SSブログ

ssh100 「競争主義」で小論書いてみました [競争と共生]

<2007>

 それでは、実際に私が書いてみた小論文を御覧下さい。

■■■
 競争主義を教育に導入するのは、慎重であるべきだと思う。特に、学校間の競争は、制限すべきである。
 教育バウチャー制度など、学校間の競争主義を支持する人々は、競争によって各校の努力が求められ、教育全体のレベルが上がると主張する。
 だが、競争というのは、本来全体のレベルアップのためにあるものなのだろうか。競争の本来の目的は、「敗者を作ること」なのではなかろうか。
 例えば選挙の場合、立候補者が定員以内なら無投票で当選となる。選挙という競争は立候補者が定員を超え、落選者を出す必要がある時だけ行われる。オリンピックの代表選考でも、競争が必要なのは候補者が多い時だけだ。競争は、ふるい落とす時にだけ必要なのである。
 敗者となった学校は、どうなるのだろうか。閉校だろうか。予算の縮小だろうか。
 「競争に負けた学校は、生徒保護者に選ばれなかったのだから、なくてもいいのだ。」という意見もある。例えば大学なら、そういう意見も当たらないことはない。だが、義務教育はどうだろうか。競争の結果、近隣の学校が閉校や予算縮小となれば、教育を受ける権利は奪われることになる。これは法律的にも大問題だ。
 スポーツや経済の世界であれば、競争の敗者は人生そのものの敗者とは限らない。敗者には次の機会も別の世界で活躍する機会もある。だが、敗者となった学校に、次の機会はあるのだろうか。一度「負け組」に転落して予算も削られた学校は、もはや競争に再チャレンジする力はあるまい。
 競争は敗者を作るためにある。競争主義を語る際には、そのことを前提とすべきだと思う。私は、少なくとも義務教育においては、学校間での競争をあおることは危険であると思う。
■■■

 正確に勘定してないんですが、これでだいたい800字、原稿用紙2枚分。小論の標準的な分量ですね。

 自己採点してみると、私としては、まあ70点くらいの出来でしょうか。本当は、論拠をもっとシンプルにしたいとこだったんですが、「敗者の学校」について説明しないとうまくまとまらなかったんです。そこは減点対象。

 それはともかく、小論の骨組みは分かってもらえるのではないかと思います。

 冒頭の1行が「意見」。私が競争主義教育をどう思うか、ですね。
 2行目からはずーっと「論拠」。つまり理由です。
 最後の1行は、ちょっとカッコつけて「まとめ」をつけてみました。といっても、これは冒頭の「意見」を別の言葉で言い直しただけです。(そりゃあそうです。「意見」と「まとめ」が別の話じゃあ、まとめになりません。)

 3回続けた競争主義のお話は、これで一応おしまいです。

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。