ssh212 矮小化〜小論キーワード(6) [小論キーワード]
<2008>
「矮小化」という言葉は、小論文を書く時にはあまり使わないかもしれません。しかし、課題文には盛大に登場します。
学生時代の私のごとく漢字の苦手な人なら、まずこの漢字の読み書きからして「?」かも。私も高2のころには矮小化を「わいしょうか」と正しく読めなかったですよ。
矮小というのは、元来は「こじんまり」「小さい」というような意味です。だから、矮小化というのは、文字通りなら、ものごとを小さくすること。しかし、実際の用法は違います。
論述文で使われる「矮小化」は、「本来大きな問題や複雑な物事を、意図的に小さく単純なものにねじ曲げること」と考えればいいでしょう。
問題の矮小化なんて言い方が特によく使われます。
例えば、在日外国人の家族がいて、種々の事情で差別的な環境で育ち、そこの子どもが学校ではいじめ、家庭ではDVを受けながら育ち、んでもってある日、見ず知らずの日本人の若者を通り魔的に襲ってケガをさせたとします。ありそうな話ですが、これはあくまで例です。何か具体的な事実を意識したのではありません。
さて、そういう事件があったとします。たぶん、いろいろな考察がされるでしょう。
もちろん通り魔犯罪そのものは断罪されるべきです。
ですが、ある人は、日本社会の閉鎖性も指摘するでしょう。別の人は、いじめやDVの問題にも触れるでしょう。
ところが、中にはこんな意見も出るかもしれません。
「凶悪事件には断固とした処置をせよ。」
まあ、それそのものは、まったくのデタラメではありませんが、それにしても、あまりにものの見方が単純すぎます。もちろん、通り魔は許されませんが、許されないというなら、差別だっていじめだって許されない問題です。
あるいは、こんな意見も出る可能性があります。「外国人は危険だ。」
現実世界でもこれに類することを実際に言う人がいるから困るんですが(某都知事とか)、いくらなんでも乱暴な物言いです。外国人でなくたって、いじめやDVを日常的に浴びて育てば気持ちも荒むってもんでしょうに。
こんな風に、本来なら社会全体に関わる大きな問題を単に個人の問題や、外国人の問題というふうに、ごく狭い問題として片付けようとすることを「問題を矮小化する」といいます。
複雑な問題を、個人責任だけに矮小化している、とか社会全体の問題を、単なる外国人問題に矮小化している、などというふうにです。
今述べたのはまったくのフィクションです。
そこで、実際にはどんな文脈で「矮小化」という言葉が使われているかを見たくて、グーグルで「問題の矮小化」と検索してみました。総数21,400件を上位から拾うと、
・耐震強度偽造問題
・A級戦犯合祀問題
・少子化問題
・どこぞのPTAの役員選出問題
・意味不明のブログ
・川崎市土地開発公社にまつわる8年ほど前の問題
・南京大虐殺に関する考察
・「矮小化するニッポン」なるブログ記事へのコメント集
・沖縄集団自決に関する論考
・年金問題
う~ん、もうちょっと論考らしいものから順に検索されるかと思ったんですが。意外に雑多。
この中じゃ、4つ目のPTAの話なんかドロドロしてて結構興味深いのですが、残念ながら論考ではありません。
この中で一番論考らしいのは南京大虐殺に関する大西史浩さんという方の文章です。
この中での「矮小化」の登場文脈は、南京大虐殺死者30万人などということはあり得ないと主張する人たちに対して、それは事件の本質を数字の問題に矮小化している、という反論がある、というものです。
いずれにしても、「矮小化」という言葉は、批判用の言葉ですね。下品にいえば、けなし言葉。
しかし、もちろん批判には必ず反論がありうるわけですから、矮小化という批判が最終兵器になるわけではありません。ありませんが、場合によってはかなり強力な武器にもなります。
PS
sshは歴史論争に加担するつもりは毛頭ありません。南京大虐殺の件は、単にグーグル検索で上位だったため用いたものです。ネット界にはこの種の話題に過激反応する人が結構いてイヤなので、あらかじめお断りしておきますが、当記事のコメント欄で南京大虐殺論争を展開するのはお止め下さい。そーゆーコメントは記事と直接関係ないコメントとして処理させていただきます。
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