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ssh1107 演歌の「アタシ」は男道 [社会]

<2021>

【お断り】

 2010年にssh379としてアップした記事ですが、ssh1104-6と同様の理由により改変しました。ssh379は欠番とします。なお表現以外は2010年のままとなっているため、現在の社会的評価や私の意見とは必ずしも合致していません。

 

 

 

 今回の記事の骨子は<女装演歌は女心の歌ではなく、男心を女言葉を借りて歌ったものである>というものです。 

 

 実は、かねがね疑問に思っていたことがありまして。

 なぜ世の人、特に世の割と高所得の男性は、組織にああも尽くすのかと。

 会社のために家族を犠牲にするなんてのはごく当然のこと。会社の不正行為を目撃しても黙認するし、極端な場合は不正の責任を一人で抱え込んで辞職や自殺までしちゃう。なにもそこまでして組織に尽くさなくったって。

 

 という疑念に対して一つのヒントをくれたのが、清原和博自伝『男道』。

 いえ、本は買ってもいないし立ち読みすらしてません。私が感じ入ったのは、新聞広告に使われた引用文。


 

 ご存知の通り、高校時代から破格の才能を見せていた彼は、ジャイアンツでプレーすることを夢見ていました。しかしジャイアンツが指名したのはチームメートの桑田真澄。清原は1位指名を受けたライオンズに入団し、ジャイアンツへのこだわりを捨てられぬまま1年目から空前と言える大活躍をします。

 その後フリーエージェントの資格を得た時、世間は大きな注目を集めます。憧れの球団に行くのか、自分を裏切った球団(巨人はドラフトで清原の指名を約束していました)を見捨てるのか。

 私は後者を予想しました。自分をたばかった相手など二度と信用する必要はないですから。

 

 しかし、彼は前者を選びました。

 その後の彼は、それまで以上の注目と引き換えに、イバラの道を歩むことになります。そして、そういう彼に対して球団は決して理解を示してはくれなかった。結局彼は放り出されるような形で契約を打ち切られ、ブルーウェーブに移籍し、引退までそこでプレーしました。

 『男道』で新聞広告で使われたのは、FAで巨人のラブコールに応え、本人なりに頑張ってきたのに、放り出されるように契約を打ち切られた時の無念を綴った部分でした。

 

 これを見た時、ちょっとだけナゾが解けました。

 

 はっきり言うと、私は清原和博という人物は愚かだと思います。自分のパフォーマンスが一番発揮できる環境、自分を最も評価してくれる環境(評価は金銭面とは限らない)を正しく理解せず、ましてや一度裏切った人間は二度も三度も裏切るのが常だと言うことも理解せずに、もっとも使い捨てられる環境をわざわざ選んでしまった。

 その後も、その気になれば自立するチャンスはあった。なのに彼は球団への忠誠心を優先し、結局尽くしたあげくに捨てられる、ただの都合良いコマになりさがった。

 

 彼には、判断力が欠けています。思考が停止していると言ってもいい。

 彼の行動は、ビジネスモデルとしては大失敗例です。

 にもかかわらず、彼は多くの勤め人の支持を集めます。なぜ?

 

 私の推察は、以下の通り。

 

 世の勤め人たちは、清原に自分を見ている。

 冷静な判断よりも忠誠心や情緒を優先し、自分を守るための行動を起こさず、ズルズルと何もしないまま同じ環境に居続け、しかしその不都合やつらさをお互いに酒で慰め合っているうちに、いともたやすく捨てられる。捨てられてなお何の行動も起こせない。

 清原和博は、会社員の鑑です。

 そして、この姿こそ、女装演歌の「わたし「アタシ」そのものなのです。

 

 相手への疑いがあっても「いえそんなはずないわ」と自らに欺瞞を課し、ストレスは酒で癒し、尽くして尽くして最後に捨てられるまで、何の行動も取ることなく終っていく。

 女装演歌は、組織に尽くして尽くして捨てられるという道を選んだ男たちへの応援歌だったんです。

 

 一言指摘しておくと、尽くして尽くしてというのは、全然立派でも何でもありません。

 それは、非常に安直な生き方です。

 とことん尽くすと決めてしまえば、人は、自分の頭で何も考える必要がなくなります。ただ上からの命令に従うだけ。ラクなこと至極です。イヌだってたまには反抗するでしょうに。

 

 そうなると、女装演歌が高度成長期に興隆してきたのも、団塊を中心とした高度成長期の申し子世代に人気が高いのもつじつまが合います。高度成長は右肩上がり経済&終身雇用で、とにかく組織に忠誠を尽くせば必ずペイした時代ですから。

 同時に、なぜ男装ポップ(男性シンガーが女言葉で歌うJポップ)が生まれなかったのかも一応の説明が可能です。

 Jポップの興隆期は1980年代。高度成長がとっくに終わり、オイルショックも日米貿易摩擦も経験して、いよいよ日本がバブルに向かっていたころです。同じ好景気でも、今度は日本型経営や年功序列システムが否定され、組織にしがみつく生き方が古臭い時期でした。「尽くして尽くして・・・」の演歌的世界は、80年代の若者の大半にはピンとこなかったのでしょう。その点、清原和博は確かに古風な人物です。

 かくして、時代状況が変わり、女装演歌と、それに類似したフォークは高齢者向けの特定マーケットでのみ消費されるように収束していった。

 そして、それとオーバーラップするように、女性シンガーが男言葉で歌うJポップ=男装ポップが興隆してくる。

 

 

 そうなると、男装ポップの「僕」たちも、実はが女性の心情を歌っている可能性はあります。

 このあたりの考察はいずれやるつもりです。(注:と書いて10年以上経過してるけどやってない)

 


 

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