一般生徒有志+教員有志。現任校が今後どのような学校であるべきか、そのためにはどんなことをしていけるのかを建設的に話し合うという企画です。大昔のことは知りませんがこの5年ほどでは初めての企画。

 頼もしい生徒たちですよね。私はこういう生徒は大好きです。本当に応援したくなります。

 実はこの生徒会役員たちこそ、高1でスイッツァー、高3でキングを読み、ビミョーな反応をしてみせた高校生その人たちです。

 意外ですか?意外かも知れませんね。

 ことほど左様に、彼ら彼女らは従順を持ってよしとする飼い犬のような高校生ではないのです。彼ら彼女らは、相手が先生であっても自分たちの意見は伝えようとする、前例がなくても大きな企画に挑戦する、昨今としてはむしろ珍しく活発で挑戦的な生徒たちなのです。


 おお、頑張るじゃないか、一丁応援してやるかと、私も参加を決めました。

 ただ参加するだけじゃつまらない。手土産が欲しいな。私は進路資料室に向かいました。

 未来を考えるにはまず過去と現在を知るべし。現任校の過去の様子を進路の面から見てみようと思ったのです。


 で、これが、かなり面白かったんですよ。


 現任校は明治時代に高等女学校として設立された大変歴史の古い学校です。創立130年くらい。戦後は制度改正で県立の女子高校となります。私の母は女子高時代に現任校に行っています。その後1970年代に共学化され現在に至ります。共学化されてからは地域で「上から3番目」という評価が固まっています。


 進路資料室にはけっこう古い資料が残っていました。一番古いものは1971年。もちろん女子高時代です。卒業生総数が見当たらないのですが400人弱というところのはずです。この年に四年制大学に合格したのは延べ100名、うち国公立大学はわずか延べ15名です。もっとも多いのが短大で延べ159名。各種学校も延べ73名が合格しています。大学の受験先は国公立はほとんどが教育学部。私立は文学部・家政学部が中心ですが薬学部がけっこう多いのが目を引きます。短大・各種学校については詳細資料がないのですが、短大はほとんどが文学系か家政系でしょう。各種学校は医療系が多かったと思われます。

 実は71年の資料の白眉は進学ではなく就職。この年93名が就職していますが、就職先がすごい。製造業は大手製薬会社はじめ大メーカーばっかり。金融損保は日本生命や第一勧業銀行などに25名、うち2名はなんと日本銀行に就職しています。公共関係でも東京電力など電力会社に4名、公務員もいっぱい受かっています。今の大学生が見たら垂涎ものでしょう。

 このころ、1番目と2番めの「進学校」は全生徒の8割以上が男子でした。さもありなん。1970年とは昭和45年、オンナが勉強して大学に行くなどという行為は無駄か生意気か無鉄砲か、よほどの覚悟がなければ許されないことでした。現任校には1番手2番手に行く能力はあるのに大学進学はしない(できない)有能な女子たちが集まっていたのです。なまじっかの大卒以上の能力のある女子が高卒で手に入るとなれば大企業が放っておくはずありません。それでも大学を志すには、どうしても大学に行く必要があるという強い理由が必要でした。例えば学校の先生になりたいとか、薬剤師になりたいとか(同時薬学部は4年制)。


 現任校は70年代「能力はあるが大学進学はしない(できない)」女子の学校だったのです。

 短大進学者がやたらと多かったのは、オンナは大学になんか行かなくていいという世間の価値観と、高卒で就職してしまいたくないという女子たちの気持ちのナカを取った選択としてちょうど良かったからでしょう。


 そんな現任校も75年ころ共学になります。女子高が共学になるという大きな変化があった以上、進路にも大きな変化があるはず。共学化直後からの資料をチェックした私はこの予測を見事に裏切られます。共学となってからも主な進路は短大だったのです。共学直後の1975年、共通一次元年の1979年の傾向は1971年と大差ありません。センター試験元年の1990年ですら100名近くが短大に進学し、四年制大学の74名を上回っています。就職もまだ40名以上いました。70年代と大きく変わったのは浪人で、90年には120名の浪人が出ています。バブル時代は都会の私大が大人気で日東駒専が高嶺の花でしたからなかなか受からなかったのでしょうけど、その120名の浪人のうち82人が男子です。


 この傾向が劇的に変わるのは2000年です。

 この年の卒業生280名中短大に進んだのはわずか28名。就職に至っては1名です。浪人が多いこと(77名)と国公立進学者が少ないこと(24名)を除けば、現在の進路とほぼ同じです。

 共学化でも共通一次試験でもセンター試験でも頑なに変わらなかった現任校生徒(特に女子)の進路を変えてみせた要因が1990年から2000年の間にあったのです。


 それは「失われた10年」。


 バブル崩壊後の日本は極端な不景気に陥りました。求人は氷河期、就活は艱難辛苦となります。かつて高卒で就けた仕事に大卒が挑戦しても簡単には入れなくなります。高校生たちは「仕方なく」進学を選択することになります。

 この動きに大学側も敏感に対応します。専門学校や短大が四年制大学に発展的改組を行います。日本中の国立大学医学部にあった医療技術短期大学部は医学部保健学科になります。


 「能力はあるが大学進学はしない(できない)」生徒たちの学校であった現任校は、2000年を境に「能力に見合った大学進学をする(しなくてはならない)」生徒たちの学校へと変わったのです。

 彼女たちのキャリアデザインを変えたのは世相でも価値観でも事件でも教育でも何でもありません。経済です。能力に見合った仕事に就くには勉強して大学に行かなきゃいけなくなっちゃったから勉強して受験するようになったんです。



 戦後日本でもっとも青少年犯罪が多かったのは昭和30年代、団塊世代が若者だったころ、すなわち高度経済成長時代です。

 高校教員なりたての私が高校生に手を焼いていたのはバブル時代です。

 彼ら彼女らがルールを平然と破り暴れることができたのは、そういう行動にでても食いっぱぐれることがなかったからでしょう。全共闘世代も大学卒業とともにちゃんと会社員になりました。バブル時代の高校生もあっさり就職し、残業手当込で我々駆け出し教師よりも多額の手取り給与をもらえました。


 現在の高校生たちがルールに表向き従順で、あまり波風立てることを好まないのは、そういう行為があまりに危険だからでしょう。

 就職にせよ進学にせよ、学校生活を「きちんと」やらなければ不利です。学校のルールに刃向かうことは人生を棒に振るリスクを伴います。

 いや、実際にはそんなことないんですよ。私も長いこと高校現場で働いてますが、態度が反抗的なんて理由で進学・就職に不利になるような仕打ちをするということはやったことも見たこともありません。学校からすればそれこそリスキーで、そんな恣意的なことやって裁判にでもなった日にゃ確実に負けます。

 でも、学校ってものは大半の生徒保護者からすごく恐れられています。目をつけられたらどうしよう、あの時あんなこと言ったから成績が低いんだろうかと疑心暗鬼になるものです。そういう疑心暗鬼を煽るようなクソバカな行為をする同業者もたまにいて新聞沙汰になったりするから余計困ります。


 スイッツァーやパークスのルール違反に対してビミョーな反応をしてみせた高校生たちは、ルール違反なんかしちゃいけないと信じていたわけじゃありません。上に対して異を唱えることをよしとしないわけでもありません(実際に我々教員に異を唱えてきました)。

 彼ら彼女らは、単純に驚いたのだと思います。

 「え?そんなことやっちゃうの?」と。



 50代半ばのオッサン教員としては、高校生含めた若者には元気で生意気であって欲しいと思います。そういうパワーが世の中を前進させてきたんですから。

 一番のクスリは経済が改善され、ちっとばかり反抗的に振る舞っても人生何とかなるわいと安心できる状況になることでしょうけど、今の政権だとまあ絶望的ですね。

 それでもやっぱり、ちょっとだけでも反抗してでも自分たちの主張・権利を押し出すようにはなってもらいたいです。くだんの生徒たちが「◯◯高校の未来を考える会」を企画したみたいに。


 パークスにしてもスイッツァーにしても、バニラエアのタラップをよじ登った方にしても、このくらいのことをしてもどーせ大丈夫だという安心感なんかなかったはずです。

 特にパークスは本人が本当に怖かったと述懐してるんですから、その恐怖は相当なものだったでしょう。


 ほんのちょっと勇気を出すことの尊さを何とか教えたいですね。

 教員は生徒を抑圧する側でもあるので、難しいですけど。



 5連続になったこの三題噺はこれにて終了です。



コメント(5) 

コメント 5

nobu

私の高校時代よりも最近の高校生の方が賢いなと感じています。その分先を予測して行動をセーブしてしまうのかも。

中学校に入学して最初に行われた生徒会の議会で先輩たちが学校に対して学生かばん(今はほとんど見かけませんね)だけではなくスポーツバッグの使用許可を認めさせたんですね。今ではその程度、たいしたことではないのかもしれませんけど、当時それを体験して中学校ってなんてすごいんだを
と感動したんですね。

この春息子が地元の公立高校に進学しました。校則が厳しくて頭髪検査で駄目出しを食らってしまいました。どう考えてもそれほど短髪にしなければいけない妥当な理由は無いわけで、人権侵害であると意見しようと考えました。どこに訴えるべきかネットで検索しているなかで以下のサイトにたどり着きました。https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/115228.pdf
保護者の意見を反映するつもりは全く無いんだとわかり、意見することは諦めました。(頭髪に意見する保護者を「溺愛型」と分類されていいることにカチンときてますが)50代のおっさんになると元気がなくなりますね(笑)
進級して(私が中学に入った時のように)生徒会で意見できる体制ができればいいなと期待していますが、どうも3年我慢して波風立てない方が得策と考えていそうです。

長々と愚痴のようなコメントをしてしまいすみません。
by nobu (2018-11-16 22:17) 

shira

>tyuuriさん、niceありがとうございます。
>nobuさんありがとうございます。
 自分の経験した範囲では息子さんの学校のようなきつい服装指導をする学校はないのでちょっと不思議な感じです。ただかつてのどこかの学校のように違反者を学校に入れないとか校内で丸刈りにするとかいうのはもうやれないでしょう。
 現任校では入学前のオリエンテーションで染髪が疑われる生徒を呼んで事情を聞いたところ全員が白髪がひどいため染めているということでした。当然この生徒たちは指導対象にはしていません。
by shira (2018-11-16 23:02) 

nobu

愚痴に返信いただきありがとうございました。
丸がりは無かったですが、反省文は書かされていましたね。反省のしようがない案件なので「人権意識の低い学校だと知らずに受験していまい申し訳ございません」とでも書いとけって言っときました(笑)
by nobu (2018-11-17 22:56) 

nobu

連投すみません、
息子に確認してみましたが、違反のまま登校してきたら切られるそうです。
by nobu (2018-11-17 22:59) 

shira

>nobeさん、コメントありがとうございます。
 へえ、いまどきそこまでやれる学校があるんですか。
by shira (2018-11-18 22:28) 

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