SSブログ

ssh1106 音楽会が女子が「僕」と歌うハードルを下げた [社会]

<2021>


【お断り】


 もととも2010年の記事ですが、侮蔑的表現が含まれているため改変しました。元記事は欠番とします。


 


 


 ただいま本校は9月の校内合唱コンクールに向けて各クラスで練習が始まっております。いや熱心なことです。


 その合唱の練習を聞いていて、ふと、女性シンガーが「ぼ〜く〜は〜き〜み〜を〜」と歌うアレについて考え始めてしまいました。


 あれ、もしかして、学校の音楽会での合唱が地ならししたのではないかしか?


 


 

 ssh342「文化祭は息抜きじゃない」で、高校の文化祭にからんで、小学校で最も重要な教育活動は運動会だと主張しました。運動会のない小学校は考えられません。

 実は小学校にはもう一つ、なくてはならない教育活動があります。それは、音楽会。

 

 音楽会も運動会と同様に意義の深い教育活動です。

 運動会の最重要テーマは整列や段取りなどの運営面。きちんと整列する、プログラムに従って進行する、自分の係仕事を務める、それらこそが教育活動です。かけっこなど競技そのものは、いわばアトラクション。誰が勝ったっていい。重要なのは運動会が運動会の体裁を成すかどうかです。

 

 音楽会も基本的には運営面が重要なんですが、運動会とはちょっと事情が違います。

 というのは、運動会の競技は、かけっこでコケてもビリになっても、玉入れで全然入らなくても、綱引きで一方的に負けても、別に構いません。競技結果は運動会の体裁を壊しません。

 音楽会の場合、演奏結果はかなり大事です。

 演奏は一応のレベルになっていないといけない。あまりヘタクソだと生徒は落胆してしまって、「成功体験」になりません。

 さらに、音楽会の場合、全員が走ったり綱を引いたりするわけではありません。合唱ならパートが違うし、伴奏の仕事をする生徒もいる。合奏は楽器の分担によって負担が全然違ってきます。

 

 音楽は上手下手がかなりはっきりわかれます。

 特に合奏の場合、ピアノやトランペットを華々しく演奏できる生徒もいれば、カスタネットくらいしか任せられない生徒もいます。必ずいます。

 運動会なら能の高いヤツが勝つだけですが、音楽会ではそういう単純な競走はできません。

 ステージに上がった生徒全員が、お互いの能を上手に活かして、全体としていい演奏をしないといけない。

 パートわけは、能力の違いを認め合うことです。その上で、能のあるヤツを増長させず、能のないヤツをいじけさせず、一人一人が練習で「うまくなった」と実感できるようにさせ、全体としていい演奏を作っていく。


 いや~書いていて気が遠くなってきた。これを毎年やるんですから(しかも授業やいろんな仕事と平行して)、小学校の先生って超人ですよ。みなさん、小学校の先生を大事にしましょう。

 

 

 え~以上は本論じゃありません。すみません。

 

 日本でフツーに学校に通っていると、小学校で音楽会、中学校で合唱コンクールや合唱祭を経験します。誰もが歌を歌い(歌わされ)ます。男子も女子も。

 冒頭の、合唱の練習を聞いていたふと、というのはですね、

 合唱曲の歌詞というのは、大半が、一人称「ぼく」「ぼくら」二人称「きみ」「きみたち」なんですよ。


 中高生くらいだと、男子って本当に使えないヤツが多いんです。掃除でも体育でも合唱練習でも、男は実に取り組みがいい加減。一方、女子はけっこうよく働きます。これじゃ実技科目の成績は女子ばかり高くなるってもんです。

 高校の合唱コンクールの練習も、たいていやる気のある女子が集まってスタートします。最初のうちは女子ばっかりで歌ってます。するとですね。1518歳のオンナのコたちが「ぼ~く~(ら~)は~」と歌っているのが日々耳に入ってくるわけです。

 この逆は、かなり機会が少ないです。つまり、男子が「わ~た~し~は~」とか「あ~た~し~た~ち~」とか歌う機会は、すごく少ない。ないこともないけど、それは男女共用セックスレスな「私」であって、女言葉の「わたしorあたし」じゃない。

 

 たぶん、男の子は、女言葉で歌を歌うことにいささかの抵抗があるはずです。慣れてないから。

 一方、女の子は一人称「ぼく」「ぼくら」を声高らかに歌う練習を毎年のようにやってきている。このことが女の子が男言葉で歌うことの抵抗を無くしているのじゃないか?という推察は一応できます。


 女性シンガーたちの1人称「僕」2人称「君」を生んだ陰の立役者は音楽会の合唱曲なのでは?

 という、仮説というほどのものでもない推察です。


 

nice!(2) 

nice! 2