SSブログ

ssh390 屈服させると、人は復讐を誓う〜話し合うことの意義と目的(2)  [リテラシー・思考力]

<2010>

 

 第1回を書いたっきり、すっかり放ったらかしになっていた、話し合うことの意義と目的シリーズの、ようやく第2回です。今回のテーマは「屈服させると、人は復讐を誓う」。


 4年ほど前に椎間板ヘルニアになって、しばらく整形外科に頻繁に通っていました。

 待合室に『美味しんぼ』がいっぱいありまして、よく読んでいました。週刊誌よりは面白かったんで。

 実は『美味しんぼ』ってマンガ、連載開始当初から知ってます。当時私は大学生でした。まさかあんなにメジャーになるとは思いませんでした。私は『めぞん一刻』が好きで雑誌を購読していたんですけど。

 にしても、『美味しんぼ』って、食い物のことですぐケンカ始めるのね。出てくるキャラがどいつもこいつ怒りっぽい。そーゆーマンガだからしょーがないって言えばそれまでだけど、ちょっとキレやす過ぎないかい?

 でまあ、キレやすくて食文化を大切にしないヤツが、これまたキレやすいけど食文化に造詣の深い山岡クンや栗田サンやら海原サンやらにやりこめられて、やりこめられたヤツが自らの過ちを認めてめでたしめでたしと。

 そーゆーマンガだから、それそのものにケチつけるのはヤボの骨頂です。あのマンガの主役は食い物であってキャラじゃありません。

 

 でもやっぱり、どーしても受け入れにくいことってのはありまして。

 自らの過ちをモロに指摘されて赤っ恥をかかされた人間ってのは、そう素直に過ちを認めるものなんでしょうか?

 逆ギレしませんかねえ。人間、そう簡単に屈服しませんよ。

 

 


 

 どんな人間にもプライドはあります。プライドがあるから自分の存在を肯定できる。プライドが微塵もない人間は存在意義をまったく感じることができず、自死を選ぶはずです。

 他人のプライドを傷つけることには、慎重でなければなりません。

 

 もちろん、どんなプライドであっても尊重すべし、などとは言いません。

 つまらないメンツにこだわってる人間はつまらない人間です。そんなものに配慮してやる必要はない。

 また、子どもの場合、チンケなプライドを現実と直面させて敢えて壊してやることで、次のステップへの成長を促せるということがあります。

 

 ただ、誰にとってのどんなプライドが配慮する価値のないつまらないメンツなのか、あるいは壊してやった方がいいチンケなプライドなのかというのは、一概にはわからないものです。

 

 敵対した相手に屈服を強いられるのは、屈辱そのものです。プライドはずたずたに破壊されます。

 この場合、屈服の手段はあまり関係ありません。事実や現実によって指弾されようが、言論によって論破されようが、あるいは力(権力・ゼニ・暴力・軍事力など)によって文字通り屈服を余儀なくさせられようが、屈辱であることに変わりはありません。

 さらに言えば、その際、「オマエが悪いのだから仕方がない」というのも、実はあまり有効ではありません。自分が正しくなかったとしても、屈辱感はやはりあります。というより、むしろ、相手が100%正しくこちらに1%の分もないときの方が、むしろ悔しさは強い。

 

 屈服させると、人はどういう行動に出るか?
 屈服させられた人間は、必ず復讐を誓います。

 屈服した人間は、プライドを破壊されています。

 他人の目から見てつまらないプライドであっても、本人にとっては重要なものかもしれません。

 それを失ったら、もう生きていくことが困難になるそういうプライドが、誰にもあります。

 そういうプライドというのは、人はどんな理不尽を冒してでも守ろうとします。
 ここに正義や正論や道徳やリクツは何の役にも立ちません。

 子どもの親殺しや夫婦・兄弟姉妹の殺しというのは、得てしてそういうプライドの破壊が引き金になっています。

 学業や就労に失敗してずっと引きこもりのような生活をしていたところを親になじられて親を殺す。

 賢い妹に批難され、反論のできない兄がぶちギレて妹を殺す。

 もちろん殺した側には1%の言い分もないです。そんな短絡的なことで殺人を起こすんじゃたまらない。

 しかし、人間ってのはそういう行動に出るんですよ。

 いくら正しいことを言ったとしても、殺人事件になったら元も子もないです。

 

 いきなりキレて刃物や金属バットを振り回さないまでも、屈服させられた人は「いつか仇を打ってやろう」と思っています。

 私がまだ若いころ、管理職が職員会でえらくスットコドッコイなことを口走ったのです。もうほとんど事実誤認。あんまりひどかったんで、その場で私が論破してやりました。

 後日、私が事務手続きで結構大きなミスをやらかしました。これは完全に私のチョンボ。すると、この管理職の方は、もうどえらい剣幕で私を叱りつけました。私はひたすら平謝り。

 ま、そういうもんですよ、人間ってのは。

 

 家族にせよ、職場の同僚や上司にせよ、あるいは隣近所とか取引先とか、あるいは隣国なんてのも、明日も明後日も顔を合わせる間柄です。これからも付き合っていかないといけない。

 これからも付き合っていかなきゃならない間柄の相手に、屈服を求めちゃいけないんです。
 必ず復讐されます。場合によっては命を落とします。

 繰り返しますが、ここに正義や道徳やリクツは通用しません。

 話し合いは、正義や勝ち負けを競うものじゃありません。

 仕事場の話し合い=会議であれば、その目的は仕事をよりよい方向に進めることのはずです。

 正論で相手を論破した結果、相手に復讐心を植え付け、協力関係などにヒビが入るような展開は、仕事を改善どころか悪化させます。

 

 議論には勝ちました、職場は壊れました。
 正論を述べました、相手はふてくされました。
 言うべきことをビシッと言いました、相手との関係は険悪になりました。
 一期一会の相手ならそれもアリでしょうけど、これからも付き合わなきゃならない相手の場合、そういうわけにはいかないんです。それでは困るんですよ。

 

 (てなことを書くとすぐに「では言うべきことも言わずにただただ自分から折れろということか?」てな短絡的なツッコミをしてくる人がいますけど、もちろん、それはダメですよ。短期的は良くても、そのうちトラブルになります。自分が屈辱感を溜め込んで、いずれ相手に何かしてやりたくなるからです。難しいんですよ、意見の異なる相手と共生していくのは。)


 

nice!(1) 

nice! 1