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ssh281 同じ刃で自分を斬れ [小論文]

<2009>

 

 斬ってはいけない。

 これ、sshでちょくちょく指摘してきたことです。小論文では、バッサリ斬るのはご法度です。よく記者会見なんかの記事で「××という問いに対して知事は○○とバッサリ。」てな文面がありますね。この「バッサリ」を、小論では絶対にやってはいけません。絶対、です。知事には許されても受験生にはバッサリは許されません。

 

 斬ってはいけないその主な理由は、

1 斬ってしまうと、そこで終わってしまい、論議が深まらない。

2 斬ってしまうと、それ以上何もかくことがなくなってしまう。

3 斬ってしまうと、説得力が出ない。

 

 斬ってはいけないということについて、駿台予備校の影山先生からいいメッセージをもらいました。

 <同じ刃で自分を斬りなさい>

 う~んさすが影山先生。ナイスなフレーズです。でも何のため?

 共感を得るためです。


 

 

 他者を一方的に斬るだけの人間に対して、人はあまり共感を持ちません。意見が近ければ最初は愉快痛快かもしれませんが、そのうち「こいつ何様のつもりだよ?」と反感を覚えます。私は正しいことを主張しているのだ、反感を持つのなら持つヤツが悪いのだと開き直るのはちょっとカッコいいですけど、まあ残念ながらそういう正義は不出来な場合がほとんどです。

 (正しいことを言って何が悪いと開き直ってみせるお偉いさんがたまにいるんですけど、ホントあれは教育的に有害です。元若者たるもの若者の見本であって欲しいもんです。)

 

 他者に向けた批判の刃を、同じように自分にも向けてみる。すると相手にぶつけた批判と同種の批判が自分にも発生する。その時、単に相手が悪いという発想に揺らぎが生じます。もしかして、これは人間なら誰しも持つ弱点なのではないか、とか。ここでその揺らぎをごまかさずに、しっかりと見据える。すると、問題が一段階掘り下げられます。単なる人物批判や風潮批判が、人間全般の課題へとひとランクアップします。

 人が共感するのは、そういう高次元の課題、つまり人間共通の問題です。

 

 というわけで、「斬ってはいけない」をちょっと修正。

 斬るなら同じ刃で自分も斬れ。


 

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