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LHR33 International Intelligence Magazineの見出し [ご挨拶&エッセイ]

<2009>

 

 sshではかねてより雑誌やTV欄の見出しにツッコミを入れて遊んでいます。これまでやったのはこんなネタ。

 

 LHR26 番組宣伝と一面記事の奇妙な一致

 LHR23 オリンピック番組の見出し2題

 LHR18 ビジネス系教育雑誌2誌の見出し

 LHR17 雑誌の見出し2題

 LHR12 テレビ番組の見出し

 

 ここんとこ、私のツッコミ遊び癖をくすぐるいいネタに会えなかったんですが、久々に大ネタ発見。

 古い号で済みませんが、『SAPIO』7月8日号です。

 

 あらためて宣伝記事を見てみたら、サブタイトルというかオマケの文言がいっぱいついてるんですね、SAPIO。気が付きませんでした。

 全部書くと、<世界が見えれば日本が見える 国際情報誌~International Intelligence MagazineSAPIO

 いや長い。LHR12で茶々入れた長~いTV欄見出しにはかないませんが、結構いい勝負です。

 国際情報誌ならInternational Information Magazineだろと早くもツッコミ所を用意してくれるところなんか、多様な顧客への細かい配慮を忘れておりません。

 

 SAPIOの宣伝記事を読むのは大好きなんですよ。とにかく刺激的で。ずいぶん前に、あまりに刺激的な見出しに心動かされてコンビニで本体を立ち読みしてみましたが、中身は見出しほどじゃありませんで、それっきり全然読んでません。以降はもっぱら見出しウォッチャー。

 

 さて、7月8日号の特集は、

 <いいかげん自虐的国家観から脱出しよう 日本人でよかった>

 ピュアにSAPIOっぽい前半と妙に癒し系の後半のハイブリッド感覚が漂うタイトルです。論ずるは三浦朱門・日下公人・曾野綾子ら強力保守論客のセンセイ方。ではその見出しを見てみましょう。

 

その1

 「百年に一度」の大恐慌で実感する鎖国体験の効用

 これは三浦朱門センセイです。えらく難解な見出しです。SAPIOの見出しは見るだけで中身が大体推察できるのが持ち味なのに(だから本体を読まずに済むのです)これはどういう展開なのか推察できません。三浦センセイが江戸時代生まれのはずはないから「鎖国体験」ってのは国としての体験を指しているんでしょうけど、日本が最も非国際的だった(とされる)鎖国時代がなぜ国際金融危機に効用があるのか。また鎖国しようってんじゃないでしょうし。わからんなあ。本体読んで確認しようと思うほどは気にならないけど。


 

その2

 犯罪「急増」「凶悪化」「低年齢化」はマスコミの嘘 日本は今も世界に冠たる「安全な国」だ

 こちら浜井浩一センセイ、って知らない人だけど。いや~浜井センセイ、よくぞ言ってくれました。これこそsshが常日頃主張していることじゃありませんか。嬉しいなあ。公式サイトにリンク張っちゃおうかな。

 とはいえ、心配事もちらほらと。SAPIOってどっちかっつーと「○○のせいで日本はここまで堕落した、○○的なものを克服せよ!」(○○にはサヨクっぽい言葉がいろいろ入る)てな威勢の良さでやってきたんじゃないかと思うんですけど、治安良好青少年犯罪少数となると、敵を減らすことにならないかしら?例えば「日教組教育」批判なんかやりづらくなるんじゃない?

 

 と、ここまでは前座。真打ちはこれ。

 

その3

 なろうと思えばホームレスにもなれる豊かさを忘れるな

 水を飲んで寝るか、乞食か、盗むしかない「本当の貧困」を想像できない日本人の「幸福」

 上は日下公人センセイ、下は大御所曾野綾子センセイ。いや~お二人ともやってくれますねえ。見事です。ここまで鮮やかに日本国内の現状認識を外すとは。法学の基本をまるで知らずに憲法批判をした櫻井よしこセンセイに劣るとも勝らない。

 

 ホームレスになろうと思ってホームレスになんかなるもんですか、日下センセイ。

 水を飲んで寝るか、ホームレスになるか、盗むか、自殺するか通り魔やって死刑にしてもらうか(無差別無理心中?)しかない「日本の本当の貧困」を知らないお幸せな日本人ってのは、曾野センセイあなたですよ。

 「世界が見えれば日本が見える」って、二人とも日本が全然見えてねーじゃん。こんなもんが記事になるってことは編集部も日本がまるで見えてねえな。みんな『反貧困』でも読んで勉強し直せよな。こんなんじゃあ小論入試で一発不合格だよ。

 

 

 この宣伝記事見て、かねがね思っていたことを改めて思い出しました。

 

 保守論壇の方々の多く(全部ではない)は、愛国ということを非常に強く主張します。

 祖国を愛することそのものにケチをつけるのは難しいんですが、でも私ゃずーっと違和感が抜けませんでした。

 で、この記事(の見出し)を見てその違和感の要因がちょっとばかり見えてきたような気がします。

 

 この人たちは、国は見ているかも知れないけれど、その国に暮らしている人々をきちんと見てはいない。

 

 国を愛すると言ってはいるが、その愛する国に暮らす人々に対して批判ばかりしていて愛を見せない。

 国家とは、領土+国民+政府です。3つ揃っていないと国ではありません。なのにこの人たちは国民を愛していない。自分の意見と対立する人を排除しようとムキになる。

 

 愛国の愛が愛情の愛とイコールなのかというのは保留がつきますけど、仮にイコールだとすると、愛ってのは欠点や難点まで含めて丸ごと相手を受容することが大前提のはずなんですよ。「アナタは好きだけどその鼻は気に入らないから整形して」なんてのは愛とは言いにくいでしょう。

 愛ってのは受容と親和性があるもののはずなんです。なのに愛国を声高に叫ぶ人って「○○は反日だ!」「××は日本から出ていけ!」「国歌も歌わないような教員はクビにしろ!」と、やたらと排除の方向に燃えるんですよ。

 愛国は受容ではなく排除と親和性が高い。ってこれは内田樹ネタですけど。愛国を語ると「アイツは愛国じゃない」とか何とか、きまって国民同士が分断対立してしまって全然国のためにならないから、愛国を語ること自体をやめましょうと提案しています。う~ん、プラグマティックな。

 

 ちなみにSAPIOの人気連載『ゴーマニズム宣言』はこの号は『天皇論』発刊記念ということで小林よりのり×高森明勅のスペシャル対談。ゴー宣はどうでもいいけど、相変わらず絵がうまくねえなあ、小林よしのり。彼は昔っから絵はうまくないんだよな。この画力で皇族の皆様方のお顔を描くことを不遜だとは思わなかったのかな。


 

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