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ssh278 問題とは何かという問題(3)~現実の問題に正解がない理由 [小論文]

<2009>

 

 遅々として進まない<問題とは何かという問題>シリーズ、ようやく3回目です。ここまでのおさらいは、

 

 1 自然界に問題はない。

 2 問題は人間が発見するものである。

 3 問題とは矛盾のことである。

 4 人間の本質は矛盾である。

 

 乱暴にまとめてしまえば、人間ってのが矛盾のカタマリだから、問題というものはすべて人間が絡むことで発生するということです。

 

 一個の人間vs自然。

 多数の人間vs自然。

 一個の人間vs一個の人間。

 一個の人間vs多数の人間。

 多数の人間vs多数の人間。

 

 一個でも人間が絡めば、問題=矛盾は発生します。もちろん、人間がたくさん絡むほど、問題も発生しやくなる。

 

 では、その問題=矛盾は、どうすれば解決するのか?これが今回のテーマです。

 

 いきなり結論を言ってしまうと、矛盾の根本的な解決は不可能です。

 だって、矛盾してるんですから。


 


 今、目の前に欲しい服が2つある。お値段はちょっと高め。あなたどうしますか?

 普通なら、どちらかをあきらめて、どちらかを買うでしょうね。しかしもちろん、片方しか手に入らない。片方はあきらめざるを得ない。両方欲しいアナタにとっての根本解決にはなりません。

 

 どうします?思い切って両方買っちゃいましょうか。両方買っちゃえば、問題は根本的に解決するじゃん!

 でも、チョイ待ち。

 両方買うってことは、それだけの出費を犠牲にするってことです。カネの生る木があるじゃなし、お互い使えるお金には限度があります。

 

 今度は2着の服とゼニの3者によるせめぎあいです。そのゼニを払ったら、当然その分だけ他のものは買えなくなります。もしアナタにハンドバッグを買おうと思って取っておいたお金があって、でも目の前の服2着が欲しいとなると、今度は服2着とゼニとハンドバッグのせめぎ合い。あらま、相反要素が増えちゃった。

 

 え、バーゲンを待つ?それはGood idea

 でもまた新しい問題が発生しますけどね。バーゲンまでに売れちゃうかもしれないし、それまでに流行が変わるかもしれないし、もし近日中にデートの予定があっても間に合いませんしね。

 今度は服とゼニと時間とチャンスのせめぎ合いです。複雑です。

 

 この辺まで来ると、精神的に相当疲れてきますね。金持ちに生まれなかった自分がみじめになってくる。

 あ~も~面倒くさい、買うのやーめた!なんてね。 

 

 

 相反する要素を両立させようとすると、今度は別の要素が絡んできます。その新しい要素も、やはり相反性を持っています。それをさらに何とかしようとすると、さらに新しい相反要素が必要となり・・・キリがありません。次々と新しい矛盾が発生します。

 どこまで行っても、根本的な解決はありません。

 しかし、根本解決がないからといって、いつもいつも「買うのやーめた!」と投げ出すわけにもいきません。買い物くらいならともかく、問題によっては投げ出すわけにはいきません。


 確かに矛盾には根本的な解決はありません。

 しかし、よりマシな答えを見つけることはできます。

 

 2着の服の例でも、よりマシな答えを見つけることはできるかもしれません。

 別の店を歩き回ってみれば、もっと安い値段で売っているかもしれないし、あるいはもっと気に入った別の服に出会えるかもしれませんし。どうしても2着で迷うにしても、友達や彼氏に見立ててもらえばずいぶん楽に選べるかもしれません。案外、店員さん相談したら、2着一緒に買っていただけるなら30%引きましょうとか言ってくれたりして。

 どれも根本的な解決ではありませんが、ただ悩むよりはだいぶマシな解決に向かえそうです。

 

 

 問題とは矛盾のことであり、矛盾には根本的な解決はなく、よりマシな答えを探すしかない。これを言い換えると、こうなります。

 

 現実の問題には、唯一の正解はない。

 

 いや、ずいぶんと引っ張ってしまいましたが、つまりはこれが言いたかったんですよ。現実生活で発生する様々な問題は、学校のお勉強と違って唯一の正解はない。んなことみんな知ってますよ、大人なら。

 

 でも、なぜ?

 

 その答えを探すのが、このシリーズの目的だったんです。問題とは矛盾のことだから、矛盾をスパッと解決する答えなんかあるはずない、と。お互い知恵を絞って、いくらかでもマシな答えを探していくしかない、と。

 

 

 小論文とは意見と論拠であり、意見とは問題に対する解決である。とsshではかねがね強調しております。小論文でテーマとされる問題とは、まさに現実世界での問題=矛盾です。それに対する解決は、従って唯一の正解のないものです。小論は正解のないテストであるというのも、しごく当然なことです。

 

 なぜ小論文は論拠によって評価されるのか?

 その答えもここにあります。

 解決が無限に考えられる以上、その評価は<なぜこの解決が一番マシだと言えるのか?>という理由によるからです。

 sshでちょくちょく書いている「斬ってはいけない」というのも、つまりはこれです。斬って捨てられるような甘い相手じゃないんですよ、人間の矛盾ってのは。

 

 

 いやあ、何とかここまで来ました。でもこのシリーズ、あと1~2回続きます。


 

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