ssh231 反対するのに対案はいらない [リテラシー・思考力]
<2008>
反対するなら対案を出せ。
いつごろからでしょうね。こういう主張が目立ち始めたのは。
私の記憶する最古のものは中曽根康弘氏が首相の時に言ったものですが、
それ以前からあったんでしょうか。
最近わりと印象が強かったのは、藤原和博氏のインタビュー記事でした。
最近と言っても、まだ彼が校長先生やってた時だから、2年ほど前。
放課後の補習に業者を入れる、いわゆる「夜スぺ」への批判に対して
反対するなら対案を出して欲しいと主張していました。
在任中の彼は矢継ぎ早に新企画を出してましたが、反対論や慎重論に対する殺し文句が
反対するなら対案を出せ
であったようです。
さて、今回の記事のタイトルは「反対するのに対案はいらない」。
別に藤原氏にケンカ売ろうってんじゃありません。そもそも私にとって彼はどーでもいい存在です。
まあでも、サンプルとしては使いやすいんで、使わせてもらいます。
反対するのに、対案は不要です。
くだんの「夜スペ」について言いますと、
反対する側が対案を出す必要があるのは、以下の条件をすべて満たしているときだけです。
1 学校として、補習講座かそれに類することを新たにやるということが、スタッフ間ですでに合意されていて、
2 それを近いうちに必ず始めるということも合意されていて、
3 その具体策の一提案として「夜スペ」事業が提案されていて、
4 「夜スペ」をやらない場合、何かそれに代わるものを必ずやらねばならないという前提があって、
5 しかも「夜スペ」を提案した側に、「夜スペ」に代わる案がなく、
6 差し戻しても再検討や新たな提案をしてくれそうなアテがない。
もうちょっと詳しく言いますと、
1・・・新企画をやるという合意がなければ、もちろん対案はまったく不要です。
否決されても、何もやらないだけのことです。
2・・・新企画をやるという合意があっても、急ぐのでなければ対案は不要です。
否決されても、時間をかけて新たなプランを練ればいいのです。
3・・・一提案でなければ、対案を出す価値はありません。
一提案というのは、変更や調整や再検討や否決の可能性のある提案ということです。
言い換えると、対案がキチンと審議される可能性があるということ。
最初っから原案可決だけが狙われている状況のなら、対案をいくつ出してもマトモな審議はされないでしょう。
4・・・否決されたら必ず代替案が必要という前提がなければ、対案は不要です。
これは1と同じ理由です。否決されたら、何も実行しないだけのことです。
5・・・提案する側に第2案、第3案がある場合は、もちろん対案は不要です。
これは説明不要でしょう。
6・・・以上1〜5がすべて満たされていても、提案側がマトモであれば、対案は不要です。
というのは、本来、最善の案を用意するのは、提案する側=担当者の責任だからです。
担当者は、OKしてもらえるようなプランを立案しなければなりません。
否決差戻しになったら、よりよいプランを立案して提案するのが担当者の務めです。
だから、担当者がマトモなら、否決して新たな立案を求めればいいのです。
一言でまとめると、こういうことです。
必ず何かを決めねばならないという切羽詰まった状況であるにも拘らず、提案担当者がロクでもない提案をゴリ押ししてきて、差し戻しても再考が期待できないような時に、仕方なく、よりマトモな提案をこっちから用意してやるもの。
これが対案です。
対案というのは、反対する側の戦略です。
使ってもいいですが、使う必要はありません。
ましてや「反対するなら対案を出せ」なんてのは、まあ控えめに言っても恫喝ですわな。
「夜スペ」に関していいますと、強いて該当するとすれば5と6だけでしょうかね。
そういうわけで、対案は不要です。
それにしても、ですね。「反対するなら対案を出せ」ってセリフ、ほぼ例外なく与党とか経営側とか学校長とかいった「上」の人の口から出ますなあ。
それもangrilyに。どーゆーわけか。
中曽根センセイは総理だったし、藤原センセイは学校長。
ここいらへんに、このセリフの本質というか、狙いが見えかくれしていそうですな。
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