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ssh1104 女装演歌と男装ポップ [社会]

<2021>

【お断り】

 この記事はssh244「オカマ演歌とオナベポップ」というタイトルで2009年にアップしたものですが、今回、侮蔑的表現を改めて新記事としてアップいたします。旧タイトル(あえて残しておきます)に不快な思いをされた方々にここで改めてお詫び申し上げます。

 

 

 私の音楽ライブラリは洋楽ばっかりです。ポール・マッカートニーを筆頭に、60年代から最近までの洋楽がひしめいていて、邦楽(今はJポップと呼ぶんですね)はあるにはあるけど、しごく少数です。だから、国内のミュージックシーンにはとんと疎いです。

 それでも、家族の中では私が一番たくさんJポップを耳にしているようです。理由はFM私は部屋でも仕事中でも運転中でも、とにかく音楽がなってないとイヤなタチです。通勤中の車内(イナカ教師ゆえクルマ通勤です)はたいてい地元の民放FMが流れてまして、そこで最新ヒットをけっこうチェックできてます。


 

 ここで話は突然、日本語の特性という話題に飛びます。

 日本語の特性って、いろいろ指摘されてますが、その中の一つに、男言葉と女言葉が非常にはっきりしているということがあります。他の言語、例えば英語にも男言葉と女言葉はありますが(ない、と思ってた人いませんか?)しごく限定的なものです。

 

 I don't believe in UFO.

 というセリフ、男のものとも女のものとも言えませんが、一人称を「わたし」とか「アタシ」とか書くと、女の人のセリフのように聞こえます。

 言葉遣いが性別を露骨に示してしまうのですよね、我らの母語は。

 

 これを逆手に取ると、男が女のフリをしたり、女が男のフリをするのがたやすいということです。

 土佐日記の例を出さずとも、言葉の上で性転換をしてみせるのがとても簡単なのが日本語です。

 

 

 話はふたたび音楽に戻ります。

 この日本語の特性を最大限活用した音楽が、1960年代(らしい)に登場します。

 ジャンルは演歌でした。

 女言葉で書かれた、女が一人称の歌詞を、男性歌手が唄う。その第一号が誰の何と言う曲なのかは不詳ですが(知ってる人はご一報ください)女心を男が唄う、というヤツです。


 

 私がすぐに思い付くのは、細川たかしの「心のこり」です。「私バカよね おバカさんよね」というアレ。

(ホントはもっときっちり引用したいんですが、JASRACが怖いのでここでやめときます。)

 作詞はなかにし礼先生、もちろん男性。歌詞を書いたのも男で、唄うのも男。でも女性の唄。

 一人称は「わたし」か「アタシ」。で、呼びかける相手は「あなた」。

 

 このパターンというか戦略は、非常に成功します。

 70年代のフォークでもこの「わたし」と「あなた」は使用されます。

 名曲の誉れ高い『神田川』や『二十二歳の別れ』もこのパターン。

 

 それでもやっぱり、一番多用されたのは演歌です。

 女心を男が唄う「わたしorアタシ」「あなた」の演歌は、数挙に暇がありません。

 言って見れば「女装演歌」です。

 

 

 で、かくいう私、演歌そのものはキライじゃないんですよ。

 ただねえ、女心を男が歌うタイプ演歌は、どーもイマイチです。

 なんでかというと、歌詞に出てくる「わたし」「アタシ」が、どーもリアリティに欠けるんですよ。

 

 私が音楽を聴く時の判断基準の一つは、リアリティです。

 「こういうことって、あるよなあ。」

 「こういう気持ちって、ありそうだな。」

 「いるいる、こういうヤツ」みたいな、現実感をありありと感じさせてくれる曲が好きなんです。

 (もちろん、それ以外の基準もありますが、それは長くなるからやめといて)

 

 女装演歌の「わたし」「アタシ」たちは、言うことやること、どうにもウソくさい。はっきり言って、男に尽くし過ぎる。なんかもう、男にとって都合のいい女で。尽くして尽くして捨てられて、それでも北海道か東北かどっかの居酒屋で酒飲んで泣いてるだけなんだもん。

 そんな女、現実にいるわけねーっての。

 尽くして尽くした上に捨てられたら、刃物持って乗り込んでくるぐらいのことしませんかねえ?

 

 今、こんな記事を思い出しました。

◆◆113日、ブッシュ大統領はハワード前豪州首相のほか、ブレア前英首相、ウリベコロンビア大統領に大統領自由勲章という、文民に与えられる最高の勲章を与えている。その理由は、「テロとの戦い」、民主化、人権擁護などでブッシュ政権に最大の貢献をしたからであるという

 日本国民よ。この事実を、目を開いてよく見よ。そこにわれらが小泉元首相はいなかったのだ。小泉元首相はブッシュ大統領に相手にあれていなかったのだ。◆◆(天木直人のブログ 2009120日)

 これぞ「尽くして尽くして捨てられて」ですなあ。小泉クンにはX-Japanより演歌の方がお似合いかも。

 

 あ、いや、そんな話はどーでもいいんです。

 Anyway、ともかく、男が女心を作ると、どーしても自分にとって都合のいい女を作っちゃうんでしょうねえ。

 

 

 ここで、また話は飛びます。

 2000年ころ、私は自宅から50kmばかり離れた高校に片道80分ほどかけてクルマで通勤しておりました。おかげで毎日たっぷりFMを聴いていたんですが、急にあることが気になり始めました。

 若い女性シンガーの歌う曲がですね、ほとんど男言葉になってたんです。

 一人称は例外なく、「僕」。

 

 ものごと、気になり始めると気になります。ガマンするのも身体に悪いから、しばらく気にしてみました。

 もう、明々白々でした。大物から新人まで、女性シンガーの曲でFMでかかるようなもの(シングル)はほぼすべて、一人称は「僕」。で、二人称はもちろん「君」。

 当時のJポップでは、若い女性アーティストが「ぼ~く~は~き〜み〜を〜」と歌うのがスタンダードになっていました。

 

 私の拙い記憶の範囲ですが、若い女性が「僕」と歌ってヒットした最初の曲は薬師丸ひろ子のセーラー服と机間巡視、じゃなくて「セーラー服と機関銃」だと思います。リリースは1981年。No.1ヒットでした。

 これ最初に聴いた時、ものすげー違和感がありました。当時薬師丸サン、高校生でしたから。

 この歌詞を書いたのは来生えつこ先生。女性です。ただ、曲を書いたのはダンナのたかお先生で、たかお先生もこの曲を「夢の途中」という別タイトルでリリースしてます。来生たかおが歌っている分には、男が「僕」「君」と歌ってるわけで、別に違和感ありません。

 

 中島みゆきも、80年代後半あたりから「僕」「君」を使った曲を作り始めます。

 ただ、彼女の場合、ラブソング以外でこれを使うことが多かった。だから「僕」だけでなく「僕ら」という複数形が多かった。

 『空と君の間に』は君と僕しかでてきませんが、あの「僕」はイヌですからちょっと様子が違う。

 

 邦楽オンチゆえ、追跡が雑で申し訳ないんですが、「僕」「君」を完全に自分の定式にしてポピュラーになったのはたぶん浜崎あゆみでしょう。彼女の場合、初期は無性別的な曲も多かったし、「僕ら」が主語の歌も多かったようですが、今、彼女はラブソングも「僕」「君」で書きます。

 で、既述のように、今や彼女だけでなく、女性アーティストの大半は、「僕」「君」で曲を書きます。ラブソングであっても。「僕」と「君」で、男心を女が歌う時代になったというわけです。

 女性が歌うJポップは、男装ポップが主流なんですね。 

 


 かくいう私は、女性シンガーの「ぼくはきみを」的な歌はあまり聴きません。

 実は女性シンガーって長いこと聴いてなかったんですよ。洋楽含めて。

 最近ようやくシェリル・クロウとかテイラー・スウィフトとかアリアナ・グランデとか聞き出したくらいで。

 

 あまり聴かないんで、論ずる資格もないんですが、男装ポップにも女装演歌的なひっかかりは感じます。

 

 女装演歌の「わたし」「アタシ」は男に都合が良すぎるのに対して、男装ポップで歌われる「僕」は、妙にカッコいいんですよ。

 優しいし、強いし、愛に満ちている。こんな男ばっかりだったら、女はどれだけ幸せなことか。

 でも、そんな男、現実にそんなにいるわけねーっつーの。

 

 例外は秋元康がAKBや坂道グループ向けに書いてる曲ですかね。あそこに出てくる「僕」はまったくのフヌケで女の子を見てるだけでなんにもできませんもんね。まあ秋元ワールドでは「わたし」もなんのアクションも起こせませんけど。せいぜいフォーチュンクッキーかじってるくらいで。

 

 

 女装演歌が華々しかったころの男性は、けっこうなミソジニストがたくさんいます。

 現在の若い女性たちは男装ポップの「僕」から何を感じてるんでしょうね。まあ彼女たちは昭和の男みたいにノータリンではないと思いますが。

 


 

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