ssh518 調べる・覚える・考える [教科学習]
<2012>
学力が高いって、どういうことでしょう?
教育学的な定義じゃなくて、単純に学業成績が優秀という意味で。
1970年代くらいまでであれば、学力=知識の量でした。どれだけ多くのことを知っているか、言い換えればどれだけのものを覚えているか。記憶力が学力の最大の評価対象でした。
私が駆け出し教員だった1980年代は、詰め込み教育批判が盛り上がってきたころで、世の中の風潮はまだまだ「学力=知識量」でした。おかげで生徒は「勉強=覚えること」と認識していました。
この時期の教育が「詰め込み教育」などと批判されたのも、そういう理由でしょう。とにかくより多くのものを覚えていることこそが価値があった。
とにかく覚える。覚えたことを答案用紙に書く。それが学力。
もちろん、覚えることはすごく大切です。基礎的な知識、重要な事項をきちんと覚えていなけりゃどうにもならない。
でも、それも程度問題。度を超すとヘンなことになります。1970年代までは大学進学率が今(約50%)よりずっと低く、大学入試は「受験戦争」と呼ばれていました。入試問題はそれこそ重箱の隅をつつくようなモノが横行していました。知識量で学力を測ろうとすれば、そういう問題でふるい落とすしかなかったんでしょう。
翻って、21世紀は「考える力」が評価の対象です。ただただ詰め込んだって応用が効かない、自分で考えられなきゃダメだと。いわゆる「ゆとり」カリキュラムは、記憶力偏重を脱却して思考力を高めることを狙ったものでした。昨今の高校入試・大学入試では、かなり思考力を問う問題が増えています。特に数学・理科・小論文はそういう傾向が強い。PISAのテストも思考力重視です。
モノを考える力は、メチャクチャに重要です。これは私にとっても重要なテーマです。それが評価されるのは本来歓迎すべきことです(どうやって思考力を評価するのかという問題は残りますが)。
でもね。
覚える前に、考える前に、まずやるべきことがあるんですよ。
それは、調べること。
ものを考えるには、知識がなきゃダメです。ものを知らない人に、ものは考えられない。
イナカの高校1年生に進路希望を考えろと言っても、考えられません。彼ら彼女らは高校入試を終えたばかりで、学部とか学科とか、そんなもん全然知らんのです。知っている大学名は地元の大学と、箱根でかけっこしてる関東の私立大学(主に文系)ばっか。まずは大学とか学部・学科のことが頭に入らないと、何も考えられない。
知っているというのは、覚えているということです。
じゃ、とにかくいろんな知識を与えてもらえば、それで知識は増えるのか?
ムリです。自分で調べたものじゃないと、頭には入りません。
ちょいと旧聞になりますが、佐々木主浩がシアトル・マリナーズに移籍したときのこと。
ピッチャーにとって、相手バッターの強みと弱点を分析することは欠かせません。日本ではチームのスコアラーが相手チームのバッターを分析し、そのデータをピッチャーにくれるのだそうですけど、マリナーズに渡った佐々木投手は自分で調べました。
そのときの彼のセリフがいいんですよ。
「やっぱり、自分でやらないと覚えないじゃないですか。」
英単語を覚えるのが苦手な人は、やっぱり自分で調べる手間を惜しんでます。
ただ見ていたって、覚えません。
一番覚えるのは、予習復習の時に、わからない単語があったら、書き出して辞書で調べて意味を書くこと。自分で調べたことは簡単には忘れません。
調べるというのは、わからないことの答えを見つけるための行為です。
調べるという行為をするとき、人は答えを知りたがっている。
知りたいことを見つけたときは、例外なく嬉しいものです。この喜びがあるから、そう簡単には忘れない。
調べることのできない人は、いつまでたっても一人で勉強することができません。誰かに教えてもらわないと、何も学べない。
調べることのできる人は、道具さえあれば一人で勉強できます。英語の受験問題で難しい問題に出くわしても、辞書と文法書で理由を見つけることができる。自分のペースで勉強できます。
大学の勉強は、調べることが中心です。
資料を調べる。書籍で調べる。実験で調べる。観察で調べる。
調べることのできない人に、高等教育(大学以上の教育のこと)は受けられません。
自分で調べる。
調べて、重要なことを覚える。
それでようやく、自分の頭で考えることができる。
まず、調べる。調べることが、勉強の一番の基本です。