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ssh228 自己責任 〜 小論キーワード(8) [小論キーワード]

<2008>

 

 高校生だとピンとこない人も多いかもしれませんが、ある程度以上の年齢の人であれば、自己責任という言葉で真っ先に思い出すのは、2004年のイラク日本人人質事件。

 

◆◆イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、イラクに派遣した軍隊(日本の自衛隊を含む)の引き上げを要求するものであった。

日本政府は、当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告を行なっており、被害者がそれを無視して渡航したことや、この拉致事件の解決を目的とし、被害者家族らが自衛隊の撤退を要求し、それがメディアで大きく報道されたことから、被害者とその家族に対する「自己責任」という言葉をキーワードとした批判、さらにそれに対する反批判などで国内政治家・マスコミ・世論が様々な見解をぶつけるなど、日本国内の注目を集めた。◆◆(Wikipedia)

 

 この自己責任論騒動は、海外のメディアでも報道されました。今回の人質問題で、日本では人質となった本人たちの自己責任を指摘する自己責任論が起きていると。

 ところが、ここで1つ、意外な問題が起きていました。

 

 「自己責任」という言葉が翻訳できなかったのです。「自己責任」を意味する語は、他国の言語にはあんまりないらしいんです。少なくとも英語にはありません。(*付記参照)

 手元の英語の辞書をいくつか調べてみましたが、やはりありませんでした。

 

 2004年当時の海外メディアも、self-responsibility という訳語を創って対応したようです。

 でも、self-responsibility と言われても、ぜんぜんピンとこないんですよね。

 で、仕方ないので、JIKOSEKININ とそのまま書いて、説明を付けるという記事もずいぶんあったようです。

 

 


 

 ご存知のように、日本は明治になってから大慌てで近代化を進めました。

 近代化っていうと、富国強兵とか鹿鳴館とかいうイメージかも知れませんけど、それ以前の問題として、欧米近代的なものの見方・考え方などがそもそも日本にはありませんでした。

 例えば philosophy なんて学問、日本にはなかったです。なかったというのは、そういう言葉すらなかったということです。

 仕方ないんで、たくさんの言葉を創ったわけです。philosophy は「哲学」という名前を与えられて、日本で生き始めました。

 

 で、実は「責任」という言葉も、そういう明治期の造語なんですね。元はもちろん responsibility

 

 ところで、responsibility というのは、responsible の名詞形です。どちらもルーツは response。つまり「応答」です。

 responsible という語は、response + ableですから、字面からすれば「応答することができる」「応答能力のある」という意味です。

 なのに、responsible の意味は「責任ある」。

 

 何か、妙じゃないっすか?英語の勉強してて首をひねった経験ありませんか?

 私は不思議に思ってましたよ。思ってはいましたが、受験生だったんでとりあえずその疑問は封印してましたが。

 

 04年の自己責任論騒動のときに、このナゾはきれいに解けました。

 桜井哲夫氏によると、responsibilityは文字通り「ある約束に対する相互義務」に過ぎないと。

 そう、ある約束に応えることができる、という意味だったんです。

 

 したがって、responsibility というのは、約束=二者間の契約があって初めて発生するんですね。

 契約なくして responsibility なし。

 

 安全ということに関して、国家と国民の関係でいうと、国民は武力で国家に逆らうようなことはしない(だから国民は武器などの武力を持たない)その代わり、国家は国民の安全を守る(だから国家だけが独占的に軍隊や警察などの武力を持つ)これが両者間の契約ですね。

 この契約にきちんと応えるのが、双方の responsibility であるわけです。

 

 04年の自己責任論騒動で海外プレスが驚いたのも、ムリなかったんです。

 上記の契約からすれば、国はいかなるときも国民の安全を守る responsibility があります。

 国民側には、自らの安全を守る responsibility はありません。武力を放棄しているのですから。

 時の政府(小泉政権)が、人質となった人たちに「責任」を求めたのは、まったく理解不能だったわけです。

 

 ちなみに、自己責任という言葉が日本で使われるようになったのは1980年代半ばだそうです。

 自己責任って言葉、日本語としてはかなりの若造です。「パソコン」より若いかも。

 

 

 さて、小論キーワードとしての「自己責任」。 

 大学の先生たちは、上記のようなことは当然みーんな知ってます。自己責任が目新しい言葉であること、国際的にはあまり通用しない概念であることなど。

 

 今回の受験生へのアドバイスは、「自己責任」という言葉を決めゼリフに使わないこと です。

 というより、この言葉は、論拠にはなるべく使わない方がいいでしょうね。こんなあやふやな言葉で論を立てるのは危なっかしいですから。

 

 ついでに言うと、これは逆に言えば、課題文などで「自己責任」を決めゼリフに使っている文章に出会ったら、かなり穴のある文章である可能性が高いです。結構なツッコミどころが見つかるかもしれません。


<付記>

 この記事の余波みたいなもんがありまして、さる方より「自己責任という言葉は英語にないというのは嘘です」との指摘がありました。改めて検索してみたところ、 self-responsibility という語は、数はさほど多くありませんが、学術文や政治関係の文に用例が見つかりました。ただ、その意味するところは、やはり日本語の「自己責任」とはかなり異なります。ついでに書くと、Wikipediaにはありませんでした。ともあれ、「少なくとも英語にはありません。」というこの文面には問題があると思われます。従いまして、ここの文面は、以下のように差し替えたいと思います。

<少なくとも、英語には日本語の「自己責任」にピッタリする言葉はありません。>


 

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