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ssh389 4th Anniversary [ご挨拶&エッセイ]

<2010>

 

 sshの創立記念日、1020日です。今年は創立4周年です。これまでsshにアクセスいただきありがとうございました。また、数多くのniceとコメントも頂き、感謝感謝です。

 ものごと何でも、続けていればいろいろと得ることがあるものです。

 ssh4年続けたおかげで、ネットを通じて様々な方と接することができました。しかも皆さんがとても示唆的なコメントを下さる。また、他の方のブログがまたとても勉強になる。これは私にとって大きなエネルギー源です。


 さて、ssh4年目の大きな変更点として、「にほんブログ村」のブログランキングに登録したことがあります。(注:すでに脱退)

 それほど強い目的意識があって登録したんじゃないです。まあ、人のすなるものを自分もしてみんとてするなり、という程度のノリでして。

 ブログランキングって、アクセスを増やすための第一歩ということになってるみたいですね。so-netQ&Aにもそんなような説明がありました。

 アクセスが増えること自体は私も大歓迎です。自分の書いたものはできるだけたくさんの人に読んでもらいたい。

 なのになぜ、今まで登録をせず、二の足を踏んでいたのか。

 

 ひとことで言えば、アクセスが増えるのが怖かったんでしょう。

 

 ネットというのは非常に敷居の低いメディアです。環境とキカイいじりがOKなら、子どもでも誰でも参加できる。

 4年前にsshを始めた際、もっとも警戒したのが、そういうネット界での身の振りです。教育ネタをブログで発信したいという決心はあった。問題は、どう振る舞えばイヤなトラブルを回避しながら書きたいことが書けるのか?なるべく多くの人に読んでは欲しいけれど、自分のサイトを土足でグチャグチャにされるようなのはごめん被りたい。

 

 スーパー小論文ハイスクールという、一見とっつきにくいタイトルでこのブログをスタートしたのは、今にして思えばそういう警戒心も一因だったのだろうと思います。

 ある程度の専門性を看板に、敷居いささか高くしておけば、訪問者は限定されても、通りすがりのアホウが大挙して土足で上がり込んでくることもなかろうと、まあ直感的にそう思ったんでしょう。あまり意識はなかったのですが。


 

 ところで、sshを開始する時に、結構悩んだのが文体です。

 私は「ですます調」と「である調」を割としっかり使い分けています。

 学級通信や進路だよりなどのニュースレター(配布物)を書くときは「ですます調」。一人称は「私」。

 PTA会報や校友誌などにちょっと長めの文章を書くときや、堅めの論考を書くときは「である調」。一人称は「僕」。

 

 迷った末に、sshは「私」と「ですます調」でスタートしました。進路だよりみたいな感じということで。

 しかしそのうち、それまでであれば「である調」で書いたであろうような内容もsshに書きたくなってきました。これを「ですます調」で書くのはどうも違和感がある。

 この違和感に耐えられなくなって始めたのが「LHR」です。LHR1~4はすべて「である調」で書かれています。

 こういうふうに使い分けることで、気持ちのバランスを取ろうとしたんです。

 

 ところが。モノは何でも続けているといろんなことが起こります。

 「ですます調」の記事をたくさん書いているうちに、だんだん「ですます調」がしっくりくるようになってきたんです。

 どの記事だったか忘れましたが、モノは試しと、今までなら「である調」を選んだようなテーマを「ですます調」で書いてみました。すると、書けた。デキも悪くない。

 だったらもうわざわざ使い分けることもないから、これからは「ですます調」一本でいいや、と思いまして、それ以降はほとんど「である調」は使っていません。

 

 

 「ですます調」には、意外な効用がありました。

 丁寧な言葉遣いは、他者の攻撃にはイマイチ向いていません。皮肉やあてこすりはできるけれど、ストレートに非難するのはやりにくい。口汚い言葉は「だ・である」調の方が使いやすい。

 現在の文体を使い続ける限り、sshではあまり直情的に他者を罵ることができない。

 私自身は割と短気で他者を罵るような行為に走りやすい、まあ大人げない人間なんですけど、sshの記事ではあまりストレートな罵詈讒謗(ばりざんぼう)が書けないんです。いささか頭を冷やして言葉を選ばないとうまくない。

 全体として、記事があまり攻撃的にならないんです。

 

 実は「にほんブログ村」の村内見学をしてみたら、ちょっと面白い発見がありました。

 攻撃性の高いブログには、ひどく類型的なコメントばかりが返ってきているんです。

 

 攻撃性が高いというのは、言葉遣いが丁寧でなく、全体に威丈高で、他者をバカにした批判非難が多く、選ぶ単語も口汚く、書いている本人も「毒舌ブログ」とか自認しているということです。

 で、類型的なコメントというのは、

 1 まさにその通り!という100%同感型

 2 ふざけるな!という100%不同意型

のどちらかばっかりだということです。

 どっちにしても、コメント寄稿者からの新たな視点観点の提示はない。つまり示唆的じゃない。

 

 示唆をもらえないから、どの記事を読んでも主張が同じトーン。書き手の変化がまったくない。だから次の記事を読みたいと全然思えない。とにかく内容がない。変化が起きないから世界が閉じている。特定の読者の賛同しか得られない。筆者はいら立つ。ますます攻撃性が高まり、ますます読み手は引いていく、という感じ。結果、同一イデオロギーの人が同意し合い嘆き合い、共にイラついて憂さを晴す会員制サロンみたいになっちゃってる。

 

 逆に、攻撃性の低い、丁寧な文面で書かれたブログには示唆的なコメントが多い。

 いいコメントに触発されて次の記事が書かれることもあるので、ブログの中で書き手が明らかに変化している。成長していると言ってもいい。だから次の記事を読みたいと思わせる。変化があるから世界が開けている。開けているから、いろんな人のいろんな視点からのコメントが入ってくる。反論コメントであっても、きちんと反論をしていて、ただの攻撃コメントは少ない(あっても繰り返しやってこない)。コメントが書き手に利益をもたらしている。ますます世界は広がり、ますます記事は面白くなる、という感じ。いいコメントは、書き手を成長させます。

 

 

 強硬姿勢のブログは攻撃を受けやすく、しかも書き手は他者から得るものが少ない。

 やんわりした姿勢のブログは攻撃をあまり受けず、しかも書き手は得るものが多い。

 ネット界はなかなか奥が深いです。

 

 

 sshが「荒らし」や「炎上」と無縁で済んでいるのも、現在のような「ですます調」文体を用いたことが一因でしょう。

 

 

 さてさて。ssh5年目に突入します。

 ブログ界は予想外に新旧交代の激しい世界のようです。有名人でもジャーナリストでもない一般の人が、5年以上続けているブログってかなり少数です。sshの黎明期にniceやコメントをくださった方の中にも、ブログが閉鎖になった方が何人かいらっしゃいます。

 私としては、スーパー小論文ハイスクールはなるべく長く続けたいなと思っています。ダラダラとした状態でもいいから。

 バーチャルスクールとは言え、仮にもハイスクールを名乗っている以上、そう簡単に廃校にしちゃいかんという想いはありますから。

 

 

 5年目のsshにこれからもご来校ください。お待ちしております。 


 

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