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LHR39 五万節 [ご挨拶&エッセイ]

<2010>

 

 学校出てから十余年

 今じゃ満州の大馬賊

 あごに無精髭生える頃

 集まる手下が五万人

 

 え~すみません、若い人はまったく知らないでしょうね、『五万節』。

 Wikipediaによると、1962年に作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶でクレージーキャッツが歌ったものということのようです。1962年というと私の生年ですな。ただ、歌詞の一部が問題になって放送できなくなったようです。

 上記の歌詞は、手元にあったとある歌集のものでして、オリジナルのものなのかバリエーションなのかは不明です。が、この歌の本質はわかってもらえると思います。

 『五万節』というのは、まあつまりはホラ話というか、大げさギャグです。英語だとtall storyなんて言います。

 

 自慢話でもホラ話でもギャグでも、大げさに言った方が面白いということはありまして、特に数字が絡むと、人はついつい過大申告しちゃいます。

 白状しますと、私もこの悪いクセがどーしても直らないんです。なーんか、ついつい話を誇張して面白おかしくしちゃおうとして。(あ、でもsshはそういうことはほとんどないです。悪いクセは話し言葉のクセです。)

 「ウソ八百」という言葉があります。なんで800なのかは知りませんが、とにかく人はついついそういうつまらない過大申告をしちゃうんでしょう。


 

 ところで、私は3月まで担任をやっておりました。いつぞやも書きましたが、わが県の高校では「担任=入学から卒業まで担任」です。よほどの事情がない限り、担任団は3年間持ち上げ。クラス替えをしても、担任団はそのまま。担任と生徒の付き合いは、3年間の付き合いです。

 そういう中で、私は学年の進路係として「進路だより」なる印刷物の作成を担当していました。

 

 私自身は、こういう印刷物を作るのはかなり好きです。

 担任を持つと決まった時にも、自ら「進路だよりを作らせてくれ」と申し出たくらいです。(実は慣例からすると私は本来「進路だより」を作成するべき立場ではなかったんです。)

 仕事というのは好き嫌いだけでやるものじゃないですが、でも好きなこと、向いていることをやっている時は、その人の能力はうんと発揮されます。

 

 担任を持っていた頃の私の土曜日の典型的な過ごし方は、朝クラブのために学校へ行き、解錠して、研究室へ行き、そこで『進路だより』をPCで作成し、印刷室で400枚ほど印刷して、クラブが終ると施錠して帰る、というものでした。

 『進路だより』は学年の生徒全員+職員分を配布することになっていたので、毎度400枚以上印刷する必要があったのです。印刷機の調子が悪いと本当に大変でした。

 

 まあそれでも、好きこそ何とやらで、あれやこれやと書いているうちに、3年間で140号ばかりを発行しました。ほぼ週1回のペースです。

 

 で、改めて掛け算をしてみましたところ、400×140号=56000枚。

 いや、冗談でも誇張でもなく、『五万節』の世界になってました。刷った「たより」が5万枚。

 わら半紙1シメ(1000枚)を50シメ以上使ってしまいました。私一人で。

 

 もちろん、その紙代は「血税」から出ています。

 さて、これは血税の無駄遣いなのか?

 

 まあ、『進路だより』なんて、別になくてもいいんです。

 外つ国、じゃなかった、日本一教職員への処分が多い東京では「君が代」を起立斉唱しないと処分されるそうですが、その東京でも『進路だより』を発行しなかったカドで処分されたという話は聞いたことがないですから。

 

 ただ、こういう刊行物もは、あればプラスにはなります。

 事実、卒業寸前の3年生にアンケートを取ったところ、進路実現に有益だったものとして、補習授業やら担任の先生との懇談やら学年主任の話やらに混じって、『進路だより』というのがありました。社交辞令もあるでしょうけど。(子どもって、大人に気を遣って社交辞令を言うくらいのことはします。)

 

 

 教育の仕事って、ムダがつきものなんですよ。

 5万枚以上の『進路だより』が、果たしてどれだけの効果を生んだのか?

 その費用対対価はどうだったのか?

 んなこと、知りません。効果はあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。まあ、少なくとも、5000枚が50000枚になれば効果が10倍になる、という単純なものではないでしょう。

 

 一つだけはっきり言えるのは、もし『進路だより』みたいな刊行物があまり意義のないものだとあちこちから言われたとしても、次に担任を持つとしたら、やはりそういうような刊行物を私は出そうとするだろうということです。


 

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