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ssh1022 ノートが作れない [教科学習]

<2017>
<ssh422再録>
*初出は2011年


 今日、高校に入学してくる生徒たちの大半は、自分でノートを作ることができません。
 これはすべての教科について言えます。国語も数学も理科も社会も英語もその他も、ノートが作れないのです。

 なぜノートが作れないかというと、それは中学3年までノートを作る必要がなかったからです。

 ノートが作れるというのは、実はけっこうな技能です。
 人の話やテキストから、自分に必要なポイントを、自分の理解の一助になるようにわかりやくまとめるというのは、かなりの技量が要求されます。誰もがすぐにできるものではありません。
 ノート作りの技能は、意識的に訓練しないと身に付きません。

 一番いいのは、授業をやっている先生自身に、個別にチェックしてもらうこと。
 授業を受ける。ノートを作る。それを見てもらう。そしてこれこれこういう部分を改善せよと指導を受けて、それを活かして次のノートを作る。これを繰り返すことで、少しずつノート作りの技能が身に付いていきます。
 つまり「ノート提出」ってヤツです。

 かつての学校は、こういう指導が割としやすい環境にありました。
 まず、教員が今よりずっとヒマだった。今のようにやれシラバスだの自己評価だのと上から書類の提出を求められることが少なかった。外部からあれこれ文句を言われることも少なかったし、授業日数も少なかった。
 生徒のノートをチェックする時間がありました。
 一方、昔はPCもリソグラフもなかった。だからプリントを作るのがすごく大変だった。
 だから、プリントを作るよりも、ノートを提出させて細かくチェックした方がラクだったんですね。

 今は逆です。
 まず、教員が忙しい。外部はうるさいし、行政はもっとうるさい。やたらと書類を作成させられる。とても生徒のノートを丁寧にチェックするヒマはありません。
 加えて、現代はPCとリソグラフという素晴らしい道具があります。その気になれば、授業の補助プリントはすぐできます。印刷だって5分もあればできる。
 こうなると、プリントを多用せざるを得ません。そうしないと授業が進まない。
 小中学生の大半は、漢字ドリルや計算ドリルのような宿題用のものとしてしかnotebookは使いません。
 授業用のノートは、あまり必要ない。授業は、配布されるプリントをファイルするか切り貼りするか、あるいは教科書会社が用意する穴埋め式の「◯◯ノート」のようなものが主流。


 そういう環境で「勉強」してきていますから、真っ白けのnotebookに、自分の学習のためのメモをまとめたノートを作るという経験がほとんど皆無です。

 宿題用のノートは、ただ紙面を漢字や計算や英語で埋めるだけのものに過ぎません。紙面さえ埋まっていればいい。
 ノートというのは「空所を埋める」か「紙面を埋める」ものだと心底思っていたとしても、どうして生徒を責められましょうか?
 それに、小中の先生をどうして責められましょうか?必要な時間を奪われて、その中で必死に何とか学習をさせようとすれば、補助教材や穴埋めノートを多用せざるを得ないです。

 というわけで、塾や家庭教師から指導を受けていない限り、ノートを作るという技能は高校で初めて必要になるものです。
 すごいでしょ。でもこれが現実。

 高校でよく使われる言葉に「入口指導」というのがあります。いかにして高校の学習ペースに早く合わせられるかという指導。
 かつては心構えや目標設定や生活面の指導が重点だったのですが、最近は具体的な学習方法の指導が中心です。
 「英語の予習というのはね、こういうふうにやるんだよ。まずノートを用意する。あ、ノートは4線のものじゃなくて、普通の大学ノートでいいよ。で、そこにまず本文を書く。あ、ノートに英文を書くときは最低でも1行ずつ空けて書くんだよ。そうしないとあとで書き込みができないからね。え〜それとねえ・・・。」てな話をするわけですよ、高1生に。

 しかし、これが徹底しない。
 もう10年も前に聞いた話ですが、私の在住する県でNo.1の進学校(県立)でこういう指導をして、実際に生徒に予習をやらせてみたら、指示通りにできたのは60%くらいだったというんです。あとの4割は指示した通りにノートが作れない。10年前の、県内で一番デキのいい人たちにしてこんなんですから、昨今のそうでない人たちの状況は推して知るべし。

 東大生のノートがどーたらいう本がベストセラーになってるそうですけど、今の状況だと「いいノートのサンプル」はそれだけで商品価値があるということでしょう。


 私は自分の長男と次男の高校受験勉強をコーチしておるのですけど、どちらも最初にやったのは社会科のノートを作ることでした。
 理科の第2分野(生物と地学)や社会の場合、テキストの内容を自分なりに整理して、自分の手を使って書いてまとめるというのが、理解の一番の近道です。
 当然のことながら、最初は悲惨でした。字が汚いのは私のDNA故しょーがないとして、箇条書きも段組みもできないし、テキストの文章を自分なりに要約して書くこともできない。もちろん図や表を作ることなどできない。1ページ作るのに1時間も2時間もかかる。
 でも、しつこくやっていると、そのうち自分である程度作れるようになってくる。

 ノート作りって、実はいくつかのワザの組み合わせなんですよ。そのワザが身に付いてくると、自分でノートを作れるようになる。
 ただ、普段ボケーッとテキストやプリントを見ていると、このワザは全く身に付かないんです。
 テキストやプリントを作った人たちは、どうやれば上手に整理できるかと、見出しを考えたり項目ごとのマークを考えたり、段組みしたり字体を変えたり矢印を引いたり図や表にしたりと創意工夫の限りを尽くしているんですけど、受け手たる生徒はただそれをボケーッと見ているだけ。苦労して作った料理を味わうこともなくただ口に放り込まれているような感じ。
 やっぱ、自分で作ってみないと分かんないんですね。


 それにしても、小中の先生から時間を奪った代償は大きいです。
 プリント学習ならまだいいけど、業者の教材は有料ですから、そのツケを保護者が払っていることになります。時間を奪った張本人たる行政は何も支払っていない。無責任な。
 学力格差だの何だのと言いますけど、小中の先生にもっと時間を与えてあげれば、個別に丁寧に指導することが可能になりますから、細かいケアは相当に進むはずです。そうなればノートチェックもできて、業者の教材をいっぱい買うこともなくなるから、保護者の経済負担も減ります。


 実は先日、地元の老舗短期大学(私立)の先生が進路指導質を訪問してくれた際に、「メモ力」という活動を紹介してくれました。「めもりょく」です。「めもか」じゃないです。
 これはズバリ、ノート作成の技能訓練です。
 もちろん短大ですから、ただの授業用ノートじゃなくて、ビジネスのプレゼンや会議や資料説明などを的確にノートにまとめる訓練です。学生も先生も相当な労力を伴うようですが、やりきった学生は卒業後の評価も上々だとか。
 ここの先生方、いい所に目を付けましたね。ノートを作れるというのは、なまじっかの資格なんかよりはるかに有用な技能なんですよ。
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