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ssh279 他人を見下すビジネスマンたち〜ssh的株式会社立大学破綻考  [教育問題]

<2009>


 


◆◆株式会社が設立した「LEC東京リーガルマインド大学」(東京都千代田区)は18日、来年度の学部生の募集を停止すると発表した。株式会社立の学校の募集停止は2例目。募集停止後も在校生がいる間は授業を続け、大学院は募集を継続する。


 LEC大は2004年、構造改革特区制度で開校した初の株式会社立大学。資格試験対策の予備校を経営する東京リーガルマインド(反町勝夫社長)が運営し、学部生459人、大学院生34人が在籍している。


 当初、全国14か所にキャンパスがあったが、定員割れが続き各地でキャンパスを閉鎖。今年度は千代田キャンパスだけで学生を募集したが、160人の定員に対し入学者は19人にとどまっていた。大学事業の累積赤字は約30億円にのぼる。


 文科省によると、株式会社立大は全国に6校あり、06年開校のLCA大学院大学(大阪市)が今年度から学生の募集を停止していた。少子化などの影響により来年度から募集停止する4年制大学も相次いでおり、LEC大で5校目となる。2009619日 読売新聞)◆◆


 


 内田樹氏がブログ記事でこの件を取り上げています。 http://blog.tatsuru.com/2009/06/19_1302.php


 


◆◆株式会社立の大学については、これは高等教育機関としては機能しないと私は最初から言い続けてきた。 「教育はビジネスではない」からである。


 日本の教育が崩壊しているのは、教育者にビジネスマインドがないからであると、その頃、メディアは口を揃えてそう唱和していた。「市場による淘汰に委ねれば、真に有用な教育機関だけが生き残るだろう」というロジックそのものに疑義を呈したメディアは私の知る限り一つもなかった。「マーケットは間違えない」人々はそう信じていた。


 そのときに賑やかに市場原理の旗を振っていた諸君にまずいくつかお聞きしたいことがある。もう一度お訊ねしたいのは、「教育はやっぱりビジネスですか?」ということである。


 2006年開学のLCA大学院大学はすでに2009年度から募集を停止している。「企業家輩出機関を理念とし、概念的なノウハウだけでなく、実業子会社で培った実戦的ノウハウをもとにコンサルティングを手がけてきた日本LCAが、独自の経営ノウハウと実業子会社というフィールドを生かして、次代を担う企業家を育成するために設立した」大学院が、である。


 経営のノウハウを教える教育機関が経営破綻した場合、説明の可能性は二つある。一つは、「経営のノウハウ」を教えることを謳ったこの教育機関の経営者たちが実は「経営のノウハウ」をよく知らなかったということである。魅力的な解釈だが、私はこれをとることを自制する。


 私がとるのは、教育機関の経営にはいわゆる「経営のノウハウ」が適用されないという解釈である。教育はビジネスマンが来るべき場ではなかったのだと思う。そういう理解でいかがだろうか。◆◆


あちこち省略した切り張り文です。ぜひリンク先を御覧下さい。)




 この主張に、sshは全面的に賛同できます。内田氏にここまで言ってもらえれば、私のような者がわざわざ言葉を足す必要はありません。


 


 ありませんけど、ssh的な言葉遣いで同じ意見を再編してみたいと思います。


 


 


 

 sshにこんな過去記事があります。<ssh115~119ヤンキー先生と民間人校長と矢ガモシリーズ>

 ボウガンの矢の刺さったカモが「矢ガモ」と特別扱いされているうちは決して空を飛ぶことはできない、矢ガモが羽ばたくには矢を抜いてただのカモにならねばならない。ヤンキー先生とか民間人校長とかいうのも同様で、そんな新奇もの扱いされているうちは本当の仕事はできない。彼らが本当の仕事をするには、ただの「先生」にならねばならないのだ、というのがこのシリーズの主張でした。


 <出羽の守>という皮肉があります。何かというと「海外では・・・」「本社では・・・」「以前の職場では・・・」と、「○○では・・・」と言う人を揶揄した言葉です。多くは過去の(成功)体験に固執する人。

 出羽の守は、たいてい嫌われます。嫌われるだけならいいけど、実績も残せません。しかし、なぜ嫌われるのでしょうか?

 答えは簡単です。出羽の守は、現在の職場を見下しているからです。

 「○○ではこうだった。」というのは、「それにひきかえここは・・・」とワンセットです。出羽の守は、自分の現在の職場を蔑んでいるのです。嫌われるのも当然です。他人に見下されて楽しい人はいません。

 

 ヤンキー先生にしても民間人校長にしても、そして株式会社立学校にしても、もてはやされた根本理由は明確です。

 学校(および学校の先生)なんてものは、ヤンキーや民間人や株式会社よりもダメな存在だ。

 口には出さないまでも、日本中(かどうかは知らないけど、メディア的には)の人々がそう思ったからこそ、教育のシロウトに校長や学校運営をやらせるという離れ業がゴーサインを得たのです。

 

 「教育問題なんかオレの手で解決してみせる、甘っちょろい教員どもとはオレは違うゼ。」と言ったかどうかは知りませんが、民間人校長にしても、会社立学校の経営者にしても、たぶん大いなる自信を持って教育畠へと参入していったのでしょう。

 

 彼らの失敗の原因は、恐らくここにあります。

 

 転職で成功する最大の秘訣は新しい職場を愛することである、一番失敗するのが<出羽の守>である、とある有名なヘッドハンターが言っていました。転職先が教育畑であっても、話は同じです。

 結局、彼らは、新しい職場・新しいビジネスを見下し続け、愛することをしなかったのでしょう。

 今までの自分の(成功)体験が、新しい環境で必ずしも通用するとは限らない。これはビジネスではしごく当たり前の教訓のはずですが、小泉時代に教育畑にわっと参入したビジネスマンたちは、最後まで教育畑を見下して、こんな初歩的なことすら忘れていたのでしょう。

 

 こんな他人を見下すビジネスマンの失敗に付き合わされた学生たちこそいい迷惑です。

 破たんした会社立大学の経営陣にしても、任期途中で逃げ出した元民間人校長(ついでにヤンキーセンセーも)にしても、二度と教育畑にタッチしないように(それと二度と教育に口を出さないように)sshよりご忠告申し上げておきます。


 


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