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ssh487 テレビの見過ぎです(1) [マスコミュニケーション論]

<2011>


 


 数年前、受験生向けの英語教材で面白い英文を読みました。出典は某有名大学の入試問題。


 内容は、政治家が人気を得るために必要な資質が、メディアの変化によって変わっているというお話。


 


 その文章の筆者によりますと、エイブラハム・リンカーンは演説そのものはあまり上手ではなかった。ついでに言うと痩せ形の彼はルックスもあまり勇ましくなかった。ヒゲを生やしたらもっと見栄えがよくなるんじゃないかという手紙を少女からもらってヒゲを伸ばすことにしたというのはちょっと有名なお話です。


 しかし彼は文章を書くことが非常に堪能で、それゆえ演説の原稿は非常にデキがいい。例のthe government of the people, for the people, by the people, shall not perish from the earth.なんてのは本当に名言ですから。


 当時の主要メディアは新聞でした。だから、彼の評判は声明や演説原稿などが活字で流された部分でなされた。こういう時代においては、文章力は最も重要なアピールポイントるという極めて有力だったのです。


 


 その後、マスメディアの主流はラジオに移ります。第2次大戦中はラジオこそがマスメディアでした。この時代に最も成功した政治家の一人が、時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルです。


 くだんの問題文によると、チャーチルは演説がメチャクチャにうまかった。彼の肉声がラジオを通じて大衆に流されることで、抜群の支持を得ることができた。あれほどのブオトコであったのに(と問題文に書いてあったのですよ)絶大な人気を得られたのは、ラジオ時代ゆえであると。


 


 で、今日であれば、利口な政治家はスタイリストやプロデューサーを雇ってTVでの人気獲得に務めるはずである、とその文章の筆者は述べていました。


 そして実際にそうなっています。




 今や政治家にとってヴィジュアルのプロデュースは大金をかけて取り組まねばならない要素です。


 我が国でも、ここ10年ほどで大人気を博した政治家は、どれもヴィジュアル面のPRに成功しています。御三家は小泉純一郎・石原慎太郎・橋下徹の三大ポピュリスト。確かに彼ら(TV映像)は、なかなかカッコいいです。少なくとも小沢一郎や麻生太郎よりは全然カッコいい。


 


 


 さて、今回のテーマは、TV的なる価値観への警戒。ちょっと刺激的に「TV脳」なんて言葉も使う予定です。これはもちろん「ゲーム脳」なるトンデモ学説への皮肉を込めてのこと。




 もし仮に、今の世の中にリンカーンとチャーチルと小泉純一郎が同じ言葉を話す国で同じように政治家として選挙戦を戦ったとしましょう。


 くだんの課題文の主張をそのまま受け入れれば、この戦いは小泉純一郎の圧勝に終わるはずです。


 演説はうまいがチビでブサイクでデブなチャーチルは小泉純一郎には勝てない。


 しゃべることがヘタクソなリンカーンは、もう論外。用意した原稿を読むという勝負でない以上、論戦になったらたぶんダメ。


 21世紀の政治では、第二次大戦を勝利に導きのちにノーベル文学賞まで受賞した名宰相も、南北戦争というアメリカ分断の大危機を収束した合衆国史上最高評価の大統領も、ライオンヘアーのポピュリストに勝つ見込みはないのです。


 


 でも、それって、いいことなんでしょうか?


 政治家の資質とか価値ってのは、TV的にウケがいいということで決すべきことなんでしょうか?


 


 

 話が急にフジテレビの「めざましTV」に飛びます。

 最近、嫁サンはちょっと変わった朝の行動パターンを取っています。6時半ころに起きて子どもの弁当作りを始めるときに「めざましTV」を見始める。で、7時近くになって占いコーナーが始まると、チャンネルを切り替えてNHKにする。それから20分ほどすると、また「めざまし」に切り替える。数ヶ月前まではさらに8時になるとNHKの連続ドラマ「おひさま」に切り替えていました。

 その6時半から7時ちょい過ぎまで、私はリビング横の布団の中で、校長先生(写真下)とともにうつらうつらしております。つまり私は布団の中でTVの音声だけを聞いている。

 DVC00153.jpg

 で、布団から起き出してようやく、画面こみでTVを見ることになる。

 これを毎朝やってるうちに、布団内と起きてからのギャップが相当に激しいことに気付きました。

 

 布団の中で音声だけ聞いていると、「めざましTV」ってメチャクチャにデキの悪い番組なんですよ。

 まず、アナウンサーの声が悪い。特に女子アナは声質が甲高くて耳障り。そのくせやたらと威勢のいい早口であれこれまくしたてるから、聞いててすごく不快(何せこちとらまだ布団の中)。しゃべりもヘタクソ。

 加えて、しゃべってる内容がものすごーーーー(中略)ーーーくガキっぽい。毎朝毎朝「え~?」「わあ~!」「きゃー!!」てなノリ。

 こちとら仕事場で日々高校生トークを聞いてる身ですんで、「コイツら高校生か?」という感じ。

 

 ところが。

 布団の強力な引力から脱出してTV画面を見ると、印象がかなり変わるんです。

 中央TV局の女子アナは顔で採用しているという噂はバブル時代からずーーー(中略)ーーーっとありますけど、確かにフジの女子アナは見目麗しい。

 実は私、高島彩って人のことを全然知らなかったんですよ。最近ようやく、ネットの広告映像やTVコマーシャルに出ているのを見てrecognizeしました。会社やめて最初にもらう仕事がタレントや女優やモデルさんと同じようなものだというのだから、そのルックス上の商品価値は相当なもんですな。

 そういうヴィジュアル面こみで「めざましTV」を見ると、音声だけ聞いてるときほどは腹は立たんのです。

 カワイコちゃんたちがカワイコちゃんトークでキャピキャピやってるのは、そう目くじら立てるもんじゃないです。朝っぱらからという気はしますが。

 

 中央TV局の人気女子アナは、ビジュアル込みで初めて商品価値のある仕事です。


 TVを横目ときどき正面で見ながら朝メシ食って身支度を整えた私は、真っ赤なデミオに乗って出勤します。車中ではFMがお供です。当たり前ですが、ラジオは音声だけの世界です。ヴィジュアル要素ゼロ。

 ラジオだと布団内で聞く「めざまし」みたいな不快感はありません。まあこっちもしっかり覚醒してはいますが。ラジオのアナウンサーやパーソナリティも、けっこう「噛む」んです。TVアナより上手というわけでもない。ただ、声や話し方の耳当りがいいんです。音声に神経を使っているというんですか。

 TVのアナウンサーって、もしかして「音声はオマケ」くらいに考えてませんかねえ。


 TV局のアナウンサーの方が、ラジオ局のアナウンサーよりも格段に競争率が高いです。いただくもの(給料)もかなり違うはず。

 でも。TVアナウンサーって、ラジオアナウンサーよりも格上なんでしょうか?

 東日本大震災の時、被災地でわずかでも何かを伝えてくれたのは、AMラジオや地域のミニラジオ局でした。

 中央局はせいぜい被災地に要りもしないヘルメットかぶった女子アナを送ってレポートさせたくらいで。

 

 

 てなわけで、TV的価値観への疑問と警戒を、何回か書いてみます。よろしかったらお付き合いを。


 

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