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ssh480 絶対音感とピカソと文章を書くこと(2) [三題噺]

<2011>

 

 ssh479の続きです。

 にしても、まーssh479って、改めて読みなおすと相当な駄文ですね。ひどいもんですわ。意味は分かりにくいしまとまりはないし。

 あんまりとっちらかってるから、整理整頓のために、ssh479の引用文を要約します。

 

 この世界は絶対的には極めて多重的な姿をしている。それは豊饒ではあるが、怖いほど強力な存在である。文章を書くという行為は多重的な絶対的世界を明確な相対的世界に置き換える作業であり、言語はありのままの絶対的な世界を相対化し、我々に御することができるレベルまで弱体化する力を持っている。ただし言語により相対化された世界には葛藤という新しい問題が生ずる。

 

 これ、もっと挑発的な言葉でまとめると、こうなります。

 この世界のありのままの姿は、人間にとって怖くて受け入れられないほど絶対的に強固なものである。人間にとって言語はその絶対的強固な世界を相対的なものに矮小化して弱体化する武器である。


 私たちが文章を書こうと思うとき、最初に頭に浮かぶもろもろのアイディアは、実にとらえどころのないグチャグチャとしたものであることが多いです。

 それを整理整頓し、1本の文章にしていくのは、かなり骨の折れるお仕事です。つらいです。

 まあ当然ですよね。だって、自分の理解力では強力すぎて耐えられないものを、何とか自分の理解の範囲内に収めようという作業なんですから。勝ち目のない相手を骨抜きにして、勝てるようにするための謀略、と言えばちょっと言い過ぎですか。

 どっちにしても、重労働であることは確か。

 

 ssh479が駄文なのは、私がその整理整頓を真面目にやらなかったからです。脳内に浮かんだ「あぶらなす浮きくらげ」を捕まえ切れていない。あっちこっちに浮きくらげがプカプカしている。読まされる方はいい迷惑です。

 こりゃまあ、まさに「悪い見本」ですわ。


 ただ、悪い見本にも、使い道はあります。

 この課題文をここまで読んだ時に(実はこの課題文、まだ続きがあるのです)、私の頭の中に浮かんだ浮きくらげは、ssh479みたいにグチャグチャした状態であったということは、判ってもらえるんじゃないでしょうか。

 実際に最初に私の頭に浮かんだものは、もっともっととらえどころのないものだったはずです。あれでも一応、日本語の文法に則って文章化されてはいますから、ちっとは相対化されているのですよ。全然ダメだけど。

 

 もし、私がもっとマジメにssh479をまとめていれば、私の脳内が最初はこれほどシッチャカメッチャカだったことは、お伝えできなかったでしょう。この辺が試験とか出版物のような一発勝負と違う、ブログのありがたさです。


 

 それにしても、こういう文面を見た時に、まるっきり共感できないという人はけっこういるんじゃないですかね。

 それも自分の知性にある程度の自信を持っている人に。

 

 この世界の本当にありのままのありようを、人間は決して理解できない。

 理解できないどころか、受け止めることすらできない。

 

 「この世の中に、全く同じものなど2つとない。」

 なーんて、よく言いますよね。人はみんなオンリーワンだとか。

 確かに、その通りなんですよ。でも、その現実に、フツーの人は耐えられないんです。


 血は赤い。トマトは赤い。赤信号は赤い。酔っぱらいの顔は赤い。しかしもちろん、それぞれの「赤」は全く同じ「赤」じゃありません。血もトマトも信号も酔っぱらいの顔も同じ「赤」で片付けているのは、私たちにとってそれらが「違うけど似ている」から。似たようなものには、全く同じ名前がついている。細かい差異はこの際無視。

 でも、ヤボを承知で言えば、どれも違う色です。色調ってのは、一つとして同じじゃない。

 

 赤と言えば、私のデミオも赤です。

 でも、私のデミオの赤と、今のデミオの赤はちょっと色が違います。

 「真っ赤なポルシェ」の赤も、私のデミオの赤とはちょっと違います。

 私のデミオは「クラッシックレッド」と言って、わりと深い赤色です。一番近いのはイタリア車の、例えばアルファロメオとかフェラーリとかフィアットあたりに塗られている赤です。

 ドイツ車の赤は、もうちょっと明るい、朱色がかった赤です。トヨタと日産の赤はドイツ車っぽい赤です。

 

 人工的に作った塗料の色でさえ、同じ真っ赤でも気にし出せば違うんです。いわんや自然界の色をや。

 色調の違いに朱色とか紅とか桜色とかいろんな名前をつけたところで、朱色と名付けられた色の中にも細かい差異は残ります。


 結局、人間はそうやって、絶対的には多様で多重的な世界を、言語(例えば名前)によって似たモノ同士をまとめて、おおざっぱな形にしないと、受け入れられないんです。

 そうやっておおざっぱにまとめられたものは、確かに受け入れやすいし、怖くもない。

 けれど、そこには「葛藤」という新たな問題が生じる。

 同じ「赤」なのに、なぜこっちの赤は好きでこっちの別の赤はイマイチ気に入らないのか、とか、なまじっかまとめてしまったがゆえのトラブルが起きる。

 

 

 と、これが、ssh479の駄文のやり直しです。これでやっと「絶対音感」までが片付きました。

 次こそ「ピカソ」に行きます。


 

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