SSブログ

ssh498 教育改革は必ず失敗する〜吉岡友治氏のブログより [教育問題]

<2012>


 大阪府知事選と市長選のダブル選挙で完全勝利した橋下センセイとそのお友達。選挙前から打ち出していた「教育基本条例」の制定に大変意欲的であります。

 

 sshは以前より、この基本条例とやらは具体的な教育ビジョンが皆無で、ただ教育を政治の支配下に置く事だけを求めた腐れ条例と評価しております。

 この条例案を政財界が支持するのは当然であるとして、そうでない人たちからもそこそこ支持があるというのはなかなか興味深いです。

 もしかして、政治が教育を支配すれば、教育が改革されると思っているんでしょうかね。

 

◆◆

  私は、幸か不幸か子供がいないので、教育に関わっていながら、あまり教育を語ることに熱心になれない。というより、教育という営為はそもそも時間がかかり、非常に非効率なものなので、因果関係が明確に出ない。そのとき良いと思ったことでも、後から「何だかな」と感じることは少なくない。だから「こういう教育がよい」と、口角泡を飛ばして論じる人の気が知れないのだ。「あなた、何を根拠にそんなにの確信的に語るのですか?」って、つい聞き返したくなる。 

 実際、教育改革なんてだいたい失敗しているじゃないか? 直近の例では「ゆとり教育」。あれが始まった直後、公然と批判する人は少なかったと思う。「生きる力」とか「自分で考える力」だっけ? あれも反対は出来にくいスローガンだったと思う。でも、その結果はどうか?「学力低下が起こる」って、よってたかって非難しまくって、結局元に戻った。当初喧伝されていた「受験勉強批判」の高邁な理想はどこに行ったのかね?それと「教育再生会議」。ノーベル賞学者とか、熱血先生とか、水泳選手だとか、雑多な人々がよってたかって出した結論がお粗末だったのは記憶に新しい。 

 逆に、熱意を持った教師側が引っ張っていくスタイルの失敗もまた無惨に失敗している。有名な愛知管理教育がどういうものかは、もう30年も前に体験者が赤裸々に語っている。(内藤朝雄「〝熱中高校〟って何だ 愛知東郷高校で何がおこなわれているか」)体罰はし放題。校則は極限まで厳しくする。進学実績を上げるために、志望してもいない大学を受験させる。疑問を持った生徒が生徒会に立候補するのを妨害する。異分子はすぐ退学させる。 

 最近でも、愛知の某大企業が作った全寮制高校でガチガチの進学管理教育をやって、入学者が半減したとか。あるいは「教育再生会議」の某社長が理事長を務める高校でも、英検の不正事件が引き起こされた。事件後の対応が素晴らしい、なんてうがった意見もあるが、そもそも英検の成績を上げようと教師が不正の手伝いをする、という体質がおかしくはないか。結局、日本の企業家って「自由競争の精神」とか「次世代リーダー育成」とか、いろいろ口当たりの良いスローガンは出すけど、ほとんど日本の中に北朝鮮まがいの空間を作っているだけなのだ。どこが「自由経済」の旗手なのだろうか?。 

 かといって、生徒側の自主性を尊重しようとする左翼運動家の方法を取っても似たようなことが起こる。原武史は『滝山コミューン1974』の中で、日教組の全国生活指導協議会という団体の教師が、政治的手法で生徒の熱狂を煽り、結果的にどのように抑圧的な教育をしたか、克明に書いている。右でも左でも「理想の教育」を掲げる人間が、実際に教育を行うと、思想統制や洗脳に近いものとなってしまうのは、興味深い。 

 ここまで「理想の教育」の死屍累々たる様を見たら、外部の者が受け取るべき教訓は一つ。下手に外部から口を出してはいけない、ということではないだろうか? 効果が上がらなくても、進歩が遅々たるものに見えても、所詮人間の欲望や自然とは反する業務を行っているのだから、大目に見なくてはいけない。

 

 もう教育制度の議論は止めたらどうか、と思う。教育の実質は制度なんかで決まるものではない。教師と生徒/学生が顔をつきあわせて、個人対個人の間で思考のやりとりをするという中にしかないのだ。それを現場でやってみる。

 世の「教育制度改革」がだいたい失敗するのは、その具体的プロセスを無視して、結果を出そうとするからだ。だから英検の合格者数をあげようと不正をしたりする。だが、教育にはプロセスしかない。結果は後からついてくる。というより、結果を無視して熱中しなければ、結果は出ない。でないと、目的が自己の利益に偏り、徹底的に考える姿勢がなくなるからだ。自分の利益すら本当に大切なのか、と検討するのが、正当な理性の働きだ。

(「吉岡友治の三日坊主日記」2011.12.29. 一部割愛してあります)◆◆


 

 教育改革を叫ぶみなさまに質問です。

 我が国で成功した教育改革の例を1つ、挙げて頂けませんか?1つで結構です。

 挙げられないでしょ。だって、ないもの。

 特に政治主導による教育改革は、全滅です

 

 だからここで予言しちゃいましょう。

 大阪の教育カイカクは、必ず失敗します。

 死屍累々(@吉岡ブログ)にまた一つ、新たな屍が加わる事になるでしょう。

 

 

 問題は、失敗の仕方。考えられるのは、

 1 カイカクが断行され、壊滅的な状況になる。

 2 カイカクは中途半端に終わり、修復可能なくらいに壊れて終わる。

 3 カイカクそのものが実行されずに終わる。


 1の壊滅的な結果というのは、橋下一派の改革がほぼ忠実に実行された場合。吉岡ブログだと「愛知の管理教育」や「日教組の全国生活指導協議会」の例のように、カイカクが突っ走った場合。

 大阪の公教育は壊れます。

 多くの教員はやる気を失い、少数の教員はブチ切れて辞め、あとの残りはひたすら保身に執着する。抑圧された人間がより弱い人間を抑圧するのは社会の常、生徒は条例案以上に抑圧されるでしょう。

 とは言え、橋下支持派はその「破壊」を期待して投票しているのですね。閉塞感のある停滞よりは混乱しても破壊して欲しい。どーせ教員も公務員、みんなやっつけちまえと。

 支持者もご本人たちも、壊した後にどんな教育を行うのかについては、ぜーんぜん興味がないんですよ。教育基本条例に具体的な教育内容がまったく書かれていないのが証左です。

 壊せるだけ壊して途方に暮れるという、一番凄惨な失敗パターンです。これだけはぜひ避けて欲しいところです。

 

 2は「ゆとり教育」や「愛知県の某大企業」の学校のように、カイカクが徹底する前にほころびが目立って方針転換せざるを得なくなるパターン。恐らく歴史上最もよくあるパターンでしょう。

 私の県でも高校の特色学科(理数科・体育科・英語科・総合学科など)設置というカイカクが1520年ほど前に始まりました。が、結果は中途半端で、一部の条件のよい学校以外では定員割れが起きたり学科の最改編が検討されたりしています。

 このパターンになり得るもう一つの要素は、橋下センセイが国政に打って出る可能性。

 何しろ既成政党連合軍(公明党を除く)との一騎打ちで勝った人です。こんな集票力のある人物を、権力欲の塊の中央政界のセンセイ方が放っておくとは思えません。そうなれば大阪のカイカクはそこでかなりトーンダウンすることが予想されます。

 

 3は「教育再生会議」と同じケース。カイカクがほとんど何もできずに終わるというパターンです。

 私の地元でも10年ほど前に県(つまり知事)が一方的に県立高校の統廃合プランを公表しました。そこには具体的にどの高校を廃校にし、どことどこを統合するかが明確に書かれていました。都会なら私学もたくさんあるし通学も不便じゃないから何とかなるでしょうけど、イナカの人にとって地域の県立高校ってのは地域の共有財産なんです。結局この統廃合プランは知事が直後の選挙で落選することでストップがかかり、時間をかけてじっくりと準備検討が進められ現在に至っています。

 そもそも橋下センセイは教育内容そのものに関心が薄いんで(ssh468参照)このパターンを最も期待したいところなんですけど、子分がモロに府知事になっちゃったから、親分にいい顔するために破壊活動に精を出す可能性はありますね。

 

 

 しっかしまあ、3.11.の年の暮れに教育カイカクが話題になるなんて、一体どういう神経してるんでしょうか。

 

 教育が民意を反映していない、というのが維新の会の言い分のようですけど、何も政治に頼らなくても、教育に民意を反映するなら教育委員を公選すりゃいいんですよ。

 

◆◆

 教育は、政治から中立でなければなりません。なおかつ、教育は、民意を反映しなければいけません。だからどうするかというと、政治とは別に、教育のための自治組織を作ります。教育委員会というのは、その教育のためだけの自治組織なんです。発祥の地アメリカでは、教育委員は住民によって公選されます。民意に基づいて選ばれた教育委員ですから、知事や市長にも指揮されない。それによって、政治介入を防いでいます。

 日本では、1948年にアメリカ型の教育委員会制度ができました。ところがこの制度の意味も理解されないうちに、1956年に教育委員の公選制をやめました。そのときに、「民意を反映しない教育委員会」という不思議な組織ができたんです。だもので、教育にいろいろ問題があっても、とにかく対応がよろしくない。そこで、大阪府教育基本条例みたいに、権限を首長部局に移そうとする動きができてきます。

 しかし、大阪府教育基本条例は危険だと思います。こんどは、教育が政治から中立でなくなってしまいます。橋下ブームみたいなのに、教育が巻き込まれてはいけない。

 教育行政は、政治から中立で、なおかつ民意を反映していないといけないのです。どうしたらいいかというと、方法が二つあります。

 1 教育委員を公選制に戻す。 

 2 教育委員会を解体して、学校単位で自治組織を作る。学校ごとの協議会に校長任命権を渡す。

  どちらも外国に例があります。どちらでもいいのですが、教育というのは、親と学校のきめ細かい協力関係があるようにするのがいい。2の学校自治の方向に行くべきだと思っています。

(古山明男氏のブログ「変えよう!日本の学校システム」2011.12.21.より。一部割愛してあります。)◆◆

 

 

 

追記

 記事作成中に、大阪市教育長がこんな通達を出していることを知りました。情報源は「教育基本条例NO!」というブログ。

◆◆

 教委校(全)第83号 平成23年12月28日

 各 校園長  

 

 民意、選挙、公選首長と公務員、行政と政治についての基本認識の徹底について 

 去る1127日の大阪市長選挙の後、本市職員が報道各社からの取材を受ける機会が多数生じておりますが、その際の本市職員の不見識な発言について、市民から厳しいご意見を頂戴しているところです。 

 本市の政策方針は市民の総意によって選挙で選ばれた市長及び議会が各々その権限を行使することにより決定されるものであり、また、市長は本市を統括し、代表するものです。 公務員である以上、これらのことを十分理解しなければならず、これに反する軽率な行為は、社会通念上も極めて不見識と評価され、本市の信用失墜に繋がるものであることから、厳に慎まなければなりません。 

 ついては、軽率な意見の表明や行動により本市行政に対する市民の信頼を損なう事態を招くことのないよう万全を期すため、校園長におかれましては、教職員一人ひとりに対し周知徹底を図っていただくとともに、指導監督に一層努めていただきますよう要請します◆◆

 

 まさに「日本の中に北朝鮮まがいの空間を作っているだけ」ですな。

 ああ、大阪に幸あれ。


 

nice!(1) 

nice! 1